カディーシャ渓谷Kadisha Valley

このカディーシャ渓谷編では,2018年6月25日カディーシャ渓谷沿いをバスで上り,ブシャーレの街で宿泊し,翌26日帰路聖ミハエル教会を見たときの写真を載せました.

カディーシャ渓谷Kadisha Valley

石の切り出し場であろうか

石の切り出し場であろうか

ビブロス遺跡を見物した後,ジュベイル(Jbeil)の街から一旦北に進んだ.そして途中斜面が段々状に抉り取られた岩山があった.建築資材の石材を切り出しているのであろうか.何しろ建物には石材が多用されているので,どこかで調達しないとならない.


オリーブ畑

オリーブ畑

そのうち道は東の内陸に入り始めた.畑にはオリーブの木が植えられている.いかにも地中海沿岸らしい光景だ.長寿のオリーブの木であるが,この畑はまだ30年以内の若い木のように見える.まあそれくらいが一番多く実るそうであるが.


アミュン(Amioun)エリアに入る

アミュンエリアに入る

バスは少しづつ高度を上げアミュン(Amioun)のエリアに入ってきた.広い敷地に立派な住宅が多い.多くは赤い屋根に白い壁だ.緑も豊かで美しい.

アミュンでは人口1万人余(ただしかなり多くは海外に居住らしい)の殆どすべての住民はギリシャ正教の信徒で,レバノン最大のギリシャ正教の街ということだ.


洞窟住居と聖ヨハネアルシーア教会(Saint John al-sheer church)

洞窟住居と聖ヨハネアルシーア教会

また少し上ると岩山の側面に2,30個もの洞窟が見えた.炭素年代測定では15,000年~24,000年前に掘られたようだが,後の世には異教徒の迫害から逃れるためキリスト教徒がここに隠れ生活したようだ.カッパドキアの洞窟と似ていようか.

またその上にはギリシャ正教の聖ヨハネアルシーア教会(Saint John "al-sheer" church)が建てられている.


カディーシャ渓谷沿いを上る

カディーシャ渓谷沿いを上る

バスはカディーシャ渓谷沿い道をどんどん上っていった.そしてカディーシャ渓谷が深く眼下に広がって見える.いや~大きな渓谷だ.

冬であれば渓谷向こう側の山は雪で白く覆われ,さらに見応えあるそうだ.もちろん今通っているこちら側も雪で覆われ,スキー場も揃っているそうだ.そして地中海はすぐそこなので,一日でスキーと海水浴両方楽しめるということだ.


カディーシャ渓谷沿いをさらに上る

カディーシャ渓谷沿いをさらに上る

カディーシャ渓谷沿いをさらに上っていった.下に見えるのは先程通過したアミュンの街であろうか.こうした渓谷奥深くは初期キリスト教で迫害から逃れてきた修行僧の避難場であり,また修行の場であったそうだ.そしてそのうちマロン派や,それにシリアやギリシア,アルメニアなどの東方正教会各派の修道士のシェルターになっていったということだ.

なお修道院を築くためのレバノン杉や石の建材が手短に得られたのも幸いしたようである.


ブシャーレtown of Bsharri

ブシャーレ町のシュバットホテル(Hotel Chbat)に到着

ブシャーレ町のシュバットホテルに到着

夕方遅くなってブシャーレの町に到着した.標高1,450mに位置する山の中の小さな町の趣だ.そして道脇の斜面に建つシュバットホテル(Hotel Chbat)にチェックインした.レセプションに至るまで相当長い階段を上るのだが,途中スイミングプールを備えていることに驚いた.さほど暑いとは思えないが翌朝泳いでいる人がいて,さらに驚いた.

レセプションの壁には中世の武器,斧や槍,盾など壁に架けてあり,ちょっと博物館的だ.全般的には質素な山小屋的宿だ.


ブシャーレのシュバットホテルの部屋

シュバットホテルの部屋

このホテルの部屋番号は階とは全く関連無く,ランダムというか,暗号化というか....なのでエレベータでどの階に降りるべきか見当が付かない.なのでホテル職員が客と一緒に乗り込んで,キーを見ながら『はいあなたはここで降りて』と案内される.どうしてこんなややこしい番号体系にしたのか.....不思議だ.

私の部屋はおかしな造りで,カーテンを開けると,隣の部屋とのガラス仕切壁で,ひゃ~どうなってるんだ~と驚く.あと途中で短時間停電があったが,これはホテルのせいでなく,レバノン全土にまたがる電力供給システムの不具合に因るものらしい.次の日から3泊するベイルートの5☆ホテルでも停電があった.


シュバットホテルの夕食

シュバットホテルの夕食

シュバットホテルレストランで夕食を頂いた.大まかにはレバノン料理なのかと思う.なお翌朝頂いた朝食も概ね似たような料理に思われた.まあ,中東的味わいを楽しめた.またビール(やワイン)が自由にオーダーできるのは嬉しいし,US$で支払えるのも簡単でいい(私はレバノンポンドに両替しなかった).ビールは小瓶で4ドルだったか.


ブシャーレのシュバットホテルの朝

シュバットホテルの朝

さてシュバットホテルの一夜が明け6/26(火)となった.朝食のためレストランデッキに出かける.料理は上述のように昨夕と一部同じ(ような気がした)であるが,カディーシャ渓谷を望む光景は素晴らしい.前日午後はモヤや雲でぼんやりしていたが,とてもクリアになった.

カディーシャ渓谷の対岸は,その崖っぷちまで住宅が迫っているようでスリリングだ.住宅は大して建て込んでいるわけではないから,やはり谷を望む場所に住みたいのでしょうか.


ブシャーレ上流側にはマロン派教会も

上流側にはマロン派教会も

カディーシャ渓谷上流側には1本の尖塔,鐘楼であろう,を有する教会,2本の尖塔を有する教会も見えている.小さな町ながらやはりマロン派教徒の要所なのであろう.


ブシャーレ杉保護区に向かう

ブシャーレ杉保護区に向かう

朝食を済ますと私達はカディーシャ渓谷上流側に向け出発し,ブシャーレ杉保護区を目指した.そして直ぐに上記2つのマロン派教会辺りを通過した.レバノンは中東のスイスと言われることがあるそうだが,確かに山岳やキリスト教会など含む景観はスイスのそれと似た面があろう.

ところでこの先からの写真はブシャーレ杉保護区のページに載せよう.


聖ミハエル教会St. Michael Church

ブシャーレ杉保護区から下る

ブシャーレ杉保護区から下る

ブシャーレ杉保護区でレバノン杉を眺めた後,またカディーシャ渓谷沿いの道を下った.標高の高さで植生の差が出るのであろうか,一層緑豊かなように見える.


聖ミハエル教会

聖ミハエル教会

カディーシャ渓谷を下る途中聖アントニオス修道院に寄る予定だったが,急な道路工事が行われ行けないという.そしてその代替に急遽セラール村で聖ミハエル教会を見せてもらうことになった.

写真は教会本体(主礼拝堂)で,祭壇左に入り口が設けられている.入り口の左手には聖母子像,右手にはイエスと信徒の像が掲げられており,それぞれの絵上下に何やら記されている.添乗Hさんのノートによれば,マロン派の正教式典礼では古シリア語が使われるためシリア文字で記されているようだ.シリア文字はどのようなものかググってみると22文字から成り,右から左に書かれるそうで,どうやらビブロス遺跡のページで記したフェニキア文字から発展した文字のようである.


カディーシャ渓谷の斜面に信徒家族の墓地

カディーシャ渓谷の斜面に信徒家族の墓地

教会はカディーシャ渓谷の脇に建ち,その縁斜面には信徒家族の墓地が並んでいた.遺体を収めた棺をこれらの石造り建物内に収めるのであろう.


聖ミハエル教会の主祭壇には聖ミハエル像

聖ミハエル教会の主祭壇には聖ミハエル像

聖ミハエル教会に入れてもらい,先ず主祭壇を眺めた.驚いたことに中央には大天使聖ミハエル(ミカエル,マイケル)が悪魔を踏み,剣をかざしている大きな絵が掲げられていた.これはちょっと珍しいのではないでしょうか.

なお聖ミハエルの両側にはそれより大分小振りな聖母子像のレリーフが架けられている.ということで,ここではイエスは主役ではないように見える.


天井のフレスコはキリストの生涯

天井のフレスコはキリストの生涯

イエスは主役ではない,と記したが,天井を見上げるとやはりイエスの生涯を描いたフレスコ画で満たされている.これで安心だ.

なおこの主礼拝堂の隣に,地元の聖人,聖ユセフの遺体を祀ったお堂があった.ここは撮影不可であるが,聖ユセフ(1847年~1929年)は村人の病気を治すなど数々の奇跡を起こした末,仏教で言うと即身仏の形で椅子に座ったまま亡くなったとのことだ.現在もそのまま椅子に座ったミイラとしてガラスケース内で安置されていた.


Le Tournantレストランでランチ

Le Tournantレストランでランチ

聖ミハエル教会の後,ランチを頂戴するためLe Tournantレストランに入った.広いレストランで,周囲がガラス張りで見晴らしのいいフロアだ.なおここはレストランだけでなく,むしろホテルがメインのようである.


レバノン名物メッゼ(Mezze)

レバノン名物メッゼ(Mezze)

メッゼ(Mezze)とは一般に東地中海におけるアペタイザーまたは軽食の一種とされることが多いようであるが,レバノンではフルコースの食事を指すらしい.実際写真のように多数のお皿が出され,これで半分くらい,この後また次々と出してくれたのだった.

とても食べきれないが,ごちそうさまでした.


カディーシャ渓谷を下りきり地中海沿岸に

カディーシャ渓谷を下りきり地中海沿岸に

カディーシャ渓谷をどんどん下るとまた青い地中海を望むようになった.確かに雪の残る春先なら朝スキーに出掛け,午後地中海に下って海水浴が可能であろう.



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