クシャダスに向かう途中のエーゲ海.波は無くあくまで静かである.松の木とオリーブの木が特に目立つ.
クシャダスに向かう途中の住宅街.中層集合住宅は,コンクリート柱/床の基本構造体に,レンガで壁をはめ込む形式が殆どのようである.どこへ行っても建築ラッシュのように見えるが,ガイドさんの話では景気(今は日本同様よくないらしい)に関係なく住宅建設は常時あるという.
ここも内陸部に住む人々の別荘やリゾートマンションが多いそうだ.リゾートホテルも多く,宿泊したパインマリーナホテルも新しく快適なホテルだった.
右手から大きな客船が入って来るのが見える.この港とギリシャの港の間には定期便が運行されており,ギリシャより物価の安いトルコに買出しにくるギリシャ人が多いそうだ.
聖母マリアが最後に生活を送ったと言われる家.ブルブルの丘の上にあるこの小さな礼拝堂,この建物の内部には聖母マリア像がまつられていた.ちょうど10人くらいの信者の方が礼拝中で,入り口でろうそくを買って(と言うか,寄付金を入れ)燈してきました.
日本語を含め,各国語で表記した言い伝えが掲げてある.またこの近くに聖母マリアの銅像もあり,像崇拝を禁じたイスラム教と違ってマリア像も拝めるし,多くの国のクリスチャンが巡礼に訪れるという.
ここは山の上なので貯水槽は泉とともに重要であったであろう.そばの郵便局から手紙やハガキを出すと聖母マリアの消印を押してくれる.旅行社の粋な計らいで柄にもなく私も絵葉書を出してみた.
当時から続くという泉.文字通り命の水であったであろう.
エーゲ海最大の遺跡群が眠る古代都市.エフェソス(なおこれは古代名で,現在はエフェス)は紀元前11世紀頃,イオニア人によって建設された植民都市だという.エフェソスはペルシア王国,マケドニア王国などとの海上貿易によって栄えた.しかしローマ帝国の支配下に置かれた頃,港が土砂によって埋まってしまうという問題が起き,衰退したようである.
2世紀のローマ帝国ハドリアヌスに捧げられたとういう数多くの建物跡.通りを含め浸食に強い大理石が随所に用いられている.
3角形になっているのは欠落したのではなく最初からこう云う形らしい.屋根近くの壁の部分ではないだろうし....どこに嵌るのか?
ローマの執政官セルススによって建てられたというセルスス図書館.アレキサンドリア,ベルガモンの図書館とともに,世界3大図書館のひとつと言われ,とても立派な建物.正面の壁には知恵,運命,学問,美徳の4つの意味を象徴する女性像があり,建物は大理石でできており美しい.
クレオパトラも歩いたといわれる大理石の大通り.この下に図書館と娼館を結ぶ地下道もあったそうだ.
1世紀から2世紀にかけてピオンの丘の斜面に造られた大劇場.2万4千人もの観客を収容できたというこの劇場はエフェソス市民の会合の場として使われたり,コンサート会場として使用されていたようだ.音響効果が良く,現在もコンサート,特にクラシック音楽のコンサートに時々使用されるそうだ.
下は,エフェソス遺跡入り口から水道管,小劇場,浴場,お手洗い,ハドリアヌス神殿を抜け,図書館に至る通りの写真
下は,図書館の手前から,図書館,大理石大通り,大劇場,出口のお店に至る写真
高さ19m,直径1.2mの円柱を127本も有するアルテミス神殿の壮大さは,古代世界の七不思議のひとつと言われていたそうである....が,現在では1本の円柱と,他の構造物の破片がゴロゴロ転がるだけで,その面影は残念ながらあまり感じられない.この際,そうであったと想像するしかないであろう.なお後方の建物はアルテミス神殿とは一切関係ない後世の教会か何かであるので,念のため.
現在残る1本の円柱ではなく,記録に残る書物からアルテミス神殿の存在が判るのであろう.今後の発掘による新発見を期待しよう.
比較的少ないモンゴリアン系のお土産屋さん.
下は,神殿跡でピクニックのカップル,近くの革製品店のファッションショー,レストラン,雑貨屋さんなどの写真