アレッポAleppo

カイロからアレッポに向かった.アレッポは,シリアの首都ダマスカスの北,約300km,トルコ国境近くにあるシリア第二の都市.ユーフラテス川のそばにあり,交通要衝の地として栄えたようである.紀元前10世紀に建築され,12世紀から14世紀には,モンゴル帝国の侵入や,12世紀十字軍の攻撃にもイスラム側の前線基地として耐えたアレッポ城も見物し,世界最大の市場の1つともいわれるスークも駆け回った. また,スークの北にあるグレートモスクもほんの少し垣間見てきた.

アレッポへFly to Aleppo

上空から眺めるとアレッポは土色だ.緑は殆どないように見える.アレッポ空港に到着し,出口で待つ黒ずくめの女性やアラビア文字の標識,看板がここもまたイスラム世界だ,と実感させる.

アレッポアレッポ
アレッポアレッポ

アレッポ市内Aleppo City

アレッポの街角

アレッポの街角

アラブ服にカーフィーヤ(ターバン)の男,少し浅黒い顔の男の子が中東圏にいることを強く印象付ける.でもアラブ服の男性は決して多い訳ではなく,少数派だ.旅行者からみれば残念に思うが,これは勝手というものだろう.それに日本で和服を着ている人の割合と比べれべ圧倒的に多いのも確かだし...


下は,アレッポ市内,宿泊したホテルの近くや繁華街の写真.緑も結構多く,機上から眺め下ろした土色一色のアレッポの光景とは違う印象で,それなりに安堵したものだ.

アレッポ市内
アレッポ市内 アレッポ市内 アレッポ市内 アレッポ市内 アレッポ市内 アレッポ市内 アレッポ市内
アレッポ市内 アレッポ市内 アレッポ市内 アレッポ市内 アレッポ市内 アレッポ市内 アレッポ市内

アレッポ城Aleppo Citadel

アレッポ城に架かる石橋と城門

堀に架かる石橋と城門

アレッポ城は,丘の上に建てられていた元々はハダト神という神の神殿が,ローマ時代に要塞にされ,12世紀にサラディーンの子ガーズィーによって周囲に堀が巡らされて現在の形になったそうである.なが~い,長い歴史があるのだ.この城は市街地から盛り上がった大きな丘(部分的には人工的に盛り土された土塁のようだ)に立つ.お堀の一箇所に橋があり,城門に連なっている.馬が歩きやすいように階段の段差が小さく造ってあるようである.現在お堀は枯れ,水は無い.城門上部には熱油を浴びせる窓など城としての仕掛けが設けられている.攻略するのは大変だったであろう.現に,13世紀のモンゴルの攻撃にも,15世紀のティムール朝の攻撃にも落城しなかったそうで,難攻不落の要塞だったわけだ.


アレッポの若者

若者

非イスラム教徒か?イスラム教徒か?一人を除き非イスラム圏と同じ格好の若者が明るく元気に駆け上がって行く.シリアではキリスト教徒が13%を占めるというから結構多いようだ.


アレッポ城のアーチ

アーチと修復作業

このストライプのアーチパターンはイスラム国のあちこちで見られる典型的イスラム建築様式のひとつだと思う.このアーチの近くに宮殿大広間があった.たしかモスクもあったかな?他に,深い,ふか~い地下牢などもあった.城は比較的よい状態で保存されてはいるが何度かの地震で破損し,特に1822年の地震では大きなダメージを受けたようだ.別のアーチでは現在も修復作業が続けられていた.


アレッポ市街の眺め

アレッポ市街の眺め

アレッポ城が丘に建つためアレッポの城下が一望できる.アレッポはオスマン帝国の滅亡する第1次大戦直後までその支配下にあった.アレッポ城の上の方にはオスマントルコ時代の兵舎があった.オスマン帝国滅亡後,その領地は英仏で分割され,アレッポはフランス領シリアの一部となったこともあるようだ.現在人口は約170万人で増え続けており,ダマスカスに次ぐシリア第2の都市だそうだ.


下は,アレッポ城の写真あれこれ

アレッポ城
アレッポ城 アレッポ城 アレッポ城 アレッポ城 アレッポ城 アレッポ城 アレッポ城
アレッポ城 アレッポ城 アレッポ城 アレッポ城 アレッポ城 アレッポ城 アレッポ城

アレッポ博物館Aleppo Museum

玄関前の彫像はテルハラフ遺跡(マリ遺跡)で発掘された紀元前9世紀のものだそうで,何となく愛嬌が感じられる.2階建ての展示場には世界最古の農耕遺跡の出土品やメソポタミアの古代文明からパルミラまで多岐に渡って展示されている.ただし撮影禁止で残念ながら写真はなし.

アレッポ博物館アレッポ博物館
アレッポ博物館アレッポ博物館

アレッポ旧市街Old Aleppo

アレッポ旧市街

旧市街の商店

旧市街はイスラム地区,キリスト教地区,ユダヤ教地区,アルメニア人地区に分かれているそうだ.さて写真のこの地区はどこに属するか?多分イスラム地区であろう.アレッポの主要な役割は交易であったそうだ.なぜなら東西と南北の2本の重要な交易路の交差点に当たり,東南アジア,中国,インド,メソポタミアの物資を中継して地中海沿岸の諸港に送り,イタリア海洋都市によるレバント貿易に好適な場所にあったため,と資料で読んだ.その点この後に訪れるパルミラとよく似ている.でもパルミラの栄えたのはアレッポの交易で栄えた時代よりかなり古いであろう.さらにエルサレムやメッカなどへの巡礼路となり,エジプト,アフリカ方面の産物もあったそうだ.交易は喜望峰回りでインドへ向かう海路や少し後に訪れ見物するスエズが開通するまでは繁栄し続けたようだ.海路が主流となってからは,物資の中継は激減しアレッポは衰退を始め,主な輸出品は周囲の農産品,つまり小麦,綿,ピスタチオ,オリーブ,羊,石鹸などに留まるに過ぎないようだ.

アレッポ旧市街スークの金製品ショップ

スークの金製品ショップ

スーク(市場,バザール)には日用品,食料,衣類,カーペット,金物,....等々並ぶが,金製品を扱う店も多い.同じ範疇のお店はだいたい一つ所に固まっているので,金製品ショップ一体はピカピカである.客はやはり女性が多い.ショッピングなど外出時は黒ずくめであるから,多分家にいるときや女性同士のパーティなどで主に使われるのかな~と思う.


アレッポ旧市街のグレートモスク

グレートモスク

スークのすぐ近くにあるグレートモスクは元々はウマイヤ朝が715年に建立し,45mのミナレットは11世紀になって建てられたそうだ.また1260年モンゴル軍の侵入/破壊に遭い,その後に再建されたようだ.他のモスク建立の際,ここの建築様式が参考にされたようだ.


アレッポ旧市街の路地

旧市街の路地

昼食を食べた旧市街の路地に面したレストラン.なかなかしゃれた感じの店で,美味しかった.イスラム圏ながらビールやワインが楽しめるのがありがたい.ただし結構高い方だと思う.でもこの後行くヨルダンほど高くはない.


下は,アレッポ旧市街の写真あれこれ.タクシーの車体が黄色で統一されているのはよくあることであるが,タクシー灯が赤,白,緑とイタリアの国旗と同じようなデザインで統一されているのが面白い.

アレッポ旧市街
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アレッポ旧市街 アレッポ旧市街 アレッポ旧市街 アレッポ旧市街 アレッポ旧市街 アレッポ旧市街 アレッポ旧市街


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