このアブダビへ編では,2018年6月29日ベイルートで最後の朝を迎え,ベイルートの風景を眺めながらベイルート空港へ行き,そしてアブダビへと飛び,着後バスでデュタニホテルに行ったときの写真を載せました.
6月29日ベイルートで最後の朝を迎えた.テレビを点けると,レバノンに幾箇所かあるシリア難民キャンプから,この女性のようにシリア帰還を目指す人も現れ始めたとのニュースが流れていた.一方,アサド政権が存続する限り戻れない,とするインタビュー回答者もいた.まだ戻れないエリアが多いのが実情のようだ.
なおマップのページに転載した外務省のレバノン危険情報マップを見ると,パレスチナ難民キャンプはベイルートとサイダの間に多いが,シリア難民もここに含まれるだろうか.
日本はあまり美しくない勝ち方だったとの批判もあったそうだが,FIFAワールドカップ16強に入り,そしてその組み合わせが決まったそうだ.相手は赤い悪魔と呼ばれるベルギーだそうだ.まあどこと当たっても容易ではなかろうが.
この日は移動日で朝の時間がたっぷりだ.ゆっくりテレビを見て,ゆっくりレストランに降りた.シートは空いており,好きなものをお皿に入れて頂戴した.美味しかった(バカの一つ覚え).
ルブリストルで久しぶりに荷物を畳み,バスに載せ,出発した.
バスの脇ではバイクスマホの人もおりますね.気を付けてください.
海岸脇に来て,岸から少し離れた沖に立つ『鳩の岩』を眺めた.写真のアングルでは見えないが,少し横から眺めると下側に穴が開き,門型の岩だ.既に暑そうだが朝の散歩の人が多い.
名の由来は,まだケータイのない時代ここから伝書鳩を放ち,メッセージ送信トレーニングしたとか,昔この辺りに鳩が多くいたとか,岩の形が鳩に似ている.....とかあるらしいが,実際のところよく分からないとのことだ.
鳩の岩先の海岸は,砂浜で遠浅のように見えるので,なかなかいい行楽地ではなかろうか.
バスはベイルートの海岸通りを進んだ.なかなか快適な通りだ.
このスタジアムはカミールシャムーンスポーツシティスタジアム(Camille Chamoun Sports City Stadium)とバカ長い名のスタジアムのようだ.
57,600人の収容能力で,AFCアジアカップ2000決勝戦の会場としても使用され,日本が二度目のアジアカップ優勝を果たしたそうである.
ラフィクハリリ国際空港(Beirut Rafic Hariri International Airport)に着いた.海岸に近く位置しており,ベイルート市街からも遠くはない.
バスから荷物を下ろし,ドライバーさんにお礼を述べる.そして空港ビルに入った.
空港ビルに入ると,エティハド航空カウンタに行き,EY538便のチェックインする.
お世話になったガイドEさんとはここでお別れだ.ありがとうございました.
空港ビル内にはレバノンの遺跡で発見された遺物が展示されている.なかなか気が利いている.
例えば写真のもので,この大理石の双頭牛,円花飾,花冠,ぶどうなどから成るレリーフは,ティール(Tyre)で発見された石棺の一部で,ローマ時代(64BC~AD395)の作ということだ.
レバノン空港のゲート前は上記遺物展示など特徴があるが,他はまあ似たようなものであろう.あまり混み合ってないところがいいかな.
ゲート前雑誌スタンドを覗くと,多くは英語版で,一部仏語版.なぜかアラビア語の雑誌が見えないが....何らかの事情があるのだろうか.
EY538便は定刻14:10にレバノン空港を飛び立った.窓を見るときれいな海岸線が展開されている.この辺りも遠浅のように見える.
機材は往きのときと違ってシートマップが2-4-2ワイドボディのA330だった.広く鮮明なモニターが付いているのがいい.シートは70%くらい埋まっていようか.
時間が時間だけに,EY538便は水平飛行に入ると直ぐにランチを出してくれた.ミートボールにこの細いのは何だったか?それと暑苦しい色のバドワイザーを添えてくれた.
『15:17パリ行き』の映画があったので見た.実際に起こった事件をベースにしているそうで,15:17パリ行き列車内で,武装したイスラム過激派の男が無差別テロを試みる.しかし,たまたまその列車に乗り合わせていた幼馴染の米空軍兵,オレゴン州兵,それに2人の友人が男を取り押さえ,未然に惨事を防ぐ.後で三人は仏政府から勲章を受けた.
監督は巨匠クリントイーストウッドだそうで,既に80代後半でしょうがすごいですね~また,主役を含め実際事件に居合わせた人たちが出演しているということだ.
フライトマップを見るとEY538便はアラビア半島のど真ん中に至ったようだ.サウジアラビア上空ということになろう.
さてそのアラビア半島のど真ん中で窓から下を望むと茶色一色,こんな風景が見える.
私の好きなアラビアのロレンスで,ガシムがラクダから落ち,一人灼熱の砂漠を彷徨うシーンを彷彿させる.そしてガシムを救ったロレンスは称賛され,白いオバQ衣装が贈られ.....だが,後にガシムは事件を起こし,ロレンスが処刑....と,砂漠を見ただけなのについつい要らぬ想像にまで広まってしまう.
EY538便は4時間位のフライトでアブダビ上空に達した.砂漠の中に道路と建物を建設したような,甚だ人工的な都市,SF映画の都市のように見える.砂埃のせいか大気全体が霞んでいるようだ.ただ些細に眺めると建物の脇に樹木が見える.これは相当気合を入れて水やりしないと育たない筈で,陰ながらその努力を讃えたいと思う.
EY538便はエティハドのホームアブダビに到着した.そして私達はターンテーブルで荷物を受け取り,空港の外に出る.出た瞬間モワーっと熱風が顔を横切る.東京の夏も暑いが,それ以上,多分熊谷クラスではないかと思われる.
表に出てその暑い中を少し歩き,バスに載る.レバノンの中古車っぽいバスと比べてさすが産油国のバスは真新しくちゃんとしている.そしてデュタニホテルへ向かった.
バスがデュタニホテル(Dusit Thani)に到着し,チェックインした.ものすごくゴージャスなホテルで,私の旅行では経験したことのないレベルだ.
デュタニホテルにチェックインすると,部屋に行く前にレストランで夕食を頂いた.フードポットから好きなものを装って食べるのがいい.好きなローストビーフもあり,その場で切り分けてくれる.
ビールやワインはUS$12で高めだが,クレジットカード可なので良かった.ただワインはグラスの底に少々,ビール(次の晩注文)は小瓶でちょっと物足りない.イスラム国で本来アルコール不可,異教徒には輸入品を少々ということのようで仕方なさそうだ.
デュタニホテルの建物は中央の高い(40階?)吹き抜けの周囲を囲むように客室が建てられている.吹き抜け4面のうち1面はガラスで,外が見える.私の部屋は24階にあって,数基のエレベータはキーを当てて行き先階を押すが,高速なので待ちは短い.
ツインの部屋だが広い.文句なしだ.
それとラクダぬいぐるみのプレゼントがあった.これも大きい.
部屋とバスルームの間は中国式にガラス壁で仕切られている.ただしカーテンが降りるようになっている.手前のバスタブの向こうに,私には不要だが独立のシャワールームを備えている.
デュタニホテルはアブダビの街の中程にあるらしいが,部屋の窓からはこんな風に見えた.全般に疎らな街の印象だ.上掲載EY538便ランディング直前に眺めた街の様子を,夜間に時間を移したような感じであろうか.