ヤルカンド(中国名:莎車)は2000年あまりの歴史を有し,かつて莎車国,渠沙国,ヤルカンドハン国を形成したそうだ.新疆西南部,崑崙山脈北麓,パミール高原南面のヤルカンド河沖積平野に位置している.現在農業は綿花や小麦,トウモロコシの栽培を主とし,ハミウリ,ざくろ,葡萄,杏等も産するそうだ.ちょっと最盛期ではないものの,道端で売っていたハミウリをガイド馬さんが調達してくれて,皆で食べてみたが美味しかった.工業は棉紡績,電力,建材,冶錬,食料加工などが主な業種だそうである.電力は意外な感じもするが,崑崙山脈の雪解け水を使うのであろうか?
エンギザルから再びゴビ灘の中,西域南道を進む.どれくらい走ったであろうか?やがてポプラと緑が見え,オアシス都市が近くなったことを知る.仔細に風景を眺めると,ちょうど作付けの頃なのであろうか,畑のあちこちに農作業に勤しむ人たちが見える.
西域南道はそのままヤルカンドのメインストリートになっている.我々の宿泊る莎車賓館はこの通りに面し,一旦ここで荷を置き昼食となる.ここも清真レストランなので豚肉はなし.ウイグル名物ラグ麺だったかな~?
ろば車に分乗し,ヤルカンドの街,主に旧市街を廻ることになった.3~4人ずつ荷台に乗り,さあ出発だ!ここは平坦な道なので揺れも少なくゆっくり進む.
我々のいでたちは一目でおのぼりさんと判る.それほど観光客の多い土地ではないのであろう,衆人の注目を集めるのは必至だ.皆振り返って我々を眺めてくれる.
下は,ろば車から眺めたヤルカンド風景.
アラベスクとウイグル文字で装飾された石棺や四角形,六角形の墓が並んでいる.莎車王国一族の墓だ.莎車国の初代王は1514~1680年の人物のようだ.日本では義昭は将軍の地位を解任され,室町時代が終焉し,織田信長(1534~1582年)が天下を取った頃に相当するであろう.
墓の横にはモスク(右下の写真)もあって,金曜日ではなかったが,幾人かお祈りしている姿が見られた.
アマニサハンはアブドリシチという方の妃で,1526年生まれで1560年に没した.彼女は傑出したウイグル詩人で,ウイグルの古典音楽「ムカム十二篇」を収集しまとめたそうである.13歳で宮廷に召されたが,34歳のとき難産のため亡くなったということである.
前述の莎車王陵の一画というか,独立した広い土地にアマニサハン記念陵がある.陵墓の高さは22mで,一辺10mの正方形の土台に建てられている.典型的なイスラム建築様式だ.陵墓の壁にはムカム12曲の名前が書かれている.(建物正面に掲げられた額縁の「’」が堂々と「,」になっているあたりは少し変だけど).
宮殿は通りを挟んでアマニサハン墓の反対側にある.写真の建物はその規模からして城門であろうか?多分この後ろに宮殿本体が存在したのであろうと想像する.ここに昇ると街が一望できる.正面にはアマニサハン陵墓と木立ちが見える.真下は,往時王宮通りであったであろうが,現在も当時と大きくは変わっていないのかな~と思わせる雰囲気で,ろば車が行き交い,露店で寛ぐ人々の姿がのどかだ.
この辺りは鍛冶屋さんが並んでいる.農機具や建築用品,炊事用具などを作っている.一帯には槌音や,グラインダー,溶接の音が響き渡っていた.
ハミウリはその名の通り,ハミの地に発祥するそうである.またこの辺のハミウリも味には定評があるそうだ.ガイド馬さんがハミウリと西瓜を皆の分用意してくれた.乾いた喉に美味しかった.
下は,鍛冶屋街周辺に居た人たちの写真.