このジュンガル盆地編ではシルクロードから少し逸れるであろうが,天山北麓から北側の殆どグルバンテュンギュト砂漠が占めるジュンガル盆地を経てアルタイ山脈山麓へと渡ったときの写真を載せました.
新疆ウイグル(中国)のジュンガル盆地(Dzungarian Basin)は天山山脈北側で,マーカー7の辺りに位置している.ジュンガル盆地のかなりの部分は広大なグルバンテュンギュト砂漠が占めている.
さて暫く天山北路を離れ,ジュンガル盆地以北を見物することになるのだが,新疆の中の位置付けを見てみよう.これにはガイドWさんが説明してくれた『疆』の漢字について見ると分り易い.
先ず疆の文字は比較的新しく,元の時代にできたそうだ.そしてその漢字構成要素は左図のように,弓編は諸外国と接する国境線,土は領土,3つの一は上からアルタイ山脈,天山山脈,崑崙山脈でその間の田はジュンガル盆地とタリム盆地だそうである.まあ,表意文字の典型,見本と言えよう.そして2文字『新疆』で,新たに獲得した領土となり,新疆ウイグル自治区の面積は165万km2で,日本の約4.5倍もあり,しかも資源も豊富であるから,今後も死守していくであろうし,比較的複雑な疆の簡体字を設けることも絶対ありえないであろう.
なお手元の全訳漢字海(三省堂2000年の版)で『疆』を引いてみると,
“【名】(1)境界,領域 (2)限界 【動】境目を設ける”
とそっけなく,やはり領有権が絡むか,あるいは蚊帳の外かで甚大な差があるようだ.
で,天山北路は真ん中の一(天山山脈)の上に沿う辺りを走り,この日から暫くは,上の田(ジュンガル盆地)や上の一(アルタイ山脈)の下辺りを見て廻るということになる.
さてジムサルを出るとバスは北へと向かった.腕利きのバスドライバCさんは,高さ制限バーのあるところでは脇の荒れ地に逸れてかわし,車幅制限コンクリートブロックのあるところでは軽くいなすように一旦後退し,横の道路斜面を登るという荒業でアルタイに連なる国道216号線へと入っていった.
どこからジュンガル盆地の区切りであるのか定かではないが,少なくともゴビ灘っぽいところに入れば,低地であろうから盆地の内部であろう.いやそれどころか既に盆地内部のグルバンテュンギュト砂漠の範囲に入ったのかも知れない.
ピンクの花の季節は過ぎたようだが,この辺りはタマリスクの木が多く見られる.
ここも原油を組み上げるポンプが木下順二夕鶴の影絵のように首を上下させている.そしてなぜか群れてないラクダが悠々と散歩しているのは面白い取り合わせに映る.羊や牛,ヤギが主に肉やミルク,毛皮...が目的であるのに対して,ラクダだけは運搬トラック役なので,多くの時間はとても暇だ.それで肉やミルクを作らなくていいのをちゃんと弁えているのか,ゆっくり散歩したり,跪き座っていたりで,羊や牛,ヤギのようにのべつ幕無しガツガツ食べる(それが仕事だが)光景に出合うことはない(半ば思い込みか?)
原油も採れるが水源地もあるようで,標識が掲げられている.その昔,突厥やモンゴル軍との戦いではこうした水場の確保はジュンガル盆地制覇のカギであったことであろう.
さてこうしてグルバンテュンギュト砂漠を突き進んだ.グルバンテュンギュト砂漠の面積は4.88万km2で,タクラマカンに次ぎ中国で2番目の大きさになるそうだ.タクラマカン砂漠は動いて(主に拡張)いるが,グルバンテュンギュト砂漠は動かないという.グルバンテュンギュトは,明確な意味は不明ながらモンゴル語に由来するそうで,モンゴル族支配の時代の長かったことが窺える.
そして暫く進むと『世界唯一古海温泉』の看板があった.石油埋蔵調査の掘削で,原油の代わりにお湯が吹き出たということだ.写真のように周囲の地面は白いが,これは塩(NaCl)ではあるが,温泉はちゃんとした熱い清水とのことだ.中国人観光客の人気スポットになっているそうで,温泉ホテルも備えられている.
世界唯一古海温泉(行政的には新疆五彩湾温泉らしい)のレストランで昼食となった.何しろ広い砂漠の中なので選択肢はなく,有無を言わさずこことなるようだ.写真右手の個室で中華料理であったか,美味しかった.周りに食材は一切ないので,運んで来るの大変だな~との評価が上がっていた.
昼食後温泉から暫く進むと国道216線脇に火力発電所があった,国道から少し右の脇道先にも2~3基の大きな煙突が見えた.上述のようにこの辺りでは原油を産するので,それを精製した燃料で,別途汲み上げた地下水を加熱,蒸気発生でタービンを廻しているのではなかろうか.
発電所からさらに進むとたくさんの車や観光バスが停車し,場違いに人集りが見えた.人々の視線の先には一頭の馬がいて,これを見物しているようだ.
こうして見ると,疎らに思える砂漠の道を,それなりの観光客(多分)が通過するのだな~と思われた.
私達もバスを降り,馬に近づく.大勢の人に寄られても悠々と草を食んでいる.モンゴル種野生馬だそうだが,大したもんだ.ガイドWさんも,何回か遭遇したことはあったがこれ程間近に見るのは初めてだそうだ.
モンゴル種野生馬は中国全土(といってもこの辺りだけに棲息らしいが)で2000頭しか居らず,保護されているそうだ.そんな訳で危害を加えられることがないためか,人が間近でも悠々としているのであろう.体型は普通のサイズ程度で,首が太く,いやネックレスのように見える.短めのたて髪も特徴かな?
下は,グルバンテュンギュト砂漠での写真
野生馬からさらに進むとアルタイ山脈が近くになり,村が見えてくるようになった.そして,それまで一切見られなかった川,しかも大きな川,ウルング川のようだ,が現れ,そこに架かる恰庫爾図大橋を通過した.恰庫爾図の読み方は見当付かなかったが,どうやらチャクアルトというらしい.
地図を見ると,アルタイ山脈から流れ出て,他の流れと合流し,西のカザフスタンはザイリン湖に注ぐようだ.何れにしても大きな砂漠の後に出現した大河には驚かされた.
バスは中国石油のGSで給油した.隣に並んだやはり給油中の大型トレーラーでは,お店の窓拭き嬢がハイヒールの足をバンパーに掛け,フロントグラスを拭いていた.気を付けてね.
新疆では(中国全土でもか)中国石油が多く,次いで中国石化が,そしてその他が続く.ドライバCさんは専ら中国石油で軽油(柴油と書かれている)を入れるそうだ.中国石油の柴油は4km/リットル,中国石化のは3km/リットルで,随分走行距離が違うからということだ.それほど差があるなら当然でしょうね.なお柴油は4.7元(80円くらい)/リットルなので日本よりかなり安いようだ.やはり産油国の強みだ.
やがて砂漠が途切れがちになり,代わって草原が増えてくる.村や街も点在するようになる.ちょっと小さいが馬上のカウボーイは白いキャップをかぶっているようだ.ならば回族であろう.この辺りでは比較的多いカザフ族やモンゴル族に混じってもっと少数の民族も生活しているのであろう.
さすが新疆でも,午後9時を回れば暗くなる.ドライバCさんは頑張ってバスを進めた.途中北屯の街(昔屯田兵の派遣されたかなり北外れの駐屯地だったそうだ)で遅めの中華の夕食を頂戴した.そしてさらに西行を継続,既に当日を越え,翌9/17へと日付の変わった深夜12時過ぎ(写真まん中の時計),アルタイ市の金都酒店に到着した.Cさんお疲れ様でした.前日予定されていた北庭都護府観光が今朝にずれ込んだのが主要因だが,今回のツアーは結構ハードだ.Cさんに比べればどうってことない筈だが.
下は,グルバンテュンギュト砂漠でアルタイ山麓に至るまでの写真
まあこうして9/16の日程は終了した.あすはアルタイ周辺の見物だ.