カヘチアKakheti

トビリシからワイン発祥の地カヘチアへ日帰りで出かけた.

カヘチアへGo to Kakheti

油井のポンプ

原油の産出

トビリシとカヘチアを結ぶ線上には,これを遮るように山脈が横たわっている.道路事情が芳しくないせいであろう,遠回りであるが山道を避け,一旦東に進み,折り返すように西北に行くコースが選ばれた.比較的平坦な道で,途中写真のように火が点り,油井のポンプが動いていた.この辺りは多くはないが原油を産出するようだ.

カヘチアへ至る前は平原が広がり,民家は比較的疎らなように見える.途中中世の城跡なども2,3見える場所も通過したが,破壊されて以降放置されたままのようであった.

休憩所の露店

休憩所の露店

途中で立ち寄った街道沿いの村.ここでは,色々な販売品の中で,グルジアでよく知られるというチュルチヘラ(Churchkhela)と呼ばれるパープル色したソーセージ状のお菓子が目立つ.糸で数珠状につないだくるみやへーゼルナッツなどを,ぶどうの果汁等で煮固めたものだそうだ.筆者的には,「ちょっと甘過ぎるな~」といったところ.ぶどうの収穫が終わる10月の末頃に作られ,1年間くらい保存が効くようだ.空港売店などでも見かけたし,あの形態からしてグルジア特産品としてのユニークさは十分高いと思う.

細長いパンをくれたパン屋のご主人

細長いパン

露店の焚き火辺りにたむろするおじさん達と,こんにちは~程度の挨拶を交わしたら,中の一人が道路を突っ切って反対側にあったこのパン屋さんに案内してくれた.きっと評判のパン屋さんなのであろう.店のご主人は焼きたてのパンを掲げてポーズをとってくれ,おまけにまだお腹いっぱいなのでと遠慮申し上げたが,持って行けと言ってきかない.ありがたく頂戴し戻り,皆に千切って食べてもらったら「やはり焼きたてはうまい!」と評判上々だった.ご主人は捏ねとか販売,かまど脇の奥さんは焼きが専門なのかな?


下は,カヘチアへ至るまでの風景あれこれ

カヘチアへ至るまでの風景
カヘチアへ至るまでの風景 カヘチアへ至るまでの風景 カヘチアへ至るまでの風景 カヘチアへ至るまでの風景 カヘチアへ至るまでの風景 カヘチアへ至るまでの風景 カヘチアへ至るまでの風景

ワイナリーWinery

カヘチアの農村でワイン蔵へ入る

ワイン蔵へ入る

カヘチアの農村に着き,ワイン農家を見物,試飲させてもらうことになった.ここはそのワイン農家のワイン蔵,といっても住宅の一部分であるが,の入り口.

グルジアには世界最古のぶどう原種が現存し,ワイン発祥の地と言われているようだ.大陸性気候に恵まれ多種類の土着品種があり,特に赤ワインの香りと後味が特有の渋味や酸味とバランス良く調和している....まあ,表現はいろいろあろうが....そうである.考古学者発掘の石で押しつぶされたぶどう,BC2~3世紀のワイン貯蔵壷などの分析から,5000年前とか8000年前からワイン醸造の歴史があると見られているようだ.

地下のワイン貯蔵瓶から汲み出す

地下の貯蔵瓶から汲み出す

素焼きに近いように見える大きな陶器瓶,一番大きいので3トン入りだったか?,が埋め込んであり,普段口はやはり陶器製の蓋が載っけてある.なので,汲み出すときは蓋を横にどけて,徳利で掬い上げるだけである.なお写真の方がここのワイナリーの奥さん.

埋め込まれた瓶は10本くらいであったであろうか,赤ワインの他,白や,名前を思い出せないがブランデーとは製法を異にする蒸留酒,2種類など試飲させてもらった.ここでは赤がやはり一番良かった.食べておきながら何であるが,おつまみで出してもらった例の細長いパンは冷たく,チーズは塩辛過ぎてちょっと残念だった.

たしかこちらのご家庭では同じ製法で300年続けているそうで,この辺一帯の農家は殆どこうした伝統的少量生産方式でワインを造っているようだ.他国の大量生産に比すれば,効率面/経済面では甚だ分が悪かろうが,隠れた世界の銘酒グルジアワインとして,大昔ではあのクレオパトラが愛し,比較的最近ではチャーチル首相が「買い占めたい」と漏らしたとも言われているそうだ.

カヘチア一帯の住宅建築様式

住宅建築様式

ここカヘチア一帯の住宅はレンガで縁取りし,その中を丸石とセメントで充填した様式が普通のようだ.道路脇にびっしりと並び,農地や牧草地の面積は相対的に少ないようにも見える.ディービッドさんに,人口密度高そうだし,皆何で生計を立てているのか問うてみたが,農業で他地域と同じくらいの密度ですよ.....とのことだった.


下は,羊が放牧されたぶどう畑,ワイナリーの道具,満開の庭の桜など

カヘチア風景
カヘチア風景 カヘチア風景 カヘチア風景 カヘチア風景 カヘチア風景 カヘチア風景 カヘチア風景

カヘチア家庭料理で昼食

別の家庭で昼食

上のワイナリーから数km走ったであろうか,別の家庭を訪問した.暖かいジャガイモ入りスープは家庭料理の味だ.また名物グルジアチーズパン,ハチャプリ(Khachapuri)がここでは熱くてとても美味しかった.筆者は普段朝食で,チーズとアンチョビーペーストを載せてトーストしたパンを毎日食べているくらい,チーズパン系は元々好きなので,熱いグルジアチーズパンは最高だ.

奥さんの他に2人の女性が料理と給仕をされていたので,帰りしな「奥さんのお子さんですか?」とお伺いしたら「いえ,近所のもので,法律を学んでいる上の息子が20歳,私が38歳になりますよ」と,質問以上にかなり立ち入って回答してくれた.でも38歳なら,やっぱりここのお宅のお嬢さんに見えてもおかしくないかも.

アラベルディ修道院Alaverdi Monastery

アラベルディ修道院前

アラベルディ修道院前

一旦テラビの街を過ぎてから,アラベルディ修道院まで辿った.この修道院の歴史は6世紀まで遡るそうだ.アッシリアの修道僧ジョセフ(Joseph)という人がここアラベルディに落ち着き,建立したそうである.現在も大聖堂の周囲に建てられた僧院には修道僧が暮らしている.ちゃんと家畜もいたし,畑もあった.入り口では担当の修道僧が見学ルールを説明してくれていた.

アラベルディ修道院大聖堂外観

大聖堂外観

外観は四角形の本体に十字架形の屋根が載り,中央に円錐屋根を有する丸いドームが立っており,典型的グルジア正教様式に見える.現大聖堂部分は11世紀の頃は,グルジア正教修道院の一部であったそうだ.高さは55mもあって,周りは平原であるのでよく目立つ.

なお,ここは見学者に対しても所定の規則が適用され,一つに女性のスカート着用があった.入り口でスカートを貸与してくれるのでスラックスの上からそれを着用していた.イスラムモスクでの脚露出不可とは対極にあるようで興味深い.

玄関から写したアラベルディ修道院大聖堂

大聖堂内部

外部撮影可,内側は不可ということで玄関から写した.入って見上げるととても大きなドームだった.現在は比較的過疎地に位置しているためであろうか,前日訪れたムツヘタのジュワリ聖堂やスヴェティツホヴェリ大聖堂にはそれなりの数の信徒が居たのに,ここでは私たち以外見かけなかった.尤も入り口門脇には蝋燭を販売する人がちゃんといたので,たまたまかも知れない.

アラベルディ修道院出土品

出土品

歴史ある修道院のため,敷地からはいろいろ出土するようだ.これはワイン用,大小の瓶だ.他に古い建造物の構造材や石版のようなものがまとめて置かれていた.


下は,アラベルディ修道院の写真あれこれ

アラベルディ修道院の写真
アラベルディ修道院の写真 アラベルディ修道院の写真 アラベルディ修道院の写真 アラベルディ修道院の写真 アラベルディ修道院の写真 アラベルディ修道院の写真 アラベルディ修道院の写真
アラベルディ修道院の写真 アラベルディ修道院の写真 アラベルディ修道院の写真 アラベルディ修道院の写真 アラベルディ修道院の写真 アラベルディ修道院の写真 アラベルディ修道院の写真

アラベルディ修道院周辺の眺め

大コーカサス山脈に近いのであるが,残念ながら頂部の雲は取れない.平原には牛や羊が放牧されており,のどかな光景が広がっている.

アラベルディ修道院周辺の眺めアラベルディ修道院周辺の眺め

イカルト修道院Ikalto Monastery

イカルト修道院外観

イカルト修道院外観

このイカルト修道院は,前述のアラベルディ修道院から少しテラビ方向に戻ったところに位置している.とてもコンパクトな建物であるが白くて綺麗だ.ここも歴史があり,6世紀に聖ゼノン(St. Zenon)という人が創設したそうである.カヘチアの文化的中心として極めて重要な役割を果たし,当時著名な哲学者が学校(アカデミー)を作ったりしたのだそうだ.そこでは天文,工学,哲学,幾何学....等々教えたようである.

本堂の右側裏手に回ると,ワイン用のぶどう潰し場や貯蔵跡があった.なお,前述の学校はワイン造りのためのぶどう栽培法,醸造法,陶器造りなどの実学も教えたようである.

ここの敷地も決して広くはないが,糸杉が青々と繁り,見事だ.なおここは現在常駐の聖職者が住んでいる風には見えなかったが,さて実際はどうであろうか....

生きている柱のイコン

生きている柱のイコン

スヴェティツホヴェリ大聖堂の生きている柱(Pillar of Life, Life-Giving Pillar)のストーリーを絵にしたものだ.これは今まで覗いたグルジアの教会に共通して掲げてあったものだ.グルジア正教にとって重要なより所なのであろうと感じられる.


聖ジョージ(St. George)のイコン

聖ジョージ(St. George)のイコン

聖ジョージはグルジアで最も尊敬されている聖人だとディービッドさんが言っていた.こちらもまた見て回ったどこの教会でもあったように思う.槍を持ち,馬に跨り,東洋とは逆にヨーロッパでは悪の象徴ドラゴンをやっつけている勇姿は力強い.ところで聖ジョージがグルジアの語源なのかどうか確かめなかった.うかつであった.


下は,イカルト修道院の写真あれこれ

イカルト修道院の写真
イカルト修道院の写真 イカルト修道院の写真 イカルト修道院の写真 イカルト修道院の写真 イカルト修道院の写真 イカルト修道院の写真 イカルト修道院の写真

イカルト修道院の周辺はこんな感じで,修道院の地にピッタリなのかな~と,判らないながらそんな風に感じられる.

イカルト修道院の周辺イカルト修道院の周辺
イカルト修道院の周辺イカルト修道院の周辺

テラビTelavi

テラビの街

テラビの街

コーカサス山脈の麓,標高800mに位置し,青銅器時代既に存在し,かつてのカヘチア王国の都だったそうだ.現在2.8万人が住むということだから小さな町に相当しようか.


入れなかった宮殿博物館

宮殿博物館

ここを見学するため4:30PMに到着した.閉館時間は5:00PMの筈なので確かに遅めであったが,事前に予約を入れておいてあったし,まさか入館できないなんてことがあろうとはガイドはじめ誰しも予測しなかったことだ.でも閉まっていたのだ.何でも,館管理者の親族にご不幸があり,定時より早めに閉めて引き上げたのだそうだ.私たちのガイドは計画の責任上必死で交渉に当たったが,門番が言うには,重要な品が陳列され,管理責任者が居ないことには開ける訳にはいかない.中央省庁にも問い合わせたが開館の許可は出ない.....と埒が開かず,結局諦めることになった.まあ,こう云うこともあろう.

テラビの難民アパート

難民アパート

多分条例で定められているのであろう,この建物以外この辺りでは高い建物は見当たらない.で,この建物はアブハジアやオセチアからの難民キャンプとして使われているのだそうだ.グルジアは日本のほぼ5分の1という小さな国であるに拘わらず,国内に大きな民族問題を抱えるのを垣間見る思いがする.


下は,テラビの写真あれこれ

テラビの写真
テラビの写真 テラビの写真 テラビの写真 テラビの写真 テラビの写真 テラビの写真 テラビの写真

トビリシへ戻るback to Tbilisi

こうしてカヘチア地方の観光が終わりトビリシに戻ることになった.ようやく夕陽が見えて嬉しい.やはりカヘチアを離れると民家は疎らで有効な土地が広くなっているように感じられて仕方ないのだが......

カヘチア地方の夕景カヘチア地方の夕景
カヘチア地方の夕景カヘチア地方の夕景


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