ウチヒサールとは「3つの要塞」と意味だという.カッパドキア(この辺一帯のエリアの名称)地方で一番高い場所にあり,ルメリヒサールとオルタヒサールと合わせて3つの城跡があるらしい.これら小高い岩山には無数の穴がくり貫かれ,戦時には人々がここに立てこもって戦ったそうな.現在洞穴に住むのは法律で禁止されているそうだが,外部の住宅と洞窟とが見事に一体化されているのでどこまで有効か.....
ウチヒサールには内側をくり抜き鳩小屋として用いているものも数多く現存する.鳩の糞は堆肥として,杏などの果樹畑に使用する(した?)らしい.また貯蔵庫などの用途にも資するようで,温度変化が少ないので好都合であろう.
下は,鳩の谷(ウチヒサール)の写真あれこれ
下の柔らかい部分が先に風化し,硬い玄武岩がその上に残るために「妖精の煙突」として形成されるそうだ.
ここらしいお土産であるが重そうである.ちょうど杏やスモモの花が盛りであった.杏やスモモは一般に桜より1ヶ月くらい早く咲き,このころ(3月下旬)東京では桜が満開であったから,まあ東京の2月くらいの気温であろうか.
下は,妖精の煙突(ゼルベの谷)の写真あれこれ
ギョレメ屋外博物館はフレスコ画で飾られた岩窟教会と礼拝堂の集まりだ.ギョレメの谷一円に石窟が穿たれていて,その一部(とは言ってもかなり数が多いが)キリスト教会/礼拝堂として使われていたわけだ.これら礼拝堂のほとんどが10世紀から13世紀(ビザンティンからセルジューク時代)に作られたものだという.
この谷に面した石窟のように直接出入りできない構造も多く,異教徒や敵の侵入を阻止するには好都合であったようだ,これらの多くは横穴で内部でつながっている.(ほんの一部だけど目で確認した)
下は,ギョレメ野外博物館各所の写真
鉄器を初めて実用化したヒッタイト王国の時代からの洞窟.その後は,迫害から逃れた7世紀のキリスト教徒によって使われた.彼らはビザンティンの偶像破壊運動などの迫害を避けこの安全な隠れ家に逃げ込んだ訳だ.この辺り,地上に岩が乏しく,そのため地下深く,なんと地下9階までも掘られ,3000人もの人が同時に住むことが出来たそうだ.左写真は内部から開閉容易,外からは難しい円筒状ドア.内部には貯蔵庫,煙突(空気道),台所などがあり,一年を通して13℃くらい温度がほとんど変わらないそうで,つい最近まで実用に供されていたようだ.トイレの処理が一番大変だったようだ.
じゅうたん織りは,細かいもの,特にシルクの細密なものは10代の少女によって織られるそうだ.年をとると目がみえにくいし,指は太くなるし,...ということらしい.普通サイズ,普通密度(何が普通かは置いておいて)の手ウール織り絨毯で6ヶ月くらい要し,高密度のシルク絨毯とかになると,2人がかりで2年とかかかるそうだ.そりゃ,高価になりますよ~
下は,カイマクル地下都市,洞窟の丘,洞窟レストランの写真
標高が高いので荒れ地も多いが,麦畑(だと思う)が多く,牧場も所々みられる.
中央の女性は黒いスカーフなので,トルコ以外の国のイスラム圏から来た旅行者かも....
車窓より見えるイスラム教徒の墓地,だと思う.白いのが墓石ならメッカの方向に向いている筈であるが..
予定より早く空港に到着したので,1便早いフライトでイスタンブルに向かうことができた.