ティベリアTiberias

このティベリア編では,ティベリア周辺を訪れたときのパンの奇蹟の教会,山上の垂訓教会,ペテロ首位権の教会,カペナウムの写真を載せました.


ティベリア付近のGoogleマップ(スクリーンショット)

ティベリア付近のGoogleマップ
(スクリーンショット)

この図はカナのページで掲げたのと同じだが,バスでマーカーのティベリアまで戻り,そこからガリラヤ湖を北に行きいろいろな教会を見て回った.

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パンの奇蹟の教会Church of Multiplication of the Loaves and the Fishes

マグダラ付近のバナナ畑

マグダラ付近のバナナ畑

バスでティベリアまで戻るとそのままガリラヤ湖脇の90号線を北上し,パンの奇蹟の教会に向かった.途中マグダラを通過した時バナナ畑があった.点滴灌漑に加えネットで蒸発や光量を制御し,防虫しているようだ.殺虫剤を減らせるようだ.何れにしてもフィリピンや台湾辺りで見た畑に較べて栽培密度はとても高いと思う.


パンの奇蹟の教会前景

パンの奇蹟の教会前景

さてバスはタブハ(Tabgha)の村のパンの奇蹟の教会に到着した.パンの奇蹟の教会はマルコ,マタイ,ルカ,ヨハネの4福音書全てに記されたイエスの奇跡に因むそうだ.4福音書共に記されているケースは稀なのだそうだ.

この奇跡とは,イエスがガリラヤ湖から舟で上がったとき,あるものは病の癒やしを求め,そしてあるものは空腹を満たさんと5000人もの群衆がイエスの下に集ったそうだ.このときイエスの弟子は僅か5つのパンと2匹の魚しか持ちあわせていなかったが,それで5000人の空腹を満たしたのだそうだ.

なおこのときの5000人は成人男子で,十分量を食べる人たちだ.さて元の量を1000倍くらいに増やしたか....或いはごく少量で満腹感を得るようにしたか....それとも断食修行のように.....原名はMultiplication of...となっているから,きっと増やしたのであろう,やはり奇跡だ.

この教会はナザレやカナのフランシスコ会とは異なって,ドイツ系のベネディクト派修道会が運営する修道院を備えた教会だそうだ.清貧,純潔,服従を旨とするというので,その辺はフランシスコ会と同じかな~?


パンの奇蹟の教会今年夏の火災の跡

今年夏の火災の跡

本堂前の付属建物に黒焦げた跡があった.かなり衝立で遮蔽されているが,部分的に覗ける.

今年初夏の頃,火災があり,広い範囲が焼けたそうだ.幸いこれから見る予定の5世紀のモザイクの床に被害はなかったという.壁にはヘブライ語の赤い文字で『邪神の崇拝』を批判する落書きがあり,警察当局はユダヤ教過激派による放火の疑いとみて捜査しているそうだ.まだ犯人は挙がってないが,イスラエル大統領は『もしイスラエル人の犯行であれば深くお詫びします』とドイツ側に謝罪しているという.

近年イスラエルではキリスト教会やモスクに対するヘイトクライムが間々起こっているということだ.ユダヤ教徒によるキリスト教徒攻撃というと,2000年前のイエスキリストの死刑運動と似ているのではないかと思った.つまり,判決自体は権限を持つローマ帝国総督ピラト(Pilatus)が磔刑判決を下した,しかもピラト自身は無罪ではないかと思いながらも.しかしそうさせたのはユダヤ教指導者や大衆だった.....あくまで映画(ビデオ)で観たことだが.


パンの奇蹟の教会の礼拝堂

パンの奇蹟の教会礼拝堂

小さめの礼拝堂は落ち着いたデザインで,カトリックなのに随分さっぱりしている.

丸い灯り輪の下に僅か盛り上がった岩とその前に2匹の魚とバスケットに盛られた5つのパンのモザイク画が床に嵌め込まれている.


パンの奇蹟の教会の魚とパンのモザイク画

魚とパンのモザイク画

これが遠くから撮った2匹の魚とバスケットに盛られた5つのパンのモザイク画.東ローマ帝国(ビザンチン)時代に制作されたものだそうだ.モザイクは所望する色合いの石を砕いて使うので,鮮やかさに欠くが,退色しないのが利点であろう.

魚はこのお昼に食べた聖ペテロの魚(St.peter's fish)でしょうか,形態からするとそんな感じだ.

モザイク画の向こう,はっきりしない黒い部分が盛り上がった岩なのだが,この岩の上で2匹の魚を焼いて,5000人の男衆に分け与えたとのことだ.


パンの奇蹟の教会礼拝堂の絵と燭台

礼拝堂の絵と燭台

礼拝堂の両サイドに絵とそれを照らす燭台が置かれている.左は聖母子像,右はイエスキリスト像で,そこに礼拝者がガラスカップのキャンドルを置いて灯すようになっている.

絵は正教イコン風の香り,いやカトリックでもイコンという言葉は使わないも実質的にこうした絵を掲げるのは普通にあるようだ.私もPCではアイコンは当たり前に使っているが.


パンの奇蹟の教会こちらもビザンチン時代のモザイク画

こちらもビザンチン時代のモザイク画

こちらは礼拝堂横の床のモザイク画.きれいに残っているがやはり東ローマ帝国(ビザンチン)時代の作品だという.当時地中海沿岸でモザイクはどこも盛んだったと思うが,こうして今も変わりないまま見ることができるのはいいですね.


パンの奇蹟の教会のオリーブ絞り臼

オリーブ絞り臼

パンの奇蹟の教会の前庭にあった.随分大きな石でできたオリーブ絞り臼だ.上の円錐形コロの中心には穴が貫通し,下の大きな臼の中心にも穴がある.この2つの穴にL字型クランクを通し,臼の上にオリーブの実を置き,人力または馬などで押したそうだ.

回転円錐の細い方円周と長い方の円周比は,接する臼溝の内外周比と一致し,臼とコロの滑りが無く転がり,軽く回転し,また回転するに連れ内または外に寄るのを防いだのではなかろうか.つまりスラスト円すいころ軸受と同じような幾何構造ではなかろうか.

7つの泉の教会看板

7つの泉の教会看板

パンの奇蹟の教会前にこのような7つの泉の教会の看板があった.パンの奇蹟の教会の建つここの地名タブハ(Tabgha)は,ギリシャ語で7つ(の泉)を意味するHeptagonのアラビア語なまりからできたらしい.私には全く似ても似つかないように感じられるが.....尤も英語でチンプンカンプンのことを,『それは全くギリシャ語だ/It's all Greek to me』といった表現もあるくらいだから,そうなんであろう.

何でも古来この泉は大変な潤いをもたらしてくれたそうである.この後その中の一つ,現在でも湧き出ている流れをペテロ首位権教会近くで見ることになる.

例えば一つとして,泉の流れは陸のプランクトンをガリラヤ湖に運び,そのためガリラヤ湖の魚が成長し,豊富な漁ができるのだそうだ.

山上の垂訓教会Church of the Beatitudes

広い林の中の山上の垂訓教会

広い林の中の山上の垂訓教会

山上の垂訓教会は,タブハの少し北,小高い丘の中腹に上った広い敷地に建てられている.広々した緑の庭に,デーツやガジュマルの木の林,生け垣の歩道を備え美しい.そしてその丘(標高125m)は祝福の山(Mount of Beatitudes)と呼ばれ,イエスが弟子や民衆に信仰を説いた中心的場所だったそうだ.


黒いドームに八角形回廊の山上の垂訓教会

黒いドームに八角形回廊の山上の垂訓教会

中央に黒いドームを持ち,基部は八角形回廊のなかなか見ることない変わったデザインだ.1938年フランシスコ会が建立し,八角形回廊はイエスの説いた『八福』に因むそうだ.回廊の連続する馬蹄形アーチはイスラムモスク建築などでよく見られるが,キリスト教教会として比較的珍しいように思う.

なお黒いドームと八角形回廊は同心上にあり,完全に軸対称建築になっている.とてもユニークだ.また写真右に見えるようにこの撮影場所や回廊からはガリラヤ湖が望める.

いかにもお上りさん風に写真を撮っていると,脇の青年から『どちらから?』と訊かれ,『トキオです,でお宅は?』と応じると,『テルアビブです』というので,『そうですか,お国の首都ですね』と何気に言う(別に嫌味や出まかせでなくそう思っていた)と,すかさず『首都はエルサレムです』と言われる.お~やはりユダヤの人たちにはあくまでエルサレムが都なんだ~と再認識した.


山上の垂訓教会の丸い礼拝堂と祭壇

丸い礼拝堂と祭壇

中に入ると黒いドームの下は吹き抜けの大きな主礼拝堂になっている.そしてその中央には祭壇が据えられている.普通礼拝堂は四角形で,祭壇はその一辺の辺りと思い込んでいたが....まあ,こうした形式は初めてお目にかかった.

なおここを含めてイスラエルのキリスト教会はフランシスコ会絡みが多いようだが,1209年創立のカトリックの托鉢修道会で,清貧,貞潔,服従を旨としているそうだ.カリフォルニアのサンフランシスコもこの創設者の名に由来するそうだし,日本を含め諸国に支部があるそうだ.


山上の垂訓教会でお祈りする人

山上の垂訓教会でお祈りする人

丸い礼拝堂の周囲にはベンチと手を置く台が配置されている.この位置から中央の祭壇方向に向けお祈りする姿が見える.

さてここでイエスは民衆を前に,説教を垂れたわけで,ガイドSさんは実際の日本語訳新約聖書を片手に,回廊でこれを読みながら説明してくれた.

新約聖書は宗派によって異なるのだそうで,ガイドする宗派団体に合わせた版を用いるそうだ.Sさんは度々聖書を開いて説明されるのだが,今回私たちは無信者を主にいろいろ寄せ集めなので,全宗派共同編纂の新約聖書(あるんですね~)の日本語版を使うそうだ.いろいろ気を遣わせてすみません.

説教には『八福』と呼ばれる主要部分があり,それを転載しておこう

この中で以前読んだとき,最初の心の貧しい人々....と,8番目の義のために迫害される人々....はいったいどう云う意味なんだ?と思っていた.

最初の心の貧しい....は解らない人が多いと見えて,Sさんは八福を読み上げた直後に,『一番目は,お金も人徳も...いろいろ揃った人も,傲慢さや奢り心を捨て,人の言うことはよく聞きなさい,といった意味です』と加えてくれた.つまりそういった『傲慢さや奢り心』が『心が貧しい』ということかな....

8番目の義のために....は大方の人は理解できるとみえて,改めて解説はなかった.訊いておけば良かったな~


山上の垂訓教会回廊から斜面とガリラヤ湖を望む

垂訓教会回廊から斜面とガリラヤ湖を望む

垂訓教会は前述のように丘の中腹にあり,回廊から斜面とガリラヤ湖を望むことができる.イエスの演説は一般に丘の斜面上方に立ち,下側の民衆に向かって行われたとされているそうだ.フレスコ画などでもそうした構図が多いようだ.

これに対し,Sさんは,その説とは逆にイエスは半すり鉢状斜面の底に立ち声を上げ,聴衆は斜面上方に集まっていた,との見解を示した.例えばローマ劇場の形態,演者と観客の配置は皆そんな風になっているし,音響学的に声がよく通るということだ.


山上の垂訓教会でリラックスした巡礼団

リラックスした巡礼団

教会庭でリラックスしながら(そのように見える),リーダーの話に耳を傾ける巡礼団.服装もバラバラで,立ったり座ったり.....堅苦しさが全然なくいいと思う.


山上の垂訓教会で一斉に唱和する巡礼団

一斉に唱和する巡礼団

ここも教会庭で,外見からするとアフリカ系巡礼団か.大きなガジュマルの木の下で,両手を挙げて唱和している.


ペテロ首位権の教会Church of the Primacy of St. Peter

ペテロ首位権の教会はガリラヤ湖に面する

ペテロ首位権の教会はガリラヤ湖に面する

ペテロ首位権の教会は上述のパンの奇跡の教会と同じタブハ(Tabgha)の村で,ガリラヤ湖に面していた.

この教会に名を冠したペテロ(ピーター,ピエトロとも)は後に一番弟子として働く人だ.イエスが30歳の頃,嫌われたナザレの地を離れ,ここガリラヤ湖畔(カペナウム)に引っ越してきて,いよいよ新教(ユダヤ教の一派として)の教えを説く最初の地と決めたそうだ.さらにエルサレムで後磔刑に処せられ,復活したとき,再びここに来て暫し活動した場所でもあるようだ.

さて,越してきて間もない頃,ガリラヤ湖畔のこの浜(写真右側)を歩いていたイエスは,この先初めての弟子となる投網を打っている漁師のシモン(後にペテロとなる)とアンドレの兄弟に出会った.そしてイエスは写真中程の岩に立ち,『わたしについて来なさい,人間をとる漁師にしよう』と言い,二人は直ぐに網を捨てて従ったのだそうだ(←何と気の早い).

ところでこの日本語『人間を捕る...』って,私には奴隷狩りのようなちょっと恐ろしげな響きに聞こえるのだが....本当の意味はどう云うことなんでしょうか? キリストの教えの信者を獲得する人,弟子を集める人,つまりクリスチャンリクルーターか....はてそれでいいのでしょうか....?


ペテロ首位権の教会は白い目地の入った黒い石積み構造

ペテロ首位権の教会は白い目地の入った黒い石積み構造

白い目地の入った黒い石積み構造が目立つ.サイズは,教会としてはかなり小さい方だが,なかなか重厚なデザインだ.白枠の窓の形や配置などの意味合いはSさんの解説があったのだが,思い出せない.


ペテロ首位権の教会礼拝堂

ペテロ首位権の教会礼拝堂

広くない礼拝堂には大きな自然岩が鎮座している.手前の『米』の字のように,大きな十の斜め四方に小さな十を配したフランシスコ会のロゴがこの教会の管理,運営が同会の手によることを示している.上の山上の垂訓教会と同じだ.

礼拝堂の祭壇は自然の形のままの大きな岩で,磔刑に処され,3日後に復活したイエスが弟子に食事を与えた台で,『イエスの食卓』と呼ばれているそうだ.

ところで一般名詞ペテロ(petro)は石,岩,石油....といった意だが,聖ペテロの名(Petro,英語ではPeter)はやはり石に因むそうだ.つまりイエスが復活した後,弟子たちと再開し,食事を共にするが,そのときの食卓のこの岩に由来するようだ.いや,ペテロは石のように堅物で,それを指したアダ名だとの説もあるらしい.う~んやはりちょっとおかしいかな.....

そして食事の後に『ヨハネ(←どのヨハネ?)の子シモン(つまりペトロ)...私の小羊を飼いなさい...』とイエスは言ったという.私の小羊云々は大事な意味合い,即ち後継者使命の意味合いを含んでいるらしい.そう言えば天地創造(←映画の)で,アダムの長男,農耕のカインのお供えに神は関心を示さず,次男,酪農のアベルが子羊を捧げると神は大いに喜んだ.(そしてカインはこれを妬んでアベルを殺し....と,続く)と,あるから昔から羊は特別の意味合いがあるのだろう.

それと,昔ニュージーランドのテカポ湖を訪れたとき,『善き羊飼いの教会』というのを見せてもらった.そのとき,周りは羊だらけ,羊飼いも多いだろうし,中にはいい人も悪い人もいようが,まあ....そんな人達の教会かな~くらいに思っていた.でも今改めて見ると英語ではChurch of the Good Shepherdと,定冠詞theの付いたShepherdでただの羊飼いではないようだ.で,ググってみると『善き羊飼いの教会』は世界中あちこちにあって,またキリスト教でGood Shepherdはイエスのことを指す,とちゃんと載っている.な~るほど.これでペテロに伝えた言葉も何とか判った気がする.

またどのタイミングで言われたのか思い出せないが,イエスは『ペテロよ,わたしはこの岩の上に私の教会を立てる』と言ったというが,聖ペテロと岩のペテロがゴチャゴチャになってしまった.でもその教会とはこのペテロ首位権教会のことで,実際施工したのはイエスでもペテロでもなく,第三の人物(不明だが)だとSさんに確認した(つもり).いや~ややこしいよ.

ペテロはこのようにイエスの一番弟子になったわけだが,イエス亡きあとキリスト教の布教に励み,ヴァチカンの初代教皇(サンピエトロ)となった.

ペテロ首位権の教会にある7つの泉の1つ

7つの泉の1つ

ペテロ首位権の教会敷地内には7つの泉のうちの1つが流れている.こうした泉は生活用水に直接供されただけでなく,プランクトンを含んでガリラヤ湖に流れ込むそうだ.それが湖水の回流などと相まって,聖ペテロの魚などのいい漁場を作っていたそうだ.

なお別の場所であるが7つの泉には温水が湧き出る鉱泉もあるようだ.


ペテロ首位権の教会のブロンズ像

ペテロ首位権の教会のブロンズ像

ペテロ首位権の教会の庭の一角にブロンズ像があった.真逆光で見難いが,最初の『わたしについて来なさい,人間を......』のシーンであろうか.


ペテロ首位権の教会の巡礼団

ペテロ首位権の教会の巡礼団

ここも巡礼者が多い.木の下では一人が僧衣を纏い,教えを説き,巡礼団の皆さんが聞いている.腕組みやポケットに手を入れたり,...巡礼団にしてはお行儀良くないですね.


カペナウムCapernaum

カペナウムに歩く

カペナウムに歩く

タブハの村から少し北のカペナウム(地名)の駐車場で降り,少し歩いた.陽が落ちかけてきたようだ.終日いい天気だったが,冬至も近いので日暮れは早い.


カペナウム(Capernaum)の街の跡

カペナウムの街の跡

ガリラヤ湖北側畔の街カペナウム(Capernaum)には,建物の基礎や建築部材(石)など随分と広い街の跡が残っている.

カペナウムはイエスの第二の故郷だそうだ.つまりナザレで嫌われ,洗礼を施してくれたヨハネが捕らえられたと聞いて,イエスは身の危険を感じてナザレを去り,このカペナウムに来て居を構えたということだ.そしてここをベースに,近所のペテロの勧誘を手始めに,布教の道に入ったわけだ.


カペナウムの六芒星と五芒星

カペナウムの六芒星と五芒星

残されている構造物の一部だが,右側の六芒星はダビデの星としてよく知られる古代イスラエル王国のダビデ王の名を冠したイスラエルのシンボルで,国旗にもなっている.

その左側に五芒星のレリーフもある.Sさんの説明で別の王の名が付いていたと思うが....ソロモン王か....ヘロデ王か....何れにしても2000年,3000年の歴史があるということだ(←と言ってごまかす)


カペナウムのユダヤ教燭台メノラーの文様

ユダヤ教燭台メノラーの文様

こちらは石柱上部に彫られた燭台メノラーの文様(左寄り上部).しっかりと7分岐が刻まれており,やはり歴史を感じさせる.

他に車で運ばれる契約の箱のレリーフなどあったのだが,写真に写ってなかった.


カペナウムのシナゴーグ跡

カペナウムのシナゴーグ跡

現在カペナウムの人口はほぼ0だが,イエスの当時は4~5万人で,ガリラヤ湖周辺では最大だったようだ.メソポタミアとエジプトの中間に位置する要衝で,当時豚肉を食するギリシャ人など異邦人を排除するための前線基地も置かれていたようだ.

写真中央はビザンチン時代のシナゴーク跡だという.ただその下にはイエスの時代既に黒い玄武岩を主とした更に古いシナゴークがあって,現物はビザンチン時代に改築のため建てられたものということだ.まあ,教会等はいきなり更地に建てることは少なく,古いものの上に建て直されるようだ.

なお当時はまだキリスト教会はないので,イエスはこの場で宣教活動をしていたということだ.まあ.イエスもユダヤ教の一宗派として説いていたというからそれが自然であろう.


カペナウムのシナゴーグの壁

シナゴーグの壁

上記シナゴーグに近づくと石灰岩であろうか,白い岩石が多い.他は黒い玄武岩が殆どであるようで,ここだけはちょっと異質だ.

インド巡礼団が壁に手と額を押し当ててお祈りしている.クリスチャンでしょうか,それともユダヤ教徒でしょうか?


カペナウム聖ペトロの家教会(Church of St. Joseph)

聖ペトロの家教会

シナゴーグの近くに聖ペトロの家教会(Church of St. Peter)が建てられている.SF映画の宇宙船のような形がユニークで面白い.1990年に完成した新しい建築のようだ.


カペナウム聖ペトロの家教会の下の聖ペトロの家跡

聖ペトロの家教会の下の聖ペトロの家跡

聖ペトロの家教会の床下には聖ペトロの家跡が残されている.教会が円盤外周の柱で支えられ,中ほどは空中に浮いている構造だ.この場所はペテロの実家ではなく,婿入りした先の家の跡地だそうだ.ペテロの実家は兄弟がたくさんいて,貧しかったので婿入りしたのだそうだ.でも婿入りした先でも漁師として魚をたくさん捕らないと怒られたそうだ.

婿入り先のお姑さんが,あるとき(イエスと出会う前)思い病になったそうだが,ペテロはそれを癒やすことができ,快癒したという.大したもんです.


カペナウムもフランシスコ会の管理

カペナウムもフランシスコ会の管理

教会も含めて現在のカペナウムはフランシスコ会の管理のようだ.入り口には米印十字の入った紋が掲げられている.紋の意味合いは不明だが,米印十字はフランシスコ会だ.


カペナウム聖ペトロの家教会の礼拝堂

カペナウム聖ペトロの家教会の礼拝堂

中に入るとすり鉢状に椅子が配置された礼拝堂になっている.すり鉢底はガラス床になっており,そこからペテロ婿入り先の家跡が覗き込めるようになっている.そのため祭壇は中央ではなく,周辺の一部に置かれる.円形礼拝所で山上の垂訓教会と似ているが,祭壇配置は異なっている.


カペナウム聖ペトロの家教会のガラス床から望むペテロ婿入り先の家跡

聖ペトロの家教会のガラス床から望むペテロ婿入り先の家跡

これが広いガラス床から覗き込んだペテロ婿入り先の家跡.基本的には竪穴式で,石積みの壁で部屋を区切った構造だったようだ.上部はないが木材で梁や屋根を組んだのでしょうか.


カペナウムの聖ペトロ像

聖ペトロ像

右手に『天国の鍵』,左手に『羊飼いの杖』を持ったブロンズ(かな?)像がある.足元に『聖ペトロ魚』をあるのだが,インド巡礼団の写真撮影がなかなか止まず,諦める.『天国の鍵』と『羊飼いの杖』はイエスから預かったものでしょう.像そのものは2000年にできたそうで,新しい.


ざくろの販売

ざくろの販売

カペナウムの見物も終わり,バスに引き上げた.道端ではざくろが売られている.大きな実でちょうど今が時期なのであろう.



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