パムッカレPamukkale

ネクロポリスNecropolis

オリーブ林

オリーブ林

パムッカレに向かうエーゲ海,地中海周囲はオリーブの畑でいっぱいだ.オリーブってそんなに需要があるものなのだろうか?朝食でオリーブのピクルスを食したが,そんなに量を食べるものでもないし.....


ネクロポリスの石棺の数々

ネクロポリスの石棺の数々

ここは丘の上にあるが,山麓住民の埋葬もあったので住民の数より多くの墓があったそうな.確かに1遺体用,家族4人用と,おびただしい数の石棺である.ただ何処も同じ,盗掘でかなりは破損している.


ネクロポリスと,そこに至る途中の写真

ネクロポリス
パムッカレのネクロポリス パムッカレのネクロポリス パムッカレのネクロポリス パムッカレのネクロポリス パムッカレのネクロポリス パムッカレのネクロポリス パムッカレのネクロポリス

ヒエラポリスHierapolis

ヒエラポリス大通りの復元図

ヒエラポリス大通りの復元図

石灰棚の上の丘陵に残る古代都市遺跡.紀元前190年頃....ペルガモンのエウメネル2世によって建てられ,2,3世紀に最も栄えたと言われるが,未だはっきりはしていないようだ.そして堆積する石灰棚の下にも多くの遺跡が隠されているようで,現在も発掘調査中なのだという.


ヒエラポリス今に残る大通りの一部

今に残る大通りの一部

門から続く石柱の大通り.石材は玄武岩(だったか?)で大理石は用いられていない.ヨーロッパからの観光客が多かった.


下は,ヒエラポリスの写真

ヒエラポリス
パムッカレのヒエラポリス パムッカレのヒエラポリス パムッカレのヒエラポリス パムッカレのヒエラポリス パムッカレのヒエラポリス パムッカレのヒエラポリス

パムッカレの歴史

紀元前2世紀頃から,シリア王の支配下で繁栄を見せたこの街は,ペルガモン王国のエウメネスⅡ世が征服した後はヒエラポリスと呼ばれ,毛織物や綿製品の技術に優れ,文化,経済ともに栄えたという. ローマ時代に地震で街が崩壊したこともあったが,ネロの時代に再建され,後にハドリアヌス帝やカラカラ帝もここを訪れたことがあるという. ローマの後,ビザンチン時代も繁栄を続けたヒエラポリスだが,セルジュクトルコ時代にイスラム勢力が入り込み,12世紀にはすっかり廃墟と化し,19世紀に発掘されるまで忘れ去られていたそうだ.

石灰棚Travertine salt deposits

パムッカレ石灰棚「綿の城」

綿の城

パムッカレとは「綿の城」の意という.文字通り,石灰棚のところだけが雪が積もっているかのように白く輝き美しい.石灰棚はその上を流れる温泉のカルシウム分が炭酸カルシウムとなって石化し,細かい段差がしだいに大きく,やがて真っ白な棚に形成されたものという.


温泉

温泉

流れる温泉の上を裸足で歩く.痛みや汚れが目立ち,全面立ち入り禁止になりそう....だと聞いた.この界隈の温泉は心臓病,循環器疾患,高血圧,神経性の障害,リウマチ,目や皮膚の病気,神経や肉体の疲労,消化器疾患,栄養障害に効果がある,というが,効果が多すぎるのでは?


下は,石灰棚の写真あれこれ

パムッカレ石灰棚
パムッカレ石灰棚 パムッカレ石灰棚 パムッカレ石灰棚 パムッカレ石灰棚 パムッカレ石灰棚 パムッカレ石灰棚 パムッカレ石灰棚

温泉Hot springs

宿泊したホテルの屋外温泉

宿泊したホテルの屋外温泉

露天風呂の雰囲気とは若干違って水着を着けて入るのであるが,屋内の温水プールで泳いだ後にここに浸かり,また泳ぐという繰り返しが楽しかった.ただし石灰分を多量に含むため,長時間入っていると肌がかさかさになる....らしい.


ベリーダンス

ホテルバーでのベリーダンス

客の何人かを招いて,裸にしてベリーダンスの指導をしてくれる.同行のKさんはこれに招かれ,「風邪をひいた」と言われてた.


下は,宿泊した温泉付きホテル,ベリーダンスの写真

パムッカレのホテルにて
パムッカレのホテルにて パムッカレのホテルにて パムッカレのホテルにて パムッカレのホテルにて パムッカレのホテルにて


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