ペトラPetra

ペトラは,死海とアカバ湾の間にある渓谷にあり,死海から約80km南に位置する.またぺトラとは,ギリシャ語で岩を意味するそうだ.1985年,ユネスコの世界遺産(文化遺産)へ登録されている.

ペトラへGo to Petra

死海からさらに南下しペトラへ向かった.羊の群れに出会い,みやげ物屋を覗き,レストランで食事 し,ぺトラリゾートホテルに到着した.

ペトラ
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ペトラPetra

地元の人には知られていたのであろうが,ヨーロッパ人が比較的最近になってようやく知るところとなった「幻の都」ペトラのある地は,自然の要塞となっている.また西にガザ,北にダマスカス,紅海にも近く,中東での人や物の行き交う要衝の地でもあったようだ.古代ナバテア人の首都,砂漠を移動していたキャラバン隊の中継基地であったとされるようである.都市が作られたのは今からおよそ2300年前頃からで,世界遺産の中で最も古い時代の遺跡の1つであるようだ.

シク  Al Siq (canyon)

ペトラへの唯一の入り口シクは,細長い岩の谷.高さ100mに及ぶ巨大な岩の間を,幅数mという細い道が縫うように1kmあまり続く.両側の岩は ピンクできれいな模様が付いたように見える.

シクは放っておけば水の通り道,すなわち川であるが,ナバテア人はその両脇の岩を削って水道を造り,遺跡の奥深くまで水を引いて様子を見ることができる.また構造はよく理解できなかったがダムを作って洪水を防ぐと共に,前述の水道に水を導入したようである.

下の6枚はシクの写真

ペトラのシクペトラのシクペトラのシク
ペトラのシクペトラのシクペトラのシク

下は,入り口からシクの写真あれこれ.最初の1枚は,ペトラビジターセンターに掲げられた肖像.左が先代フセイン1世前ヨルダン国王(多分),右がアブドゥッラー2世現ヨルダン国王.両者ともイスラムの預言者ムハンマドの曽祖父ハーシム(西暦500年頃没)家の一門,クライシュ族に属するそうで,アッバース朝もこの一門から出たそうだ.

ペトラのシク近く
ペトラのシク近く ペトラのシク近く ペトラのシク近く ペトラのシク近く ペトラのシク近く ペトラのシク近く ペトラのシク近く
ペトラのシク近く ペトラのシク近く ペトラのシク近く ペトラのシク近く ペトラのシク近く ペトラのシク近く ペトラのシク近く

エルカズネ  Al Khazneh

細い曲がりくねった道,つまりシク(the Siq)を歩いて行くと岩の隙間から前方にオレンジ色に輝く神殿が現れる.エルカズネ(Al KhaznaまたはAl Khazneh=Treasury)だ.案内板によれば高さ39.5mあるようでとても大きい.エルカズネとはアラビア語で宝物殿という意味で,ベドウィンは神殿の最上部にある大きな壷に宝が入っていると思い,宝をとろうと思ってライフルで銃撃したことからこう名付けられたそうだ.壷の前方は銃撃によって欠けている,とも聞いた.前記案内板によれば,考古学者の間ではアレタス4世の霊廟として造られた,という説があり,最近になってエルカズネの下に3体のナバテア人の墓が発見されたとも述べられている.

このナバテア人の神殿はエジプト,シリア,ローマの様式が採り入れられているのだそうで,少なくともコリント式柱は他の古代ローマ遺跡のそれとそっくりだと思う.壷の脇の屋根の上端には鷲の像がある.当時鷲は魂を天に運ぶと考えられていたそうだ.中央のコリント式柱の間に彫られているのはエジプトのイシス神だそうである.神殿の両側の壁には足場の穴がたくさん彫られている.

エルカズネは,インディジョーンズ/最後の聖戦のシーンが記憶に残るためであろう,初めに見るのに懐かしい印象を受ける.

ペトラのエルカズネペトラのエルカズネ
ペトラのエルカズネペトラのエルカズネ

下は,エルカズネの手前からエルカズネ,その先のローマ劇場など.

エルカズネから先の右手の山の斜面には数多くの岩を切り出した建造物が見える.様式はエルカズネと似ているのでナバテア人が造ったものであろう.王家の墳墓群と呼ばれるそうだ.ところが左手にはローマ人の円形劇場と少し似た円形劇場が見える.しかしよく見ると,ローマ帝国様式は石を積み上げて造られているのに対し,ここは岩を切り出して円錐状の座席を造っているように見える.3000人収容でき,元々ナバテア人が造った劇場をローマ人が広げたものらしい.

ペトラのエルカズネ
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ローマ帝国の跡から山の上の修道院へ  Monastery

アラビア半島の隊商路を支配し権勢を誇ったナバテア人だったが,紀元1世紀になるとローマ帝国の支配下に入ったそうだ.以来,街はローマ風に造りかえられるはめになったようだ.

前述の円形劇場からさらに進むと列柱のある石畳の道,さらに先には凱旋門が残っている.いずれもローマ帝国遺跡の定番だ.また,まだ発掘調査中の大きな遺跡も見える.この先楽しみがいっぱいありそうだ.

ペトラの修道院に至る山道の途中

修道院に至る山道の途中

さて,そのローマ帝国遺跡を過ぎるとやがて山道に差し掛かる.道は山の上の修道院(Al Dayr=monastery)へと続いている.ちょっとしたハイキングだ.我々のグループで多くの人は円形劇場辺りで引き返し,修道院まで行ったのは若い男性と筆者の2人だけだった.左の眺めは修道院に至る山道の途中でエルカズネ方向を振り返ったところ.色合いがちょっとグランドキャニオンのような.....


ペトラの修道院

修道院

これが山の上の修道院.先ほどの看板によれば高さ48.3mでエルカズネより少し大きいようだ.ローマ人が修道院として使っていたのでこの名で呼ばれているが,本来はナバテア人の神殿だったようだ.たしかにエルカズネと似たような造りである.岩山の階段は800段あるそうだ.でも前庭のぺんぺん草が来客数の少なさを物語っているようでおもしろい.おまけに訪れた時間が遅かったため既にロバ屋さんやお土産屋さんも山道から引き揚げていて静か,下山路でも殆ど人には出会わず,僅かベルギーから来たという女性2人と連れのベドウィン男性1人のグループに会っただけであった.


下は,ローマ遺跡,山の上の修道院の写真

ペトラのローマ遺跡,修道院
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ペトラのフジテレビカメラマン

フジテレビのカメラマン

帰路再び通ったエルカズネの前で,翌日の小泉首相の訪問に備えるフジテレビのカメラマン.なおこの日小泉首相は我々が翌日訪れるアカバに到着し,アブドゥッラー2世国王の歓迎を受けていた模様.両者はパレスチナ問題などについて会談したであろう.ただここに来る前,既にエルサレムでオルメルトイスラエル首相と会談し,イスラエルとパレスチナの共存共栄に向けた信頼醸成の一環として,イスラエルとパレスチナ,隣国のヨルダン,日本の4者による協議の設置を提案し,オルメルト首相が賛成した,と報じられた.しかし,その直後に起こったヒズボラとイスラエルの衝突の前には,実質的に無力であることを見せつけてくれただけである.

ところで,アブドゥッラー2世は国王として積極的に外交に携わり,国家の安定に貢献しているという.国王自らハンドルを握り外国要人を空港まで迎えに行くのは日常茶飯事だそうだ.今回アカバに着いた小泉首相を,国王自らが運転する車で宿泊先のホテルまで送り届けたようだ.王室政府公用機(A310)を自ら操縦して外交先に出向くことも度々だそうである.その辺はロシアのプーチン大統領と似ているか.

ペトラの夕日を浴びるシク入り口辺り

夕日を浴びるシク入り口辺り

夕焼けで赤く輝ききれいだった.帰りはゲートの締め切り時間7:00PMを10分ほど超過していたがすんなり通してくれた.(出る方なのでそれはそうであろうが)



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