ヤルカンドを出発し,ホータン(中国名:和田)に到着した.
ホータン目指し,再びゴビ灘の中,西域南道を進む.殆ど食料になる草が見えないところで頑張る羊,NTTドコモより巨大な中国移動通信のソーラーパネル中継設備,平板な風景に文字通りコントラストを与えてくれる低い山並みなど眺めながら長時間バスに揺られる.
ホータンに到着した.宿はホータン賓館と称し,部屋はわりと普通であった.なぜなら,そろそろ秘境風ホテルになるからと警告されており.....
宿の近くに中学校があり,続々と通ってくる.制服着用がアジアの国らしい.
毛沢東とウイグル族の老人が握手している像があった.この人は次に向かう街ケリア出身のコルバンさんという方だそうだ.何でも,ろば車で,延々と北京まで,尊敬する毛沢東に会いに行ったという.
かつて全国津々浦々にあった毛沢東の銅像は基本的に破壊され,今では歴史的保存物的扱いで,全国で数体残るだけらしいが,この写真の像は別の意味合いで残されるのであろう.
ところでウイグルの清真レストラン(イスラムレストラン)は,少なくとも我々異教徒にはビールなど酒類を普通に出してくれるのはありがたい.超市(=スーパーマーケット)と大層な呼び名の,街の小さなコンビニには,写真のようなお酒もいろいろ販売されており,試してみることができる.写真のお酒とミネラルウォーターで16元,200円くらいでとても安い.
下は,ホータン市街の写真.下段左から2番目の楽器店主は,昔この楽器を携え,他のメンバーと共に6~7週間くらい公演で日本各地を廻ったことがあるそうである.そのとき勉強したという日本語で話し掛け,楽器を弾いてくれた.
豪快な丸焼き.普通切り分けてもらって買っていくようだ.ウルムチやカシュガルのバザールでは見かけなかった.或いはあったのかも知れないが,このように赤く目立つ調味料が塗られていなかったので気付かなかったのかも.
自転車を改造した足踏み式グラインダ.2段増速で砥石を廻している.いいアイデアだ.通りかかったとき,ちょうど包丁を研いでいた.足元には息子さんらしき少年が受付け/会計を担当している.
石焼いもと同じ原理,ただし石の替わりにもっと細かい灰のようである.水が豊かでない土地柄故に育まれた調理法であろうか?
下は,ホータンバザールの写真.下段右端はホータン特産のくるみ.
ここホータンのローカルガイドはグリさん.まだ学生だったような....で,その実家は,今回訪問したシルク工場で,父母と兄を含めて50人ほどの家内工場だ.全般に砂漠っぽいところなので,個人的にはシルクと結びつき難いが,ポプラが立派に育つように,桑の木もまた育つのであろう.糸を紡ぐ工程から,織るところまで殆ど全工程をこなすようだ.女性が多いが男性も混じって機織りに励んでいた.
ウイグル伝統の絹織物はEtlisi(エティレス/アトラス)と呼ばれるようだ.この分野に疎いが,日本の矢絣に近いデザインも多いように感じた.またウズベキスタン女性がよく着ていた洋服の模様ともよく似ていると思った.
下は,ホータンシルク工場周辺の眺め
ここはホータンで最大のカーペット工場だそうだ.標識を見ると専ら輸出用に織っているようである.写真のように大きなカーペットは複数人で同時に織っていくが,それでも一月以上かかるのではなかろうか?尤も,シルクで高密度の高級なものは年単位かも知れない.
絨毯廠に隣接して保育施設があった.絨毯廠で働く母親が仕事の間,ここで預かるのであろう.庭には桐の花や,杏の花がちょうど見ごろで,子供たちが外で遊ぶにもよい季節だ.
下は,ホータンカーペット工場の写真.
普通の道路から,片田舎へ通じるダートの道を暫く走ると,車も入れないような所に至る.マリクワト村の入り口辺りだ.ここには観光客が来たぞーっ,と云う情報が広まるのであろう,ろば車が一斉に集まってきて,どの御者も「どうぞこのろば車に!」と売り込みに必死だ.ガイド馬さんが,団体契約をまとめ,3人くらいづつ分乗してマリクワト故城に向け出発だ.途中古く小さなミナレットのモスクのあるマリクワト村を通過し,再び砂漠を走り,遺跡に至る.背景には崑崙山脈を望むことができる.ただもやがかかり,遠景まではちょっと無理だ.
マリクワト故城の遺跡にはその史跡を示す看板と,幾つかの土塁のようなものが残っているに過ぎない.土器の破片や玉(ぎょく)も少しあったりする.でも見ただけでは素人にはとんと分からない遺跡,というのが正直な感想だ.でもそれだけではあんまりなので,一応,マリクワト故城は仏教からイスラム教に変わる前,漢代~唐代の遺跡で,東西1.4㎞,南北0.8kmの規模でウテン国の夏の都として築かれたそうな.ヨートカン,アクスピリと並ぶウテン国の重要な街場所であったそうな.まあ,でもやはりよく分からないが,これでいいことにしよう.
下は,マリクワト村とマリクワト故城の写真あれこれ.
ここでは残念なことに,同行者の一人がろば車から振り落とされ,背中を強く打ち動けなくなる事故が起きた.ろばが暴れ,御者(女性)も手に負えなくなり手綱を放し,暴走したようだ.ホータン市に救急車を要請し,我々は舗装道路まで戻り,救急車を待った.やがて救急車が現れ,一旦ホータン医院に入院し,その夜のフライトでウルムチに移送される予定であった.しかし北京から専門医が駆けつけ,診断結果,大事をとって,チャーター機で北京の病院に入院することになった.その方と奥様はツアーを継続できなくなり,我々は次の行程へ移行した.
後日伺ったところ,幸い脊髄等への大きなダメージがなく,無事回復された由,不幸中の幸いであったと思う.
ホータンの町外れ,白玉河の河原に来ると,ここに,あそこに,下を向いて,玉(ぎょく)探しを行っている光景が見える.一攫千金狙いの山師は今も多いのがよく判る.玉が無くなる心配はないのだそうだ.なぜなら,崑崙山脈から氷河や雪で削られた玉石が常に下流に流されて来るからだという.ホータンの玉は昔からよく知られ,中原まで運ばれたという.中国の人は今もそうであるように,昔から玉を珍重していたわけだ.玉が運ばれたルートはシルクロードより昔,6,000年前から存在したそうである.
ホータン玉は幾つかに分類され,羊脂玉と呼ばれるものが最高級品だそうだ.手で触ったときその名のように若干ねっとりした感じだ.サンプルでその感触を予め確認練習し,我々も探しに出かけた.何人かの人は小さい玉石ではあるが探し当てていた.