トロイTroy

トロイ遺跡The ruins of Troy

トロイ遺跡の丘の上

トロイ遺跡の丘の上

ホメロスの詩や伝説を基に発掘を続けたドイツ人シュリーマンは1870年ついにトロイの発掘に成功した.シュリーマンは地形を仔細に観察し伝説と比較照合したそうだ.ただシュリーマンの最大目的は秘宝の発見であったので,無計画な発掘が遺跡を相当傷めたようである.発掘物は密かにドイツに持ち帰ったが,それらの殆どは現在消息不明になっているらしい.


第6トロイの石垣

第6トロイの石垣

遺跡の発掘作業は,現在イスタンブル大学が中心となって手とブラシで丁寧に進められているそうだ.右図は第6トロイ(BC1900~BC1300)時代の城壁.(だったと思う)


トロイ遺跡の全貌を示すパネル

トロイ遺跡の全貌を示すパネル

トロイの遺跡は9つの都市層が重なり合っているそうで,古い順に第1トロイ,第2トロイ....と云うように呼称するようだ.左看板を見ると最古の第1トロイは紀元前2920年~2500年とある.年代測定は炭素同位体による方法であるそうだから,捏造といった問題は起こりにくいであろう.現在相当離れているが当初は海辺であったようだ.まあ,昔海の隣であったJR大森駅/貝塚の碑が,現在は結構海から隔てらているようなものだろう.


下は,赤い水道管(焼き物),大きな無花果の木,資料館....などトロイ遺跡各所の写真

トロイ遺跡
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トロイの木馬Trojan Horse

トロイの木馬復元模型

トロイの木馬復元模型.歴史的価値は皆無も,わかり易く観光効果大なり.スパルタの王妃ヘレネをめぐる争いから,ギリシアと戦争になってしまったトロイは鉄壁の守りで10年間耐えた.しかし,退却していくスパルタが,確かプレゼントと言って残したこの木馬にまさか兵が潜んでいたとは夢にも思わず,夜襲を受けて陥落してしまった,と云う後世極めて頻繁に引用されるストーリーに相成ってしまった.

田園地帯Pastoral

トロイから少し西に行った田園地帯の給油スタンド辺りにて

トロイ近くの田園風景1

トロイ近くの田園風景1

この辺も麦畑が多いようだ.新しい芽が一面に広がりきれいだ.よくご飯も出たが水田らしきものは見かけなかった,陸稲なのかな?


トロイ近くの田園風景2

トロイ近くの田園風景2

土地の広さの割に農家は少ないので,1戸あたりの耕作面積は相当広いのではなかろうか.農産物は輸出には回らないもののトルコ国内需要を完全にカバーするそうだ.


トロイ近くの田園風景3

トロイ近くの田園風景3

ガソリンは,湾岸戦争の後は,以前輸入していたイラクからの輸入が止まったため高くなり,日本より高めだそうだ.


給油所の売店

給油所の売店

バスの客や,ドライバ相手に売店やコーヒーショップで働いている若い娘.コーヒーは所謂トルココーヒー(コーヒー豆をろ過しないでそのままカップに注いだもの)とインスタントコーヒーがあり,単に「コーヒーください」と言うとトルココーヒーがデフォルトとして出てくる.値段は同じようなものである.面白いのは,一流ホテルのレストランやトルコ航空機内でも,ネスカフェー(若しくはインスタントコーヒー)と堂々とメニューに記されていることである.



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