古代都市メンフィスの遺跡に近いバビロン城跡に築かれた町カイロは,数世紀にわたり,アフリカ最大の都市として栄えてきた.ただし近年は停滞しているのかな~? ファラオのピラミッド,初期キリスト教の修道院と教会,サラ・エル・ディンの シタデル,アムルーク朝,オスマントルコ時代のモスク,5000年の文化がここに凝縮されている. 国際的な大都市となった今日では,尖塔とヤシの木(細かく言えばなつめヤシか?),アールデコ風の邸宅や,色とりどりのネオンが 混在し,ナイルに沈む夕日に「母なるナイル」を感じるカイロは,世界で最もフレンドリーな 都市の一つ,とされる.
エジプト国内から,海外から,いろいろな観客が集ってくる.入り口に金属探知器が設置され,自動小銃を構えた警備員がいるが,ここに限らず小銃や軽機関銃がふんだんにあることにやがて気付くことになる.
金,ラピスラーズリ,トルコ石,紅玉石からできているそうだ.またこのマスクは少年王ツタンカーメンの顔を良く再現している,とも言われているそうだ.ツタンカーメンの他の遺物もまたものすごい,ひたすら金,金,金....で右を見ても左を見ても金色なのだ!
下は,エジプト考古学博物館コレクションその(1)
下は,エジプト考古学博物館コレクションその(2)
この橋は中州に連なり,中州に建つカイロタワーが中ほどに見える.カイロタワーはエッフェル塔や東京タワーと違って格子円筒状,コンクリート製のように見え,放送が主用途であるようだ.この橋の中ほどで欄干に手を載せ航行する船を眺めていると,大型車が通る度に結構揺れを感じる.(普通かな~?)
ベリーダンス自体はトルコから入ったのだそうだ.女性ダンサーに続いて男性ダンサーの出番になるが,1点に立ちながら,ひたすら一方向に回転する,100回,いや200回くらいか,回転する.よく目がまわらないものだ!! お腹は出していないからもちろんベリーダンスではない,では何というダンスなのか?
タハリール橋のたもと,宿泊したヘルナンシェファードホテルロビーに掲げてあった銘板.これによれば侵攻したナポレオン軍が本部として使用したことがあったようだ.部屋は広いが歴史がある分設備も古い.
下は,ナイル川のほとり,ナイルクルーズにおけるベリーダンス,対岸の夜景
エジプト人の90%がイスラム教の信徒で,カイロには多くのイスラム寺院があり,中でも有名なのがこのモハメドアリモスク.1857年エジプト独立の功労者,ムハンマド・アリ氏が建設.アラブ建築の一大傑作とされるがオスマントルコの影響を強く受けているので,トルコのモスクとよく似ているように思う.
天井の彫刻が美しい!コーランの碑文でちりばめられた8本の大理石の柱が四角い!(トルコのブルーモスクの柱は丸い)
ところで,エジプト市中一般のモスクはトルコのモスクに比べて四角っぽい,と感じた.例えば,トルコのモスク少なくとも1つのドームと1つの丸いミナレットを有しているが,エジプトのモスクはドームのないものもあるし,四角いミナレットもある.またトルコのモスクの殆ど全部が同じような様式であるのと比べ,エジプトのそれは多様である,或いはてんでバラバラである,ように感じた.
モスクが高台にあるので市内がよく見える.写真が小さく不鮮明であるが,例えば2階とか3階建て居住済み住宅の上に鉄筋が突き出た,建設中,建て増し準備中のような建物が著しく,いや滅茶苦茶多いと感じた.
下は,モハメドアリモスク各所の写真
大きなモスクの隣に位置し,多くの買い物客がやってくる.場所柄イスラム関係のものもそれなりに置いてあるような....
エジプトの方は(も,かな?)古代より金が好きだ.このお店でも立派なものが並んでいる.でも考古学博物館でツタンカーメンの大量の金遺品を見たせいか,感動する心が薄れたような....
この辺の風景,つまり壁の模様とか色とか,なかなかシックでいいね~でも,見とれて立ち止まると直ぐに呼び込みに声を掛けられるので煩わしかったりもする.
礼拝が終わって寛いでいるのだろうか?それとも次の礼拝を待っているのだろうか?或いは待ち合わせか?はたまた,単に閑を持て余しているのだろうか? 異国の街角は,勝手な想像を尽きることなく想起し,旅行気分を満喫させてくれる.
下は,ハンハリーリのスーク周辺とお店の写真