この嘆きの壁編では,エルサレム旧市街の神殿の丘から歩き,嘆きの壁を訪れ,眺めた光景を載せました.
このページでは中ほど,ループで囲んだ嘆きの壁を巡る.
嘆きの壁観光に関わる簡易マップ
なおちゃんとしたマップは 別窓で大きなGoogleマップをどうぞ.
神殿の丘から半ば追い出された私たちは,西に向かう地下道(いや,アーケードか?)に入った.まだ朝9時と早朝のため,周りのお店はまだ開いておらず,ひっそりしている.
簡単な朝食を供する店であろうか,調理用具を並べて開店準備中のように見える.
地下道壁に布地を掲げ,客を待つ青年.客が寄るまでスマホで暇つぶしのようだ.
まだ水が出るという,ローマ帝国支配時代から続いているという上水道設備.ローマ帝国は水道技術には非常に長けていたことを再認識する.
ここもやはりユダヤ人警察の管轄であろうが,お巡りさんが巡回中だ.NYなどと同じように一人ではやられる危険が高いので,必ず複数で任務に当たっているのかもしれない.
アーチの間(between the arches)と,アーチ状入り口に掲げたカフェは営業中だ.でもう一つのアーチはお店奥の壁のそれを指すのかな?
嘆きの壁広場への出口が見える.眩しいほど明るい.
広場間近で,私たちは訪れないのだが,さらに深部へ向かうゲートがあった.表の嘆きの壁の深い部分が残っているのだそうだ.
トンネルを抜け,嘆きの壁広場(Western wall plaza)に出た.
周りが囲まれているが結構広々したスペースだ.特にトンネルを抜け出た後なので,インプレッションが大きい.
お祈りのユダヤ人に加え,色々な国からの観光客も多く見える.
写真右側の壁が嘆きの壁だ.石組みのこの壁は,概ね西向きで,21mの高さがあるそうで,かなり高い.
さて壁のできた経緯であるが,オリジナルは,先ず古代イスラエル第3代ソロモン王(在位971年~931BC,あのダビデ王の息子さんだ)がここに神殿を建てたそうだ.神殿は現在岩のドーム内部にある,イサクが生け贄になりかけたときの岩,つまり聖なる岩(Foundation Stone)を囲うように建てられていたわけだ.
だが587BC,神殿は一旦バビロニアに破壊される.しかし515BC無事再建したそうだ.そしてさらに時代が下り,イエスキリスト没後の少し後,AD70年ローマ帝国のエルサレム攻囲戦でまたも破壊されたそうだ.
このときの残された神殿西側壁(Western Wall)の一部がこの『嘆きの壁』なのだそうだ.なお『嘆きの壁(Wailing wall)』とは,外国人がここでユダヤ人が嘆いているように見えたことから言い始められた言葉で,当のユダヤ人は使わないそうだ.別に嘆いているわけでなく,神ヤーウエに祈っているだけで,壁は『西壁(Western Wall)』だそうである.
嘆きの壁の前は,区分されたエルサレム旧市街のうちのユダヤ人地区になっている.ただこの写真広場の北側横はイスラム地区で,その小高くなった土地には住宅が密集して建てられている.またその奥には,この後訪れるヴィアドロローサもある筈だ.
ユダヤ人(ユダヤ教徒)だけでなく,異教徒も帽子(など頭を覆うもの)を被れば,この壁に寄って祈ることができる.この点,神殿の丘ではモズレム以外お祈りが許されないのと大いに違う.
帽子のない人には,入り口に貸し出す小さなキャップ,キッパ(kippa)が揃えられている.頭を晒すのは神ヤーウエに対して失礼になるので,それを防ぐのだそうだ.なお帽子はどのような種類,色でもよく,なければ例えばハンカチを載せるだけでもいいそうだ.
覗いてみるとヘブライ語の聖典のようだ.観光客のこうした覗きなどに寛容なのは,その程度のことには動じないと云う伝統があるのだそうだ.
イスラエル人口(834万人)のうちの5%くらい,数十万程度が超正統派ユダヤ教(ultra-Orthodox Judaism)教徒だそうで,多分この写真の方はそうした人ではなかろうか.
つまり超正統派ユダヤ教徒は黒い帽子,黒い服に身を包み,長いもみあげで,生活は専らお祈りや旧約聖書の研究に専念し,兵役も免除されているそうだ.普通のイスラエル国民は2~3人の子持ちが多いが,超正統派の人々は7~10人持つことが多いそうだ.なお,ラビ(rabbi)といった僧職,学者でなく,普通の人が超正統派に仲間入りしたり,逆に抜けたりすることができるのだそうだ.概してイスラエル政府は超正統派が増えることを歓迎するそうである.
イスラエル人口の3/4はユダヤ人だが,超正統派以外の半分は,普通程度のユダヤ教伝統派,半分は宗教に関心の弱い世俗派らしい.なお人口の1/4はアラブ人モズレムが多く,他にドルーズ教徒やクリスチャンということだ.
願い事を紙に書いて,それを折りたたんで,岩の隙間に挟み込む.神に成就するようお願いするのだそうだ.これはだれが挟み込んでもいいのだそうで,手元に紙や筆記具の持ち合わせがない人のために,上記キッパとともに,紙と鉛筆が並べてあった.
長時間お祈りのため小型の聖典と椅子を持参して,お祈りのようだ.長いもみあげとあごひげが立派だ.
ユダヤ教徒の男の子は13歳でバルミツバ(Bar Mitzvah)と呼ばれる成人式を挙げるそうだ.バルミツバとはユダヤ教の戒律のことであり,戒律を守ることができる年齢が成人だとされるのだそうだ.
写真で,左の子が式の対象者,奥の二人は父親など関係者,右に隠れたが僧職者だ.ここで僧職者がページを指定したとき,聖書(トーラーなど)のページをぱっと開き,スラスラ読み上げることができれば合格だそうだ.ただスラスラは容易ではなく,事前にそっとページを漏らしてくれるのが普通になっているとか.
本人も参列者も額に,昼間なのにヘッドランプのような黒い小箱を着けているが,ヒラクティリー(Phylactery)と呼ばれ,旧約聖書の一節が収められているそうだ.日本の山伏が額につけているあれと似ている.
また中央の男性の腕に黒テープが巻かれているが,この体を張って律法を守り神に従います,という決意表明だそうだ.
なおユダヤ教ではイスラムと同じように男の子は割礼するが,この13歳のときではなく,生まれて8日目という早い段階で受けるそうだ.なお割礼のヘブライ語は契約の意味だそうである.
この子は無事聖書を読み上げ,式が済んだようで晴れがましい顔だ.写真いい?と訊くとこのポーズをとってくれた.この手の指の折り方,ヘブライ式13でしょうか?
この日は月曜日だが,ここで男の子のバルミツバは月曜と水曜に行われ,他のシナゴーグなどでも可能だがやはりここが総本山なので人気があるそうだ.NYなど世界のユダヤ人もここでバルミツバを挙げに,多く来るそうだ.
なおこの後,ホテル等で盛大に披露宴を行うという.結婚披露宴と同じように盛大で,特に米国辺りの富豪家族が行うときは半端ではないそうだ.
母親であってもユダヤの掟で,13歳の息子のいる壁の前には入れない.そこで右隣りの女性用祈り壁前からこうして覗き見する.
なお女の子は12歳でバットミツバ(Bat Mitzvah)と呼ばれ,基本的には男の子とおなじように戒律を守ることができる年齢になったときに式典ということだ.1歳分だけやはり女の子が早く成長するということなのでしょう.
あるいはちょっと遠くなるが,この写真のように一家総出で背後から見つめる手もある.
ところで壁の石垣の間から所々に雑草のようなものが生えている.どうして草取りしないのだろう,と思ったが,ちゃんと深い意味合いというか,意義というか,あるそうだ.つまりこれらはヒソプ(Ezob)の草と呼ばれ,出エジプト記の過ぎ越しの祭りで,子羊の血と混ぜて,家の鴨居に塗る材料とされているそうだ.映画十戒で,奴隷境遇ユダヤ人は住まいの鴨居にこれを塗って難を逃れた(つまり難が過ぎ越した)が,何もしなかったエジプト人には多大な災難が降りかかったあれだ.大切な草なんだ.
双子の姉妹も背後で参列だ.まだ先だけど楽しみだね~
壁の入り口にこんな書店が店を構えていた.ご主人背後の書架の本が売りものであろうが,手にとって見るのが難いですな~まあ,余計なお世話でしょうが.
嘆きの壁は十分見せてもらったので,またトンネルに入り,ヴィアドロローサに向かった.
入るとまた直ぐに共同水場らしき設備があった.アラビア文字で何か記されているが,まあイスラム地区に入ったということだろう.(別にイスラム地区でなくともアラビア文字はあるのだが)