このカナ編ではカナ婚礼教会(フランシスコ修道会),ギリシャ正教婚礼教会,カナの街の写真を載せました.
この日ナザレで見物の後,バスでカナ(Kafar Kanna)まで戻り,カナ婚礼教会を見てきた.
別窓で大きなGoogleマップを開く私たちのバスはカナ(Kafar KannaまたはKana, Canaなどの表記あり)の街に到着した.現在はアラブ系の人が多く住むそうだ.ここもナザレと同じように緩やかな丘陵に形成されている.道は皆小径の雰囲気,何しろ旧約聖書時代から3000年の歴史ある街で,その香りを漂わしている.そしてそんな小径を観光客や巡礼団が行き交っている.写真赤キャップの皆さんは,中米辺りからかな~?
ベージュ色の石造りで,かなりオーソドックスなデザインに見える.両脇の塔など含めロマネスク様式というのだろうか,ザルツブルグの大聖堂をお手本にデザインされたらしい.ただこの婚礼教会はかなりコンパクトだ.
中央上の像はマリアさま,二階中央は...説明を聞いた筈だが思い出せない.
前庭の隅で,黒眼鏡の修道士さんがスマホでリラックスしていた.修道の間の暇つぶしにはいいツールだ.
なおキリスト教が世界のどこにも広がっているように,フランシスコ会の組織も世界中に展開されているのだそうだ.
婚礼教会の前扉から入るとすぐに主礼拝堂となっている.全体が明るい模様にデザインされている.故事に因み現在もここで結婚式を挙げるカップルは多いそうだ.
さてこの教会は,イエスが最初に奇跡を起こしたことを讃えて建立された教会として有名なのだそうだ.
母マリアとともに招かれたイエス(当時はまだ無名,ただの大工のせがれ)は,婚礼の途中,多分賄いを手伝っていたのでしょうか,『ワインが無くなってしまった』と母から聞かされた.確かにめでたい席でお酒が無くなるのは甚だまずいことであるが,予想以上に大酒飲みの客が多かったのでしょうか.いやこのときの宴は比較的貧しい家族主催で,準備したワインは少な目,特段招待状がなくとも出席できる慣わしで想定以上の祝福客が集ったようである.また当時結婚の宴は一週間も続いたとかでバカに長かったようでもある.
不足と聞いたイエスは,『ご婦人よ!』(Lady!),と母マリアに話しかけ,先ず6個の瓶に水を満たし,それを酒席に運ぶようにと指示したそうだ.そして運ばれてきた水瓶を覗くと,水は良質のワインに変わっていたということだ.ガイドSさんのお話で,このときイエスが母マリアに対して,『母上!』とか,『お母さん!』とか,『マム!』とか....でなく,Lady!と呼びかけ,次いで一連の指示を宴席の民衆に訴えかけたのがポイントという.無名のイエスが皆の前で奇跡を起こし,救世主キリストとしてデビューする合図だったのだそうだ.
また賄い方シェフは,この追加されたワインがどのように調達されたかは認識していなかったが,花婿を呼び『世の中一般,良いワインを最初に出し,酔う頃になると低ランク品を出すが,あなたは逆に後で上等なワインを出した,立派なお方だ』と褒め称えたそうだ.まあ知らぬが仏であったであろう.
礼拝堂床の一部がガラス張りで,下が覗けるようになっていた.そしてそこにはモザイクでヘブライ文字(かな?)を記した碑文が横たわっていた.
この教会の土地には元々シナゴーグがあって,その上に先ずビザンチン時代キリスト教会が建てられ,さらに十字軍時代その教会の上に新教会が建設され,そしてさらに現在の教会が重ねて建立されたということだ.街の歩みと共に非常に歴史があるわけだ.
ここはフランシスコ修道会のカトリック教会であるが,男性の修道士に加えて修道女(シスター)もおられるようだ.次のミサの準備であろうか祭壇テーブルを整理していた.
シスター背後の棚には,満たされた水をワインに変えた薄茶色6つの水瓶が置いてある.ヨハネ福音書に記されているというこのお話で,各瓶は2~3メトレテス(metretes)の容量と記されているそうだ.1メトレテス=39リットルだそうで,6つの瓶合計では468~702リットル.そして一般的なワインボトル容量は750mlなので,637~936ボトルとなりそうだ.不足ワインを買いに近くの酒屋さんに走っても,これだけの量の在庫はない恐れもあり,また夜で既に閉店していたかもしれません.やはりここはイエスの奇跡に頼る以外なかったでしょう.
ただここに並ぶ水瓶は合わせて637~936ボトル相当のサイズには見えないので,きっと象徴であって,別の大きな瓶があったのでしょう.
礼拝堂の壁にはイエスの生い立ちから,年代を追った十数枚の油絵や,いろいろな像が掲げられている.ラフな石壁の上になかなかきれいな絵だ.
ちょっと横道に逸れるが,以前若干似た話に出合ったことがある.シルクロード河西回廊の酒泉を訪れたとき,地名にもなっている酒泉という池だ.AD121年,漢の武帝の命で,将軍霍の匈奴征伐は大勝利を収め,武帝から褒美の御酒を賜ったそうだ.ただ部下全員に行き渡らせるには必ずしも量が十分でなく,あくまで勝利は部下の力の結集結果,何とか全員に御酒を振舞いたかった.そこで皆で掬って飲むべくお酒を泉に注ぐと,な,なんと地下から十分な御酒が湧き出て,将軍,兵士共々飲み放題に飲むことができたそうだ.
小径を挟んだ斜向かいにギリシャ正教の婚礼教会があった.ナザレの受胎告知教会と同じように,カナでも婚礼のあった場所の同定解釈に違いがあるようだ.とは言っても,2つの教会は眼と鼻の先に位置しているのでもっと別の違いがあるのかもしれない.
ただ残念なことにギリシャ正教会は一般観光客の見物は認めていないようで,敷地への扉は閉ざされていた.
石畳の敷かれたカナの路地を,白いスカーフで決めた巡礼団が行く.かなり大きなグループで色々な人が混じっている.十字軍の時代もこうした巡礼者はいたでしょうが,距離的には中東や中欧の人に限られたことでしょう.今は中国や,アフリカ,南米....など,遠くからの人もたくさん見かける.いい時代になった.
婚礼教会の真ん前のお土産屋さん.婚礼教会を出ると否が応でも目に入るお店だ.入り口の上にはワインに変わる水瓶がディスプレーされている.その下に『Cana Wedding Wine』の看板も.
お店にはワインがたくさん揃えてあった.おちょこで試飲もさせてもらった.かなり甘い味であるが婚礼ワインなのでそうなのかも.またリーズナブルプライスでもあるが持ち帰るのは厄介なので買わなかった.すみません.
バスに乗るため大通りに出た.普通のキリスト教会にも出合ったが,写真中央,ちょっと小さく写ってるがモスクのミナレットが見える.下の黄色の標識もアラビア語だ.聞いた通りやはりアラブ系が多い街のようだ.実際カナの人口は2万人くらいだが,その85%はイスラムだという.
そして私たちのバスはカナの街を離れ,元来た道を辿り,ガリラヤ湖へと下っていった.昼食後はガリラヤ湖周囲の教会を巡る予定になっている.