再びシルクロードの起点西安に戻ってきた.
西安空港に降り立ち,空港高速道路で市街へと向かう.ウイグルの茶色を見慣れた目には,西安郊外の光景が緑豊かに映る.
市街地の一画にこのようなモニュメントがある.古いものではないが,色々な顔立ちの像が幾つもの国にまたがるシルクロードらしい雰囲気を出している.
モニュメント横の通りにはトロリーバスが走っている.たまに簡体字でも読めることがあり,このバスの標識の場合,漢城通り-鉄道駅を結ぶようである.
カナジー的には陝西(せんせい)の漢字が難しくて読めなかった.案内板によれば,1991年に建設され,例えば青銅器時代から,諸王朝の品物,例えば唐王朝の墓からの出土品などが展示されている.常設展示,テーマ展示,特別展示などのため7つのギャラリーがあり,総展示延長7kmになるようだ.
有史以前の人骨から各王朝時代の品々が展示されている.外国からぶん取ってきたのではなく,中国国内の出土品であることは好感が持てる.ざ~っと一通り眺めただけであるが,例えば青銅器に刻まれた実際の文字(金文)を見たり,戦国時代諸国で互いに異なる漢字を統一し新しい文字を作った様子を見たりすることができる.工芸品は精巧で,人形や埴輪の類は実にリアリステック,かつ洗練された印象を受けた.ここは時間をかけて見ることができればもっといいであろう.
下は,陝西歴史博物館の展示物.
下は,さらに陝西歴史博物館の展示物.
大雁塔のある寺は大慈恩寺といい,648年,唐の第3代皇帝高宗が母の文徳皇后を供養するために建立したそうである.また652年,玄奘三蔵がインドから持ち帰った経典や仏像などを保存するために,高宗に申し出て建立した塔が大雁塔だということだ.境内にはインドの方向を向いた玄奘三蔵の像も立てられている.大雁塔は7階建てで,高さが64mあるそうだ.大慈恩寺は,最盛期には648のお堂があり3000人もの僧がいたそうである.現在お堂は30残り,30人の僧がいるそうである.
昔,中国の他の都市を訪れたとき,仏教寺院には大きな赤い布の中国共産党のスローガンが垂れ下がり,建物本体は党末端組織の用に供されていて驚いたものだ.それに比すれば,30人もの僧侶が居るというのは,時代の変化を感じる.中国国内からも,外国からも観光客が多いが,全部で248段あるという階段で一番上まで登ってみた.上からは寺の建物の配置や西安の様子をよく眺めることができる.
寺の境内広場には太極拳に勤しむ市民の姿も見られる.ジムとかスクールでなく,こう云った場所でやっている場面に遭遇すると,ほんとに生活に根付いているんだな~と感じる.
下は,大雁塔付近の写真
鐘楼は西安市内の中心にあり,ここを起点として東西南北に四つの大通りが伸び,それぞれ四つの城門に通じているそうだ.当初別の場所に建設されたが,1582年現在地に移築されたそうだ.戦時中はここに司令部が置かれ,異常事態がなければ夜が明けると,ここの鐘を鳴らし,城壁の門が開けられたそうである.上に登ると街の様子がよく望めて,司令部の場所に相応しいことが判る.ところで中国の大きな都市では,鐘楼と鼓楼がよくあり,城門の開門は鐘,閉門は太鼓となっているケースが多いようだ.
なお鐘楼の上階にはギャラリーがあり,たまたま斎白石先生の作品展が催され,篆書作品など展示されていた.
下は,鐘楼と付近の眺め.
現在西安にある城壁は,唐の長安城をモデルとしてに,1370年代に築かれた,つまり復元されたそうである.レンガ造りで,周囲の長さ約14㎞,高さ12m,上部の幅12~14m,底部の幅15~18mだそうだ.壁と称しても,とても幅広く上部が前述のように12~14mと道路のように広い.実際兵士の移動など道路として機能したのであろう.下の方にはカーペットや書の展示販売コーナーがあった.
宿泊した皇城賓館は市の中心部に近く,鐘楼まで僅かな距離だ.夜そこまで歩いてみると,街は照明が少し暗い印象だが,人出は結構多い.