ウルムチからカシュガル(中国語で喀什)に飛んだ.ドライバ趙さんはウルムチから遥々大型バスを運転し,1日遅れでカシュガルに到着した.カシュガル市は人口37万人,カシュガル圏では120万人で,80%は土着のウイグル族などが占めるそうだ.古くからシルクロードの要衝として,またイスラムの拠点都市としても発展してきたそうだ.
カシュガル空港から,夜遅くバスでホテルに到着すると,玄関先でホテル従業員の皆さんが(多分ウイグルの)民族衣装を身に纏い歓迎のダンスを披露してくれた.民族の十字路カシュガルと言われるだけあって,ウイグル族のみならず,漢族,ロシア風に見える人.....など色々な顔立ちが見える.このホテル(色満賓館)のレストランは清真,つまりイスラム料理で,牛肉や羊肉料理はあるが豚肉料理はない.
翌朝表に出てみると,広い通り(色満路と呼ばれるようだ)があり,ちょうど通勤時間帯であろうか,自転車,タクシー,バス,....の行き交う風景があった.時々ロバ車なども通るところが中国最西端シルクロードの町カシュガルらしい雰囲気だ.ホテル名が色満賓館で,面する通りは色満路,やはり通りの名称が先にあったのか?
下は,カシュガルのホテルとその近くの写真.
趙さんの大型バスがまだウルムチから到着しないのと,中国とパキスタンを結ぶ中巴公路(パキスタン側はカラコルムハイウェイ)という山道を走るので,今日1日はマイクロバス2台で出掛ける.途中ポプラ並木の村から,美しい砂山のブルンワリ湖を過ぎ,やがて所々雪で覆われた鉄分を含む赤黒い山肌の山岳地帯,パミール高原へと進む.
下は,パミールへ向かうときの風景.
残念ながらここも半ば氷結し,対岸の山も麓しか見えない.まあ山の天気なのでやむをえない.晴れていれば7546mのムズターグアタ,7719mのコングールが見える筈であった.ここカラクリ湖は,カシオでは3670mを指し示していた(下の並び写真).高山病に備え,何人かの方が大きな枕サイズの酸素袋を使用していた.
カラクリ(Karakuli)はキルギス語で「黒い湖」と云う意味だそうだ.青空の下では紺碧に輝き,黒雲が空を覆うと黒い色になるのでその名が付いた,とのことだ.後者の色しか確認できなかったが....ところで,ネパールのカラパタール(Kalapattar)はチベット語で「黒い岩」だそうで,アルファベットの綴りは多少ことなるが,カラ(Kara/Kala)は「黒」で語源は同じなのかな~などと思った.
浜辺に幾つかの露店が並び,観光用ラクダが待機しているが,寒いし眺めもイマイチだ.そんな訳でレストランで,風景を窓から眺めつつゆっくり食事とし,露店はあまり流行らない.そんな訳でバスまで売り込みをかけてくる.
カラクリ湖からの帰り道,ウイグル文字(多分)と漢字で記されたレストランがぽつんとあった.いったいどんな料理を出してくれるのだろう?店主の民族が何であるか?に依るかな~
下は,カラクリ湖と帰路の写真
再び赤い山,鉄分を含むそうだから酸化鉄の色か,の麓を通過する.ポプラと,コンクリート製の電柱と,....近くに小さな集落があるのだろう.
さらに下るとウパールの村に着く.焼きたてのナンや,吊り下げられ肉塊がこの辺りの市場らしさを感じさせる.ウパールはキルギス族の村のようだ.村の一画にはモスクも建てられていた.男性の帽子を観察すると,所謂ウイグル帽の人は必ずしも多くなく,右写真男性のように,縁に毛の付いた深めの帽子やハンチング帽が多い.女性のスカーフは顔は覆わず,髪のみ覆っている.
下は,ウパール村までとウパール村の写真
下は,ウパール村とそれを過ぎてからの写真
狭い路地に日干しレンガの塀,千年の歴史があるという老城と呼ばれる住宅地区を歩いた.写真のように静かな佇まいのなかで,時々子供たちの歓声が響いていた.その中で3つほどの家庭を覗かせてもらった.概ねどこの家庭でもご主人は外に働きに出ていて,奥さんとお子さんが観光客の案内をしてくれた.
普通クラスのお宅.「文明家庭」とは模範的な家庭であるとの,お上のお墨付きであるようだ.多くの家の入り口に掲げられていた.
お金持ちのお宅.内部の華美な装飾はイスラム圏の特徴の一つか....
下は,旧市街入り口付近,旧市街で遊んでいた子供たちなど.