エルサレムへgo to Jerusalem

このエルサレムへ編では,2015/11/22(日)朝バスでガリラヤ湖畔のティベリアを出て,タボール山,ハルメギド,イツハクラビン街道,パレスチナ境界を経て,エルサレムに至るときのバス車窓風景を載せました.


ティベリアからエルサレムへのルート(Googleマップのスクリーンショット)

ティベリアからエルサレムへのルート
(Googleマップのスクリーンショット)

この日は先ずバスでティベリアからエルサレムに走る.標高-200mのティベリアから+800mのエルサレムになるので,気温は5~6度下がろうか.

ティベリアからエルサレム辺りを別窓で大きなGoogleマップを開く

ティベリアを出るleave Tiberias

ティベリアを離れる

ティベリアを離れる

22(日)朝,私たちのバスはティベリアのRimonim Mineralホテルを出た.最初ガリラヤ湖畔を少し南下し,西に折れ,そしてヨルダン川渓谷を抜けるように高度を上げていく.


庭木に残るデーツ

庭木に残るデーツ

住宅の植木にはナツメヤシの木も多い.取り残しのデーツが少し下がっている.半ば観賞用であろうから収穫しにくいところは放っておくのであろう.

それとこの辺りは暮らし向きが豊かなのか平屋建て住宅も結構ある.デーツもあるし羨ましいですね.


牛と,みかんと,ブドウと,温室と

牛と,みかんと,ブドウと,温室と

大分標高が上がった.多角経営のキブツであろうか,牛と,みかん(ちょっと違うかな?)と,ブドウと,温室と.....いろいろ育てている.一つ一つの規模は小さいですね.これで十分収益を上げているならやはり素晴らしい.

ブドウはヨーロッパで多い丈の低いタイプだが,近年イスラエルで醸造されるワインはなかなかいいのがあり,コンテストでいい成績を上げているそうだ.

タボール山mount Tabor

モスクのある村

モスクのある村

国道767号から65号線に入った辺りか,モスクのある村を通った.所々に見える糸杉が爽やかだ.


タボール山(mount Tabor)現れる

タボール山現れる

そして右手(北側)にタボール山(mount Tabor,またはTavor)が見えてきた.標高588mあるそうだ.タボール(Tabor)とはデベソの意味だそうだが....,ごく普通の里山風だ.こうした形の山をデベソ山と名付けたら,いっぱいあり過ぎるような....

まあそれはそれとして,旧約聖書から,新約聖書にもしばしば現れる戦略的要衝で,ユダヤ教徒同士,或いはキリスト教との古戦場の舞台だったそうだ.たおやかな山容からすると意表を突かれた感じだ.

マタイ(12使徒の一人)の福音書によると,イエスが弟子たちとハイキングで上ったとき,イエスが変身し(顔が太陽のように輝いた),モーセが現れて話を交わしたそうだ.そのため変貌の山と呼ばれることがあるそうだ.

タボール山は高尾山の標高599mと同じくらいだし,傾斜も緩やかで登るに楽そうに見える.ただ高尾山と違ってヒノキやスギがないので暑いであろう.ポカリスエット(またはアミノバイタル液)は一人2リットルくらい持った方が良かろう.お弟子さん!イエスさまのポカリとおにぎりはおぬしたちが持つのだぞ!


タボール村

タボール村

タボール山の麓に大きな村があり,タボール村と言われるそうだ.アラブ人の村だという.

ただ現在,麓民はイスラムながら,タボール山頂にはフランシスコ会と,ギリシャ正教それぞれのキリスト教会が建てられているそうだ.また一帯は国立公園として指定されているそうだ.

なおイスラエルにはこのタボールの名を冠したライフル銃が生産されており,イスラエルだけでなく,他国に輸出され戦争で使われているようだ.激しかった古戦場での勝利にあやかった名なのでしょう.


日曜で前日より交通量あり

日曜で前日より交通量あり

前日シャバットの土曜日と較べて少し交通量が増えていようか.まあこの辺りは全然問題なく,スムーズな流れだ.

ツアーメンバーのお一人が,この近くのお友達に会いに行くそうで,一時離団するためこの辺りでバスを降りた.一日ほどでグループに再合流するそうだ.お気をつけて.

ハルメギドhar Megiddo

新しい鉄道工事

新しい鉄道工事

タボール山を過ぎさらに南西に進む.すると北側に新しい鉄道の敷設工事が見えた.イスラエルは狭い国土であるが,やはり大量輸送には鉄道が有利な面があり,新設を推し進めているそうだ.


ハルメギド(har Megiddo)の遺跡

ハルメギドの遺跡

さらに行くとやはり北側にハルメギド(har Megiddo)の丘が見えてきた.写真でV字状溝は遺跡の発掘現場だそうだ.実はハルメギドも大変古い歴史があり,な,何と旧青銅器時代から街があり,ちょうどトロイ遺跡のように政権が変わる度に古い街の上に新しい街が重ねて作られてきたということだ.何でもエジプト支配下の頃~10世紀BCイスラエル王国時代~7世紀BCのアッシリア下の頃~ペルシャ支配の頃で,凄い数の層が眠っているらしい.

なお,よく聞く『ハルマゲドン』(Armagedon)という言葉は旧約聖書で世界の終末における善と悪との決戦場とのことだそうだが,実は本ハルメギド(har Megiddo)と全く同一の場所を指す地名,言葉だという.まあ,元の言語に対して他の国で翻訳されたとか,外来語として採り入れられたとか....と云うことらしい.

もちろんユダヤ人にとっては重大な土地で,ヨシュア(モーセの跡目)の約束の地カナン侵攻で先住民に勝利した場で,また後のソロモン王の要塞の地で,宗教改革を進めたというヨシヤ王がエジプトと戦い,戦死した場所で,さらに預言者たちが異教祭壇のある『忌まわしい場』とした土地であるそうだ.まあ好ましいばかりの場ではないようだ.


ハルメギド分岐のある交差点

ハルメギド分岐のある交差点

ハルメギドへ行く通りへの分岐のある交差点に来た.行ってみたいのは山々だが私たちの短いツアーでは素通りで 残念だ.できればじっくり見物できる旅がいいですね.


細く高いミナレットのあるモスク

細く高いミナレットのあるモスク

交差点をそのまま過ぎると細く高いミナレットのあるモスクがあった.金色のドームも備えている.ここもアラブ系の村であろう.ところで他国のモスクと較べて,ゴージャスな金色のドームのモスクが多い.それとモスクそのものが多い.意外だ.お国柄きっとシナゴーグもある筈だが素人に見分けがつかないだけだろうか?

イツハクラビン街道Yitzhak Rabin Highway

イツハクラビン街道に入っていく

イツハクラビン街道に入っていく

さてエルサレムまで半分くらい来たであろうか,これまでの国道65号線から南に進路を変える有料高速道路6号線,標識ではまたの名イツハクラビン街道(Yitzhak Rabin Highway)も記されている.

ラビン氏は1992年に首相再就任し,アラブ側と和平を進め,1993年にオスロ合意調印,1994年ヨルダンと平和条約調印する.いま正にその時期だが,上記功績でアラファト,シモンペレスと共に1994年ノーベル平和賞を受賞している.なお先日授与された今年2015年のノーベル平和賞にはチュニジアの国民対話カルテット代表が選ばれている.

イツハクラビン街道沿いの畑や温室や果樹園のキブツ

畑や温室や果樹園のキブツ

有料高速道路6号線に入ってからもキブツの農園は続く.先ほどこのハルメギド辺りは,Sさんからイスラエルで最も肥沃なエズレル平原( Jezreel Valley)との説明を聞いたところだが,この辺もまだその範囲であろうか.

何れにしても一品種毎の作付面積は狭く,これで世界の大規模農場と伍していくのであれば実に頼もしい.

ところでイスラエルのキブツはしばしば旧ソ連のコルホーズやソホーズ,或いは中華人民共和国の人民公社と対比される.Sさんの解説で,もちろん似た面は多いのだが,決定的に違う点があるそうだ.キブツでは人によって働く時間など労働量が個人個人異なり,またそれに応じて報酬に差があるということだ.人によって体力や食欲に差があり,多く働く人はパンをたくさん食べて.....ということだ.(コルホーズ等は基本的に共産主義の観点からそれらが均等であるそうだ)


イツハクラビン街道沿いソーラーパネル付き温室

ソーラーパネル付き温室

屋根にソーラーパネルが並んでいる.断言できないが温室のように見える.水補給や温度調整で発電しているのではなかろうか.


イツハクラビン街道のサービスエリア

イツハクラビン街道のサービスエリア

街道を暫く行くとサービスエリアがあった.ドライバさんの休憩と私たちのお手洗いでここに立ち寄る.


お土産店やハンバーガーショップなど揃う

お土産店やハンバーガーショップなど揃う

日本の高速道路のサービスエリアと変わりない.お土産店やハンバーガーショップ,ガソリンスタンドなど揃っている.こちらの人は屋外での食事を好むので,カフェは戸外のテーブルを用意している.


イツハクラビン街道のSAでは家族連れも多い

家族連れも多い

家族連れか,あるいは学校の遠足か,子どもたちの姿が観光バスで運ばれてくる.楽しそうだ.

パレスチナ境界boundary of Palestine

イツハクラビン街道沿いネットで覆われたみかんの木

ネットで覆われたみかんの木

再びイツハクラビン街道に戻り,南下する.今度はみかんの木のようだ.レストランではオレンジもあるがみかん(マンダリンオレンジ)も揃えてあり,こうした畑で収穫できるようだ.

蒸発や光の制御,防虫のためかネットで覆ってあるのが,神奈川や静岡のみかん畑と異なっている.


パレスチナ境界のセキュリティフェンス

パレスチナ境界のセキュリティフェンス

やがてイツハクラビン街道はパレスチナ自治区と接するところに来た.そしてバスはその境界に築かれたコンクリート製セキュリティフェンス(Security fence)に平行して走るようになった.

イスラエルの言い分によればセキュリティフェンスはパレスチナ自治領との境界の85%で完成し,そこから入ってくる自爆テロの98%を未然に防いでいるそうだ.

ただパレスチナ側や第三国からは別の見方,例えばパレスチナ人を囚人扱いにしている,フェンス位置がグリーンライン(1949年停戦ライン)よりパレスチナ自治区内側に入り込んでいる.....など,反論,批判が多いのも事実であろう.


パレスチナ自治領内を見る

パレスチナ自治領内を見る

起伏ある土地なので丘の上からパレスチナ自治領内を望む場所もある.イスラエル内のアラブ人もイスラムだが,パレスチナ側は大半がイスラムであろうからモスクもよく揃っているようだ.赤い屋根白い壁の立派な住宅もイスラエル側と変わりないように見える.


パレスチナ境界石積みのセキュリティフェンス

石積みのセキュリティフェンス

フェンスはコンクリート製が多いようだが,こうした石積みタイプもあった.この場所は所謂原っぱ(無人の丘陵)であるが,こうした場所にも建てられている.


パレスチナ自治区首都ラマッラー(Ramallah)

パレスチナ自治区首都ラマッラー

また丘の上に来て,パレスチナ側が見える.金色ドームに2本の高いミナレットのモスクが目を引く.この辺りがパレスチナ自治区の実質的な首都ラマッラー(Ramallah)だそうである.パレスチナ自治区ヨルダン川西岸地区ではちょうど中程に位置し,エルサレムの北10kmになるようだ.

ラマッラーは人口6万人ほどで,パレスチナ領なのでアラブ人でモズレムが大半だが,クリスチャンも住み,女性の現市長はカトリック信徒だそうだ.歴史的にはこの地にはモスクだけではなく,ギリシャ正教,カトリック,ルーテル教会,コプト正教会,聖公会,バプテスト教会,クエーカーなどのキリスト教会も多く設立されてきたそうだ.


エルサレムに入ってきた

エルサレムに入ってきた

そうこうしているうちにエルサレムの街に入ってきた.運転手さんお疲れ様でした.(まだ先の運転があるのだが)



Cannergy'sホームへ