シューフ山地Shufu Mountains

このシューフ山地編では,2018年6月27日シューフ山地に上り,ベイトエッディーンの館を見物し,次いでデルエルカマル町を訪ねたときの写真を載せました.

シューフ山に上るgo up the Shufu Mountains

ルブリストルホテルで朝食

ルブリストルホテルで朝食

6月27日ルブリストルで朝が明け,一階のレストランに降りる.チーズなど乳製品,写真の加工肉類,野菜コーナー,玉子コーナー(調理場)...などにいろいろ並び,お皿に装う.チーズやオリーブはやはり普通に塩辛いが,全般に美味しく頂いた.


バスが新しくなる

バスが新しくなる

朝食を済ますとバスに乗り込んだ.前日までのバスはシートベルトが備えられていないので,別のバスに変えたのだそうだ.ただ今回も一部シートによっては外れていたようで,まあレバノンだからということになった.

この内装を見ると暑苦しい色になったような気もする.....が,実際は冷房はちゃんとしているので大丈夫だ.


一旦海沿いに出る

一旦海沿いに出る

目指すはシューフ山(Shufu Mountains)であるが,道路の都合で一旦沿岸沿いに出る.地中海は深い青で,ヤシの木も聳え,ベイルート海岸は素晴らしそうだ.


山道に入る

山道に入る

バスはシューフ山の山道に入ってきた.山間の比較的傾斜の緩やかな地面は畑になっており,この辺りではバナナ畑が多いようだ.また畑にできない傾斜地には雑木であろうが結構緑豊かに生えている.東アジアの光景と似ているように思う.


高くまで住宅あり

高くまで住宅あり

山間部の結構高くまで住宅が建てられている.周りに耕作地はそれほど多くはないので,この辺りはベイルートのベッドタウンなのであろうか.そんな気がする.環境や眺めが良さそうだ.ただ前述のようにバスなどないそうなので,既に日本の山間部がそうであるように,高齢化が進むと,車で買い物となり大変になりそうな.....でもレバノンでは策があるのかもしれない.


ベイトエッディーンの町に到着

ベイトエッディーンの町に到着

曲がりくねった道を上り,ベイトエッディーン(Beit ed-Dine)の町に入った.標高900mくらいというから陣馬山より少し高い.石造りの立派な家々はやはり曲がりくねる坂道に沿って建ち並ぶ.

ベイトエッディーンには宮殿が建てられたのだが,やはり気候が良く,爽やかな空気や優れた風景がその理由のようだ.


ベイトエッディーンの館Beit ed-Dine Palace

ベイトエッディーンの館入り口

ベイトエッディーンの館入り口

バスはベイトエッディーンの館(宮殿)に到着した.ベイトエッディーン(Beit ed-Dine)のベイト(Beit)は家,エッディーン(ed-Dine)は信仰の意で,元はイスラム教ドルーズ派の隠れ家があり,その上に建てられた宮殿ということだ.なおベイトエッディーンはベタディン(Btaddine)と呼ばれることがあるようだ.

城壁入り口のベージュと茶色のストライプは典型的イスラム様式で,淡い色合いが美しい.アーチ上には全く読めないながらアラビア文字カリグラフィーがアーティスティックだ.その上両側はライオンであろうか,それにしては可愛い感じの丸いレリーフが嵌め込まれている.

さてこの館は,1788年,当時レバノンも支配下に置いたオスマントルコから,レバノン首長国首長として任命されたエミールバシール2世(Emir Bashir II)が建設を始め,30年余り費やして完成したそうである.

建設に当たっては,レバノン国内のみならず,イタリアの建築家も招かれ競い合ったという.その結果アラブ様式とイタリアバロック様式融合デザインにまとまったという.

だが1840年になると,エミールバシール2世はレバノン首長を解任され,マルタに亡命.本宮殿はオスマン帝国政府の建物として利用され,フランスの委任統治下に入った1918年以降も,その役割は続いたそうだ.そして1943年,レバノンが独立を宣言すると,初代大統領ビシャラアルフーリー(Bechara El Khoury)は本館を夏の宮殿として利用することにし,現在まで継続しているそうだ.

ところでエミールバシール2世はスンニ派イスラムであったが,途中マロン派キリスト教に改宗したそうだ.それが解任され,マルタに亡命したのと関係あるのであろうか?なお彼は山岳レバノン支配者初のマロン派カトリックということだ.


ベイトエッディーンの館マダファの回廊

マダファの回廊

館入り口から右手の回廊に入るとキャラバンサライ風の回廊軒下を通る.ここはマダファ(Al-Madafa)と呼ばれ,客人をホスピタリティを持って受け入れ,商取引する場として提供されたそうだ.この二階には宿泊施設があり,また下には厩舎も備えていたそうだ.


国際ベイトエッディーンフェスティバルの準備

国際ベイトエッディーンフェスティバルの準備

ベイトエッディーンは恒例ベイタディン祭り(annual summer Beiteddine Festival)を主催するベイタディン宮殿として広く知られているそうだ.そして写真はまさにその会場となるステージや観客席の設置工事を行っている最中なのだ.

1980年代半ば,内戦の狂気の真っ只中で レバノンの文化的特異性,芸術的自由を求める動きから始まり,徐々に地域および国際的な公演になっていったそうだ. そして現在世界中から著名な演奏家やバレエ団が招かれ,クラシック音楽,ダンス,演劇,オペラ,ジャズ,現代音楽など演じられるそうである.


ベイトエッディーン宮殿の二重扉

二重扉

鋼板がリベットで覆われた扉は,小さなアーチ型扉を持ち,普段はこの小さな扉だけが開けられていたそうだ.

何でも宮殿に入るときは自動的に頭が下がるようにするための仕掛けだそうだ.

これで,『頭が高い!』などと叱られることはなくなる訳だ.それに馬で攻め入るとか,軍隊がどどどどーと勢いよく攻め込むのも防げそうだ.


ベイトエッディーンの館噴水のある中庭

噴水のある中庭

円柱で支えられた連続アーチ,その壁のストライプ,そしてその前中庭の噴水,水路....典型的イスラム建築だ.シンプルにして美しいと思う.


レバノン兵士が事前見回り

レバノン兵士が事前見回り

前述のように本宮殿は一部博物館として一般公開されているものの,一部は大統領夏の離宮として供されているそうだ.そしてその夏は間近,大統領来訪は間もないということで,レバノン兵士が事前見回りに訪れているということだ.見たところかなりの兵力だ.やはり大統領クラスの警護となると大掛かりだ.

ただ幸い現在平穏な時代にあるためか,軍服姿の兵士は私達観光客と変わりなくリラックスした様子で歩いているように見える.


ベイトエッディーン宮殿視ブースか

監視ブースか

中庭に面した2階に出っ張った部屋が設けてある.見張り番の監視用ブースであろうか.込み入った組木や彫刻のデザインがイスラム風に見える(根拠は希薄だが)ところがいい.


ベイトエッディーンの館謁見の間だったか?

謁見の間

左右にずら~っとベンチが並んでいるので確か謁見の間であったか.であれば現在も大統領が夏に滞在する期間ここでいろいろな人とお会いするはずだ.


ベイトエッディーンの館謁見の間(?)のアラベスク

謁見の間(?)のアラベスク

上記部屋の壁や天井には連続する幾何学模様,所謂アラベスク模様が刻まれている.きっと板材はレバノン杉であろう.明確な根拠はないがここで用いないでどこで使うんだ....と思うから.


ベイトエッディーンの館大統領執務室

大統領執務室

大統領執務室だった....ように思うが,不確かだ.大理石の床やストライプの壁など実にきれいだ.


ベイトエッディーンの館噴水のあるレセプション

噴水のあるレセプション

噴水はイスラムの国では憧れの象徴だったと思う.そしてそんな噴水を前に白く明るい部屋の周囲にはズラリソファが並び,ここで大統領のお出ましを待つのではなかろうか.

噴水井戸は色別の石がピッタリと象嵌され,精密な仕上がりだ.

また噴水は見た目だけでなく,実際幾らか室温を下げるエアコン効果があるそうだ.弾ける水が気化熱を奪うのであろうか.


ベイトエッディーンの館ステンドグラスの王妃の間

ステンドグラスの王妃の間

ステンドグラスに彩られたこの部屋は王妃の間だそうだ.

調度品は往時のままで落ち着いた感じだが,やはりステンドグラスはず~っとここに居るにはちょっとうるさいのではなかろうか.


ベイトエッディーンの館ハマムの前室

ハマムの前室

ハマムはいくつかの部屋から成り,ここはその一番目の部屋だったと思う.壁の模様,それに寄せ木細工の背もたれを持つ椅子など細やかな職人芸が見られる.


ベイトエッディーンの館最初のハマム室

最初のハマム室

壁も床も槽も皆大理石のようだ.そしてそれらは一つの部材ではなく複雑な形の周囲同士でピタリと嵌め合わされているのが見事だ.

またこのハマム次の間の天井は,小さなスポット状明り取りガラスが点々と並べてあるのだが,輝点だけ抽出すると全体として聖ヨハネ騎士団のマルタ十字の形になる.ここを施工担当したマルタ職人のいたずらだったとか.ガイドEさんが真下にスマホを自撮り方向に置き,その形を映し出してくれた.


ベイトエッディーン宮殿でナポレオン(何世か不明)から贈られたシャンデリアが吊られる貴賓室

ナポレオンから贈られたシャンデリアが吊られる貴賓室

ナポレオン(多分3世)から贈られたシャンデリアが吊られた貴賓室.比較的シンプルなシャンデリアで,また貴賓室自体もイスラム的でスッキリした部屋だ.


ベイトエッディーンの館エミールバシール2世座右の銘

エミールバシール2世座右の銘

貴賓室壁にアラビア文字で,エミールバシール2世座右の銘が刻まれていた.内容は聞いたかも知れないが全く思い出せず.読めないながら周りの象嵌模様やレリーフと併せ,とても美しく纏まっている.


ベイトエッディーン宮殿に遠足の子ら

遠足の子ら

いろいろ部屋を見て,中庭に出た.中学生であろうか,遠足に訪れたようで,噴水の周りで歓声を上げ,スマホで写しあっている.楽しそうだ.スカーフはないし,制服もないし結構なことだ.


ベイトエッディーン地下にモザイク博物館

地下にモザイク博物館

中庭から一段下がった言わば地下室に降りた.実際宮殿は傾斜地に建つため,その地下室横は見晴らしの良い地上にある.そしてこの部屋はモザイク博物館となっており,壁や床,さらに庭に各種モザイク画が展示されていた.

モザイク画は地中海地方では古くから伝わる伝統芸術で,この博物館ではレバノン各地から移されてきたものから,本宮殿建設時に制作されたものまで展示されている.


ベイトエッディーンの館動物や噴水のモザイク画

動物や噴水のモザイク画

イノシシ,鹿,うさぎ,アザラシ,ライオン,それに噴水などが描かれている.かなり大きなサイズで床に置かれている.


ベイトエッディーンの館庭のモザイク画

庭のモザイク画

芝生の庭にこれも大きなモザイク画が展示されている.幾何学模様をメインに,4体のライオン(?)が描かれている.これも他の地方から運ばれてきたものだそうだ.

デルエルカマル町Deir El Kamar

デルエルカマル町

デルエルカマル町のファフレディンモスク

ベイトエッディーン宮殿を見物した後,そこから5kmほど離れたデルエルカマル町(Deir El Kamar)にやってきた.標高はやはり800mくらいという.

デルエルカマルは16世紀から18世紀にかけてレバノン山脈首長国の首都で,ファフレディン2世(Fakhreddine II:ドルーズ派)が宮殿や写真のファフレディンモスク(Fakhreddine mosque)などを建てたそうだ.つまり上記ベイトエッディーンに宮殿が置かれる一つ前の都ということになる.ファフレディンモスクはレバノンで現存する最古のモスクだそうだ.なお当時はモズレムに限定されず色々な宗教的背景の人々が住み,町にはシナゴーグ,キリスト教会があったそうだ(今もあるそうだが)


デルエルカマル町ファフレディンモスク前広場

ファフレディンモスク前広場

ファフレディンモスク前は噴水を備えた広場になっており,周囲にはブーゲンビリアが咲き,連続する石造り建築の一階部分にはスークのショップが並んでいる.生活用品やお土産が揃っている.

さて諸宗教平和に共存するベイトエッディーン町であったが,時代が下り1860年になるとドゥルーズ派とクリスチャンの間で内戦が起こり,町は破壊されたそうだ.ナポレオン3世は再建するためフランスから派兵したそうだ.


デルエルカマル町カミールシャムーン(Camille Nemr Chamoun:1900-1987)の像

カミールシャムーンの像

広場に大きなブロンズ像が立ち,Camille Nemr Chamoun(1900-1987)と記されている.氏はここデルエルカマル町生まれで,1952年~1958年の間レバノン大統領を務め,レバノン内戦(1975-1990)時はクリスチャンサイドの主要な指導者だったそうだ.


デルエルカマル町庁舎や町議会の建物

デルエルカマル町庁舎や町議会の建物

広場から道路を挟んで,中に広場がある口の字状大きな建物があった.建物の一部は町庁舎で,現に職員の方が業務に就いていた.また一部は町議会議場に使われているようだ.かなり古い建築であろうが,こうして長持ちするのは大したもんだ.


デルエルカマル町役場の標識

デルエルカマル町庁舎の標識

建物外壁にこの表札Municipalite de Deir El Kamar,1864年竣工,が掲げてあった.町標には市の花や動物(ライオン?)に加えて十字架が描かれている.基本的にはクリスチャンの町なのであろうか.


デルエルカマル町庁舎一部は市民や観光客に開放

町庁舎一部は市民や観光客に開放

町庁舎のスペースは僅かで,多くは市民や観光客に開放されている.そしてこちらも疎らであるが,訪問客が訪れている.

基本的にはクリスチャンの町なのかと書いたが,建物のストライプ模様やアーチ構造,ドーム屋根などどちらかと言うとイスラム風に映る.なかなかシックだ.


デルエルカマル町庁舎の細密彫刻の壁

細密彫刻の壁

壁であったか,或いは窓枠であったか,それとも衝立であったか.....とにかくとても細やかな模様が彫刻され,顔料や金属箔で塗られているようだ.かつて宮殿のあった地だけに多くの職人やアーティストが揃っていたのであろう.


窓から眺めたデルエルカマル町

窓から眺めたデルエルカマル町

町庁舎の窓からデルエルカマルの町を望むと,斜面に石造り赤い瓦の家々が貼り付いている様子が窺える.美しい光景だ.ただ日常生活では,お買い物の度に坂道の上り下りで大変そうだ.


シューフ山から下る

シューフ山から下る

デルエルカマル見物が終わり,私達のバスはシューフ山から下り始めた.シューフ山の範囲がどこまでか知らないのだが,山はず~っと続いているようだ.

さて次はエシュムン遺跡に向かう.



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