ヨルダンJordan

ヨルダンハシミテ王国,通称ヨルダンは,中東・西アジアに位置する王国.首都はこれから行く予定のアンマン.イスラエル,パレスチナ暫定自治区,サウジアラビア,イラク,シリアと接する.イスラエル・パレスチナ暫定自治区とはヨルダン川と死海が境界だ.立憲君主制で,イスラムの預言者ムハンマドの従弟アリーとムハンマドの娘ファティマ(手でよく知られるあのファティマだ)の夫妻にさかのぼるハーシム家出身の国王が世襲統治する,ということだから天皇家ほどではないが相当歴史が深い.国民の半数余りは中東戦争によってイスラエルに占有されたパレスチナから難民として流入した人々とその子孫であるそうだからすごいと言えばすごいと思う.

ヨルダンの国土は,およそ50万年前の旧石器時代から人類が住み着いていたことが知られ,紀元前8000年には人類最古級の農業が営まれたそうな.西アジアに文明が発達すると交易の中心地として栄え,紀元前13世紀頃からはエドム人が住み着き,アンマンには旧約聖書に登場するアンモン人の国があった.紀元前1世紀頃には南部にペトラ遺跡を残したナバテア王国が発展するが,紀元1世紀から2世紀にローマ帝国に併合された,ということだ.ナバテア人はどこに行ったのだろうか?

7世紀にはイスラム帝国の支配下に入りアラビア語とイスラム教が浸透してアラブ化,イスラム化が進んだが,ダマスカスに都したウマイヤ朝が滅びイスラム世界の中心がシリア地方から離れると,その辺境として都市文明も次第に衰えていったそうな.

19世紀に入ると,当時この地方を支配していたオスマン帝国は,ロシアから逃亡してきたチェルケス人をシリア地方の人口希薄地帯に住まわせるようになり,次第に活気付き始めた.第一次世界大戦後の1919年にイギリスの委任統治領に組み入れられ,1923年にヒジャーズ王国の王族アブドゥッラービン=フサインが迎え入れられてトランスヨルダン王国が成立した,という.するとフサインもやはり往年のイマーム,アリーを祖先とするのか?

トランスヨルダン王国は第二次世界大戦後の1946年に独立し,1949年に国名をヨルダンハシミテ王国に改めた.1950年にはエルサレムを含むヨルダン川西岸地区を領土に加えたが,1967年の第三次中東戦争でイスラエルに奪われる.中東戦争はイスラエルに占領された地域から大量のパレスチナ人の流入をもたらし,加えて1990年代以降には民主化に伴い王室の近代化主義に反対する保守派やイスラム主義派が台頭して国内の不安定要因となっている,とされている.



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