見晴らしのよい丘の上にクズルガハ烽火台があった.クズルガハの名が示すように,クズルガハ千仏洞から近い.看板によれば,千仏洞から1000mくらいの距離のようだ.やはり看板によれば,漢王朝時代に軍事のろし施設として築かれ,13.5mの高さがあり,昼間は煙で,夜は火で信号が発せられたようである.主に土でできているようだが,上部に木製のフェンスが突き出ている.烽火台はシルクロードに沿って5~15km間隔に設けられたそうである.
金曜日はイスラムの最も大事な集団礼拝の日だ.モスクに出掛けるのと兼ねてバザールに来る人も多かろう,すごい人出だ.尤も,こんな混雑の中をバスを進めるのもどうかと思いながらも,皆そうしているからいいことにしよう.こうして眺めると,男性はシックな色合いで,女性は赤など結構目立つ色の服装が多い,かな?
さてこのハトを売るときはどのようにして手渡すのか?ビニール袋は置いてないし,紐もない.下手すると,ぱたぱた,っと逃げられてしまいそうな.....
短く刈り上げ,マッサージのステップに入ったところか?路上だと電気バリカンが使えないのとシャンプーができないのと....多少不便そうであるが,青空の下,快適なのであろう.
下は,金曜バザールの写真.広い駐車場を見ると,この街ではこれまでの西域南道の街と比べてろば車ではなく馬車が多い......いやろばが少し大きめなだけか?
スバシ故城は仏教寺院遺跡.亀茲国最大の寺院であったそうだ.スバシは水源地の意味だそうで,左写真で,手前に僧坊など西側遺跡があり,その先の平坦なところに実は川が流れている.クチャ川と言うそうだ.そして川の向こう側,山(チャールターグ山)の麓にさらに東側遺跡が残されている.建築構造は殆どが日干しレンガか,類似の土の構造体だ.ここは3世紀,後漢時代から晋時代ころの寺院と関連する街の跡だそうで,最盛期には3,000名もの僧侶が居たそうである.
先述の鳩摩羅什(くまらじゅう/クマラジーバ)がここスバシを訪れたときには既に大きな仏教寺院があったそうだ.玄奘三蔵もここに2ヶ月滞在したそうだ.
ガイド伊藤さんの話によれば,ここで発掘された仏塔(ストゥーパ)内部に女性の遺体があったそうだ.しかし,なぜ男性しかいなかった筈の仏教寺院に女性の遺体があったのかは謎のままだそうである.
下は,スバシ故城の写真
クチャでマリアムさんのお宅を訪ねた.奥さんと3人のお嬢さんがご在宅で,一通りご一家の概要をお聞きし,手打ちラグ麺の実演を見せてもらった.蕎麦などは捏ねてから麺棒で延ばし,包丁で細く切るが,ラグ麺の場合,延ばすのは麺棒ではなく,綾取りの糸のように先ず両手の橋渡しし,腕を広げて延ばす.飴作りの手法と同じだ.延ばした後は食べやすい長さにきる.素早い手さばきで,しかも均一な太さに仕上がり見事だ.材料の成分比や捏ねる段階も重要なのであろう.打った麺は,早速茹でてもらい,羊肉の入ったルーを掛け,ウイグルラグ麺として美味しく頂戴した.
次はナンの番だ.小麦粉に牛乳,油,ネギ等を加えてよく捏ねる.それを予め熱した屋外のナン焼き釜に運び,内側の壁に貼り付ける.ナンの直径はドミノピザの大きいサイズよりさらに大きい.貼り付けるには,丸い座布団のようなパッドに載せて,それを壁に運び押し付ける.これにはかなりの技を要し,しかも熱いので火傷を負わないように細心の注意が必要だ.
ナンは街でたくさん売られているが,自家製だと,吟味した材料と焼き方でやはり一味も二味も上で,焼きたては全然違うので,やはり手造りにこだわっているそうである.こちらもアッチアチの焼き上がりを頬張らせてもらい,とても美味しく頂いた.
下は,マリアムさんのお宅の写真.壁のメッカカァバ神殿(多分)の写真がイスラムの家庭らしい.お嬢さんのうちのお一人が裁縫の仕事をやっているそうでミシンがあった.
下は,クチャの写真いろいろ
下は,さらにクチャの写真