ウルムチ(烏魯木斎)前半Urumqi part1

このウルムチ前半編では天山北路旅行の出だしとして羽田から北京へ飛び,北京からかつて天山北路の大事な街であり,現新疆ウイグルの首都ウルムチに至り,ここで一夜を明かし新疆ウイグル自治区博物館を見物したときの写真を載せました.


ウルムチ付近のGoogleマップ

ウルムチ(烏魯木斎)はマーカー2の辺りに位置している.

北のジュンガル盆地と南のタリム盆地の間を走る天山山脈の麓になる.

羽田から北京へfly to Beijing from Haneda

中国国際航空(Air China:CA)のウエブチェックイン

暫く前に旅行会社から出発便の知らせが届いていた.羽田からの中国国際航空(CA)便で,『同社ウエブチェックインのページ』から,羽田発便は搭乗日前日の13:00からウエブチェックインが可能であるようだ.なおこの際パスポート番号入力でページに入ることが可能だ.

で,前日2013/9/11の13:00きっかり,上記ページにアクセスし先ずは羽田から北京便(CA-182)のシート(通路側)を確保する.また,北京からウルムチ便(CA-1295)もCA便なので,2便ともチェックイン可能ですよと案内が出るのだが,そちらもトライしたのだが,なぜかこちらはどうしてもチェックインできなかった.一旦出て,再度入ろうとしても,もうチェックイン可能なフライトはありませんよ,的メッセージでリジェクトされる.....orz

まあ,片方ができたのでいいことにするか.

羽田の両替店はぼり過ぎでは

羽田の両替店はぼり過ぎでは

さて2013/9/12午前JRと京急で羽田空港に行った.羽田がリニューアルされたのはだいぶ前のことだが,私には初めてだ.成田と較べて圧倒的に近いのがいい.

国際線ターミナル駅で降り,エレベータで昇り,出発ロビーに向かう.途中両替店(銀行だったか?)があり,中国元(ユアン)を買おうかな~と思い,写真の両替レートを眺めて驚愕する.1元買うのに18.47円,1元を売ると13.89円になる,ということだ.買売差が4.58円,片側で2.29円,率で15%くらい.あまりにも手数料が高い.....1万円で541.41元になる.

今改めて2ヶ月前四川省に行った時のメモを見たら,ガイドSさんが両替してくれたレートでは550元だったようなので,殆ど変わりない.でも羽田での買売差に一人憤慨し,とりあえずここでの両替するのは止めた.

また因みにUS$の手数料を見ると,5円,5%くらいで普通の街の銀行支店より高いが,中国元に比べればかなりマシだ.

ところがである,北京空港で荷物の出てくるまで少し間があったので,よく見ないで両替したのだが,羽田のここよりず~っとレートが悪かった.どうやら欲をかいて失敗したようだった.


コンパクトな羽田空港出発ロビー

コンパクトな出発ロビー

先般決まった祝2020年東京オリンピックの垂れ幕がひときわ目立つ出発ロビーにやって来た.初めて見る目には随分コンパクトな印象で,ちょっと驚く.

主催旅行会社のブースはすぐ見つかり,添乗Kさんからeチケットや参加者リストを貰い,案内を聞く.参加者は11人(m7,f4)だそうで,皆さんどうぞよろしく.

次に中国国際航空カウンタに行き,ウエブチェックインでプリントしたA4サイズの搭乗券を提示し,荷物を預け,同じスターアライアンスANAのカードにマイレージを加算して貰う.A4サイズの搭乗券は普通の厚い紙のものが再発行されて,ウエブからうまくできなかった北京/ウルムチ間フライトのシートを決め,搭乗券を渡してもらった.


羽田空港の江戸小路

江戸小路

フライトチェックインが済むと時間があったので,開業時テレビニュースで眺めたことのある江戸小路に行ってみた.なるほどなかなかユニークな造りの街並みでいいのではないか.ただ勝手に想像していた映画で見るような大江戸の街とかに比べると,店舗数は僅かでまあ箱庭のような趣だ.


羽田からCA-182便で北京へ

CA-182便で北京へ

CA-182便には定刻に搭乗し,離陸した.機材はA321-200機で,エコノミークラスは3-3のシート配列,搭乗率80~90%のようだ.シートに個別モニタはなく,4時間弱のフライトにはちょっと物足りない.

少しして夕食を出してくれた.中国の燕京ビールも出してくれた.燕京は北京の昔の名前(燕の国の都の意)だそうで,東京に対する江戸のようなものであろう.いや,燕は紀元前1100年もの昔から存在した国家,江戸より遥か昔より栄えた地なのでちょっと違うかな.まあそんなビールではあるが,味は薄い(アルコールが少ない).中国のビールはどのブランドのビールも押しなべて薄いのが普通だ.どうしてだろう?


羽田から北京首都国際空港に到着

北京首都国際空港に到着

CA-182便は予定より少し早く到着した.乗降客数世界2位という大きな空港のようだ.入国審査を済ませ,荷物を受け取る.

続いて写真の国内線ゲートに向かった.ここでは暫く待つことになる.ウルムチ便を待つベンチにいると,隣の3人組の一人が,バッグから薄い布切れを取り出し,バッグに付いたコンパスを眺めながら床に敷き,跪くと小声で呟きながらお祈りを始めた.イスラム一日5回のお祈りの最後のお祈りであろう.敷物がカーペットでなく,ごく薄いことに驚く.でも旅に携行するには便利であろう.それと,一人だけがお祈りし,他の2人はお祈りしなかった.信心の程度差の現れか?

私がしげしげと眺めていたのであろうか,中の一人が『お前はモズレムか?』と訊いてきて,うまく伝わらないながら色々言葉を交わす.男はウイグル族のクチャ在住で,3人の息子がいると,スマホの写真を見せてくれた.可愛い! 漢族であれば一人っ子であろうが,少数民族なので3人でも制限を受けないようだ.


北京首都国際空港の書店には稲盛和夫氏の著作も

書店には稲盛和夫氏の著作も

暇つぶしにゲート前の書店を覗いてみた.概してハウツーものの割合が多いように見受けられる.あれほど嫌っている日本人ではあるが,驚いたことに稲盛和夫氏の中国語訳版数巻が大々的に広告されている(写真上方).日本ではもち論経営の神様的存在であるが,このレベルになるとどうやら中国にも響いてくるようだ.

北京からウルムチへget to Urumqi

北京首都国際空港C33ゲートからCA1295便に乗り込む

C33ゲートからCA1295便に乗り込む

C33ゲートでは定刻から30分ほど遅れてウルムチ行きCA1295便の搭乗が始まった.機材はB737-800機で,エコノミークラスは3-3のシート配列,満席のようだ.こちらもシートに個別モニタはなかった.

夕食時のフライトで,食事を出してくれた.しかしビールやワインは付いていない.中国の国内線エコノミークラスは,有料も含めてどこも酒類は出さないらしい.


北京からウルムチ国際空港に到着

ウルムチ国際空港に到着

搭乗後何の説明もなく1時間余り待たされて離陸.気流が悪く相当揺れた.ただし気流の関係で離陸が待たされたのかどうか一切アナウンスされず不明.北京空港(や他の中国の空港)は混み合っていたり,大気汚染の視界不良で定刻離陸の割合がとても低いそうだ.

そんな訳でかれこれ定刻の2時間遅れ9/13の01:50にウルムチ国際空港に到着した.荷物をピックアップし出口に向かう.ウルムチは適度な気温でカラッとした空気に感じられた.


真夜中のウルムチ空港

真夜中のウルムチ空港

空港出口ではこれから2週間お世話になるガイドWさんとドライバCさんが,中型バスを伴って待っていてくれた.よろしく願います.

バスに荷物を積むと,ホテルに向けて出発した.空港ターミナルビルに掲げられた漢字(烏魯木斎)に並んで読めないのだがウイグル文字の標記(写真右端)が新疆ウイグルの香りを漂わせている.早速Wさんの説明を引用すれば,ウルムチでは漢族が72%,ウイグル族が20%,他の少数民族が8%だそうで,ウイグル族は必ずしも多くないがウイグル文字標記に関しては所定のルールがあるそうだ.因みにWさん,Cさんともに漢族だそうだ.


明け方3時少し前,ホテルに到着

明け方3時少し前,ホテルに到着

バスは深夜のウルムチを駆け,明け方3時少し前,海徳酒店ホテルに到着した.とても広い部屋で,テレビはCNNも映り,PCも設備されている.今回のツアーでは最もいいホテルのようだ.ただ何分にも遅い到着で,明日(今日)のスケジュールも目白押し,これを活用する時間的ゆとりが全くないのは皮肉だ.

まあ,これで第一日目の予定は完了した.風呂に入ってゆっくり休もう.お休み!

新疆ウイグル自治区博物館Xinjiang Uygur Museum

朝の海徳酒店前

朝の海徳酒店前

9/13海徳酒店で目覚め(Kさんが電話で起こしてくれた),海徳酒店のレストランで朝食(バフェ)を頂いた.たまたまテーブルで3,40代と思しき日本人女性と一緒になった.テント泊のキャンプ旅行でこの地を訪れていた70代後半のお父上(福岡在住)が,テントの外で高熱で倒れているのが発見され,看護のため和歌山から駆け付けたそうだ.多分軽い脳梗塞で倒れ,屋外の寒い環境で肺炎を起こしたのではと云うことだ.お気の毒なことだ.既に一週間経過し,大分改善され,あと少ししたら東京の病院に転院したいのだが,病院が開いている時間帯の東京着フライトが見当たらず困っているそうだ.女性は,ウルムチが,日本の居住市より圧倒的大都会で驚くと共に,この先ゆっくり旅行で訪れてみたいと言う.健康を回復し,ぜひそうして頂けたらと思う.

朝食後バスに乗るため表に出た.涼しく爽やかでいい天気だ.地下街入り口に辰野TATSUNOと日本語読みの看板が見える.初めて聞くブランドだが,ガイドWさんによれば日本人経営のスーパーマーケットだそうである.


新疆ウイグル自治区博物館入り口前

新疆ウイグル自治区博物館入り口前

さてバスは新疆ウイグル自治区博物館にやって来た.以前新疆ウイグルの旅2005で訪れたときは質素な造りで狭かった.それがその直後にリニューアルされ,このようにオープンされたようである.

入り口にはX線監視装置も設けられ,セキュリティが強化されているが,以前はダメだった撮影が自由だそうでうれしい(フラッシュは不可).尤も撮影に関するルールは結構頻繁に変わるそうで,たまたまラッキーだったのかも知れない.


新疆ウイグル自治区博物館の新疆の歴史と出土文物展覧

新疆の歴史と出土文物展覧

この博物館で展示カテゴリーの一つが『新疆の歴史と出土文物』だ.土器とか,シルクロード交易で運ばれた品々が展示されている.紗などの絹製品,染物や刺繍,漢字のみならずウイグル文字やサンスクリット文字,アラビア文字などの書簡などが見られ,いかにもシルクロードの香りだ.


新疆ウイグル自治区博物館の新疆の少数民族の民俗展覧

少数民族の民俗展覧

展示カテゴリーのもう一つは『新疆の少数民族の民俗展覧』で,10を超える民族(*)の伝統衣装を纏ったマネキンや住居模型,生活道具....などが展示されている.部族毎の違いは大きく,とても分かり易く展示されている.

例えば写真はモンゴル族のゲルで入り口扉(暖簾)は一枚だが,これが別の遊牧民,カザフ族のテントは大型で,入り口は2枚の扉で構成されているのがよく分かる.尤もこれはガイドWさん解説の受け売りであるが (^^;

(*)人口は多い順に,ウイグル族,漢族,カザフ族,キルギス族,モンゴル族,東郷族,タジク族,シボ族,満族,土家族,ウズベク族,オロス族(ロシア人),ミャオ族,蔵族,チワン族,達斡爾族,タタール族,撒拉族だそうだ.後日(9/19)カナス湖で訪問するトワ族はこれらより更に人口が少なく,この範囲に含まれないそうだ.



下は,新疆ウイグル自治区博物館での写真

新疆ウイグル自治区博物館での写真
新疆ウイグル自治区博物館での写真 新疆ウイグル自治区博物館での写真 新疆ウイグル自治区博物館での写真 新疆ウイグル自治区博物館での写真 新疆ウイグル自治区博物館での写真 新疆ウイグル自治区博物館での写真 新疆ウイグル自治区博物館での写真
新疆ウイグル自治区博物館での写真 新疆ウイグル自治区博物館での写真 新疆ウイグル自治区博物館での写真 新疆ウイグル自治区博物館での写真 新疆ウイグル自治区博物館での写真 新疆ウイグル自治区博物館での写真 新疆ウイグル自治区博物館での写真

新疆ウイグル自治区博物館の楼蘭の美女(Loulan Beauty)

楼蘭の美女(Loulan Beauty)

展示カテゴリーのさらに一つは『新疆のミイラ』で,博物館2階にその展示スペースが設けられている.そしてここには館所属の学芸員呉さんが引率し,解説して下さった.ここで特に有名なのは『楼蘭の美女(Loulan Beauty)』で,以前来日し評判になったのも記憶に残る.また2005年,古い建物の時は停電で,懐中電灯で照らし出し,恐るおそる見たものだが,今回は明るい中でくっきり見ることができた.

解説によれば,楼蘭の美女は炭素年代測定などから,およそ3800年前のヨーロッパ系白人(ウイグル人などと異なりトルコ系ではないそうだ)で,身長157cm(現在は152cm,10.1kg)で血液はO型,死亡時45歳,社会的地位は高くないので副葬品はあまりなく,胡楊の木(活きて千年,枯れて千年,倒れてなお千年のあの胡楊)の棺に収まっていた,という.

なおミイラを見ただけでは私はとても『美女』を思い浮かべることができなかったが,傍らに復元ポートレイトや身に着けていたローブ状着衣や皮革ブーツを含めた復元マネキンが展示されており,これでようやく『美女』であることが判った.

なお『楼蘭の美女』と言い出したのは日本人らしいと聞くが,ミイラから直接脳裏に生前像を描けるのはやはり考古学者や法医学者など専門家の成せるワザであろうと,改めて感心した.


新疆ウイグル自治区博物館唐代将軍ミイラの復元モデル

唐代将軍ミイラの復元モデル

こちらはぐっと時代が下り,1300年ころ唐代の頃の将軍のミイラの復元モデル.身長180cm,馬に跨るためO脚で,厚い胸のがっしりした立派な体躯.数々の副葬品や残された中央政府の公的記録から,唐の将軍と見られるそうだ.

ところでエジプトのミイラは内蔵を取り出したり,防腐剤に漬けたり,多重の棺に収めたり....といろいろ大変だが,タクラマカン砂漠では,そこに置けば自然にミイラになるという.

そんな訳で幼児のミイラ刺青ミイラ,...など新たに続々と見つかり,展示されるそうだ.これらは発見から日が浅く,出版物や公開資料にはまだ載っていないそうである.現代医学で鑑定すれば部族の入れ替わりなど明らかになり,古代からのシルクロードの歴史がより詳しく解るようになるであろう.


下は,新疆ウイグル自治区博物館2階ミイラ館での写真

新疆ウイグル自治区博物館での写真
新疆ウイグル自治区博物館2階ミイラ館での写真 新疆ウイグル自治区博物館2階ミイラ館での写真 新疆ウイグル自治区博物館2階ミイラ館での写真 新疆ウイグル自治区博物館2階ミイラ館での写真 新疆ウイグル自治区博物館2階ミイラ館での写真 新疆ウイグル自治区博物館2階ミイラ館での写真 新疆ウイグル自治区博物館2階ミイラ館での写真

これで一旦ウルムチ前半の観光を終え,トルファン経由でピチャンに向かう.



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