アバクホジャは,17世紀頃,ここら新疆南部を支配したイスラム教指導者で支配者だそうである.元々,1640年彼が父のために立てた墓が,後に大規模化され,一族の墓となったようである.彼の孫娘の一人,香妃は,清朝乾隆帝に気に入られ,彼の後宮に入ったということである.「香妃」の名は,彼女の身体からナツメの花のようなかぐわしい香りが漂っていたことから名付けられたという.しかし,何らかの事情で後に権力闘争に巻き込まれ,自刃を強いられたという.その彼女の遺体がこの陵墓に葬られているという伝説から,香妃の墓とも呼ばれるようになったようだ.
大きな建物は高さ40mのドームと4本のミナレットを有するイスラム様式の廟だ.建物内部は58基の墓と,ホジャ一族の資料が埋葬されているそうだ.多分58基ではとても収まらないのであろう,建物の裏庭にはたくさんのお墓が並んでいた.きっと親族や従者の墓であろう.イスラムであるので仰向けになり,右に向けた顔がメッカの方向に向いているのだろう,皆同じ方向である.石製の墓石に混じって,土製の墓石(土)も多いが,雨が少ないので大丈夫なのであろう.
当時の香妃ファッションに扮した(と思われる)モデルが霊廟の真ん前で陣取っている.また貸衣装もあって,自らが香妃に扮し,写真に収まることもできる.
霊廟の隣にはモスクが併設してある.柱など主構造体は木だ.装飾はイランやウズベキスタンの様式とよく似ているように思う.またコーランの一節であろうか,壁に飾り文字が見られるが,これはウイグル文字か?アラビア文字か?尤もウイグル文字は60%はアラビア文字と共通で,残りもよく似ているので,ウイグル文字の読める人はアラビア文字でも大体読めるそうである.
下は,香妃の墓,隣接モスク,門前市の写真.ザクロの生ジュースがシルクロードらしい.
カシュガルの日曜バザール(イェクシェンバザール)は,畑でとれた作物や畜産物をロバ車で持ち寄り,売買するのが始まりであったであろうか?互いに重複しないように,街毎にバザール開催曜日や日にちを違えてあるのは日本も含めて共通だ.ここカシュガルでは日曜と定められている.現在は路上でなく,常設の大きな建物内の市場があるようであるが,それではやはり雰囲気が出ない....かな.
写真の食べ物は,言わばカシュガル肉まんとも言うべきもので,この店で買って食べてみた.皮がぱりぱりなのと,内側の肉が肉汁をたくさん含んでおり,初めて食べた故,勝手が判らず洋服にビシャーと引っ掛けてしまった.平べったくなく,しかもそれなりの重さがあるのに,ナンとかと同様にかまどの内側に貼り付けて焼き上げる技はなかなか見事だ.
下は,カシュガルの日曜バザール風景.
さらに日曜バザールの写真.
日本語でエイティガールと書くと,Eighty-girlかと思いきや,さにあらず,ペルシャ語で「祭を行う場所」という意味らしい.このモスクは新疆ウイグルで最大,いや中国最大のモスクだそうである.15世紀中ごろ,カシュガルの統治者シャクルミールによって建立されたそうである.レンガ造りで,黄色く塗られている.礼拝堂の内部は140本の柱が林立し,一度に6千人収容できるそうである.
モスクの前は大広場になっている.またすぐ近くには職人街が広がっている.前述の日曜バザールに集う近郊の住民もここにお祈りに来るのではなかろうか.
下は,エイティガール寺院の写真.
職人街はこのような金物屋/鍛冶屋さん,帽子の仕立て屋さん,楽器屋さん,...といろいろ並んでいる.こんな大きなやかん,どのように使うのだろうか?金物屋のショーウィンドウ用?はたまた鍛冶屋さんの腕を誇示するため?
後ろは歯医者さんのようだ.その前の露店でナンやパンを売っている.顔を完全に覆っている.ウイグルのイスラムはスンニ派だそうであるが,このように完全に覆っている女性は必ずしも多くはない.人によって戒律に対する解釈に相違があるのであろう.
下は,職人街の光景
バザールとか職人街とか比較的古い街を観光して来たが,新しい街並みもある.広い道路に舗道など日本ではちょっと真似できない規模だ.ここカシュガルだけではないが,中国では政府が都市計画を推し進める場合,強制立ち退きなど徹底的にかつ短期間で行うそうだ.勿論この国でも賛否両論あるそうであるが.
下は,カシュガル市街の写真いろいろ.先頭は「漢餐庁」で,中華レストラン.ここは漢人(や,日本人など非イスラム)対象なので豚肉料理も出してくれた.
さてこれでカシュガルの日程は終わった.明日はエンギザルに向かう.