このエシュムン遺跡編では,2018年6月27日フェニキア時代から残るエシュムン遺跡を訪れたときの写真を載せました.
シューフ山のデルエルカマルからバスで下るとサイダ先の海岸縁に出た.2本の鐘楼であろう尖塔を持つキリスト教会が目立っていた.
またこの辺りではビニールハウスがよく見られる.多分野菜作りが盛んなのであろう.
また道脇にはデーツの林も見えた.デーツは旧約聖書の昔から最も中東的香り高いフルーツであろうし,私自身も食べるのが好きだ.
バスを降り,エシュムン遺跡に歩いた.入ったところの地面にはモザイク画が敷かれ,その一画は発掘調査か,或いは補修工事か,テントで覆われている.モザイク画は動物や植物は描かれず,幾何学模様の繰り返しパターンである.ここ辺りにはかつてビザンチン教会があったそうだ.
モザイク床を過ぎるとローマ列柱通りの台座が並んでいた.円柱そのものはあまり見当たらないので他所で使うため持ち去られたのであろうか.ローマ帝国は至るところに列柱通りを造ったので,物珍しさこそないものの少なくとも一時期はこの地を支配した証ではあろう.
これは翌日ベイルート国立博物館で撮った写真だが,大理石製Sileneの頭で,エシュムン聖地出土,ヘレニズム期と記されていた.ということでこの列柱が建てられる前にアレクサンダー大王の支配期があり,そうした時代に彫られた像なのでしょうか.顔つき自体はギリシャっぽい感じだが,顔つきで判断するのはまずかろうかな....
そして折れたローマン円柱の先に積み上げた石垣が見えてきた.これがエシュムン遺跡本体の遺跡と言うか,中心部分のようである.素人目には,ちょっと見,引っ越したお隣さんの家の跡,崩れた石垣と区別が付かないような....
そこはやはり専門家,20年前引っ越した隣家跡と2,000年以上前の遺跡との違いを見抜くのだ.そして素人の私達にもそれを解かり易く(と,願望込めてます)伝えてくれるのだ.
これがサイダの守護神エシュムンが祀られたピラミッド型神殿跡ということだ.な,何がピラミッド,と私は思ったが,他の同行者からはそのような声は聞こえず,自分一人理解できないようだ.しかして恥ずかしいので質問はしなかった.でも遅くなったが,どこにピラミッドの痕跡が見えるのだろう.トポロジカルでならともかく(それでも解らないが)普通のユークリッド幾何学の世界からは全然ピラミッドは見えないな.....
で,中央の石の椅子が何と地母神アスタルテ(Astarte)の玉座だそうだ.アスタルテは古代中東で最も広く崇拝された大母神で,東地中海世界では女神アルテミス(トルコなどで聞く),アフロディテ(同じくキプロスなどで),ビーナス(世界中で)に対応するということだ.
ということで,この石製椅子は人にとっては必ずしも座り心地良くはなさそうだが,神の玉座であればそういった問題ではなかろう.
上記地母神アスタルテの玉座の右側にやはり石垣,ただし少し大きく切り取られた石ブロックの構造物で,玉座の石垣より後の世に築かれたのではなかろうか(完全に素人目)
ところでエシュムン(Eshmun)はシドンの守護神で,元々ベイルートから来た(大した距離でないが)人間の少年であり,地母神アスタルテに愛された,だが彼女を嫌って自らの男根を切って自殺したそうな.そこまで嫌いだったんだ...だが,アスタルテはエシュムンを神として生き返らせ,豊饒と再生の少年神となった.またアスクレピオスと同じように医術の神で,蛇が巻き付いた杖を持っていたそうだ.ふむふむ
この石垣前の枠は聖泉で,壁のレリーフはペルシア時代の作品であるようだ.
これは上写真を拡大したもの.何人かの人影が見える.石灰岩とかであろうか,侵食されてあまり鮮明でないのが惜しい.
前述のようにエシュムンは医術の神でもあったので,病気治癒を願って捧げられた子供の彫像が多数出土しているそうだ.これはベイルート国立博物館に展示されていたもので,大理石製で侵食はあまりなく,実に美しく保存されている.当時この地では男の子が大事にされていたそうで,奉納された彫像は女の子より圧倒的に男の子が多そうである.
一通りエシュムン遺跡を見て,また海岸通りに出た.今度は2本ミナレットの大きなモスクが見えた.随分白いので最近できたのであろう.そして左隣は続いて建設中の専用駐車場であろうか.
海岸通りに出て,バスはサイダ(シドン)に向かった.ビーチは平日であるためか全然混み合っていない.ただ混み合うのは湘南とか日本の特殊事情に由来する固定観念かもしれない.
そう言えばレバノンの休日はイスラムの金曜日とキリスト教の日曜日だろうか?祝日は例えばイースターやクリスマス,春の犠牲祭両方あるのだろうか....それとも宗教に関わる祝日はなくしたか....聞き漏らした.