ピチャンPiqan

このピチャン編では天山北路途中のウルムチを一旦離れ,北路のスタート地点ハミ(翌日到着予定)に向かうため,天山南路のトルファン,火焔山を経て,ピチャンまでやって来たときの写真を載せました.


ピチャン付近のGoogleマップ

ピチャンはマーカー3の辺りに位置している.

タリム盆地北端にあって,南には広大なタクラマカン砂漠が広がっている.

ウルムチを離れるleave Urumqi

天山南路は高速道路が整備

天山南路は高速道路が整備

新疆ウイグル自治区博物館を見物した後,バスで天山南路にあるトルファン方面に向かった.途中まだ完成していない部分もあるようだが,かなりの区間に高速道路が整備されているそうだ.

なおウルムチは大都市なのに地下鉄が通っていないが,現在工事中だそうである.


ウルムチを離れる途中多くはないがモスクも見える

多くはないがモスクも見える

前ページで記したように現在のウルムチは漢族,非イスラムが主であるのでモスクは然程目立たない.それでもたまにこのように見掛けることができる(写真左側).

新築マンションがどんどん建てられている.現在内装なしで1万元/1m2くらいであるが,都心ではもっと高いそうだ.北京辺りと比べれば1/3くらいで,今夕到着を目指すピチャン辺りからすると3倍くらいの価格になるという.ただ不動産価格は急変(上昇),以前Wさんが買った時,少し経ったら取引価格が2倍くらいになっており,驚いたことがあったそうだ.バブル進行中とも言えよう.

ところで漢族ガイドWさんの父親は他省からの移住者で,2代目Wさんは,一人っ子政策以前の生まれで3人兄弟だそうだ.Wさん自身のお子さんは漢族一人っ子政策に従い一人だそうだ.でもたとえ,その政策が解除されても,一人っ子以上は難しいでしょうね~と言う.親が,子に対する住宅購入資金提供などするのはもはや普通で,子供が多くてはとても生活していけない....ということのようだ.ふ~ん.


ウルムチ郊外に出ると風車ファーム

ウルムチ郊外に出ると風力発電ファーム

トルファンまで149kmの標識が見えるウルムチ郊外辺りに出ると風力発電ファームが現れる.風は4月ごろ最強となり,地形によっては烈風となるそうだ.そうした場所では走行車両が横倒しになることもあり,道路の上下線は離して設置しており,万が一の正面衝突を避けるようにしているそうだ.

なお一般区間の普通車両は120km/h,バスは100km/hと標識に記されている.


ウルムチ郊外,延々と続く風車群

延々と続く風車群

風車は延々と続いて設置されている.数百基とかのレベルではなく,数千のオーダーであると感じられる.土地は国有で,電力会社も国営らしいのでどんどん拡張しているようだ.

仔細に眺めると停止している風車もままあり,信頼性はまだ十分ではないのかな~と思わせるところもある.元々の数量が多いだけに,多少故障しても大きな問題はない,と云うことなのであろう.


ウルムチ郊外を南疆鉄道が行く

南疆鉄道が行く

ダブルデッカーの客車がウルムチに向かっていった.南疆鉄道であろう.この線路は結構頻繁に旅客列車や貨物列車が走っていく.ウルムチ総人口は250万人だそうなので,それと対比すればまだまだ輸送力は不十分であろう.


天山山脈ボゴダ峰

天山山脈ボゴダ峰

巨大な天山山脈の中で,代表的峰の一つにこのボゴダ峰(5,445m)が知られている.なかなかいい山だ.ガイドWさんによればボゴダとは神山の意だそうであるが,ウイグル族やカザフ族などイスラムにとって神は唯一神アラーだけなので,神の山に矛盾はないのかな....とか,もっとちゃんと聞いておくべきだった.

トルファンTurpan

高速鉄道も工事中

高速鉄道も工事中

やがて塩湖の料金所を通過し,SAで休憩した.また南疆鉄道の旅客列車が過ぎて行く.その背後に高速鉄道(新幹線)の工事(写真でちょうど真ん中辺り)を見ることができる.多くは荒れ地の国有地であろうから,土地買収の問題は生じないし,工期は短いであろう.


トルファン近くの新車運搬車

新車運搬車も行く

ウルムチ方面へ新車運搬車も走って行く.上下各荷台には2列づつ乗用車が積載されている.この運搬車がそうであるように,中国のトレーラートラックは巨大だ.これも道路が立派なためであろう.日本の道路ではこれほどの大型車が通過できるところはあまりないのではなかろうか?昔のシルクロード周辺,現代の道路に関してはとにかく圧倒的だ.


トルファンの小さな村にやって来た

トルファンの小さな村にやって来た

ここは定番の観光用カレーズも用意されているトルファンの小さな村だ.ウイグル料理の昼食を頂戴するために立ち寄った.

並木道の両側には特産のブドウや干しブドウを並べた露店や,ブドウ農家が並んでいる.何軒かの農家はウイグル家庭料理やブドウ製品のお土産を提供する観光業も兼業している.

トルファンは突厥語で『物産が豊か』の意と説明があったので,元より農作物がよく育ったところなのであろう.


トルファンでウイグル家庭料理を頂く

ウイグル家庭料理を頂く

で,私達はこのお宅の庭のブドウ棚下のテラスでウイグル家庭料理を頂くことになった.ピラフやサラダ,ラグメン(拌麺)などを頂いた.これらはウイグル料理の定番で美味しかった.なおラグメンは日本のミートソーススパゲティにかなり近いのではなかろうか?(←異論出そうだが)


ラグメンの麺打ち中の奥さん

ラグメンの麺打ち中の奥さん

このお宅の奥さんが直々にラグメンの麺打ちを行っており,写真は細く伸ばすプロセス中だ.この後,直ぐに湯がいて私達に出して下さった.やはり出来たてはとても美味しかった.


トルファンのブドウ畑と乾燥小屋

ブドウ畑と乾燥小屋

トルファンは圧倒的にブドウの街で,ブドウ畑と風の吹き抜ける乾燥小屋のある光景が広がっている.収穫したブドウは乾燥小屋の棚に広げておき,暫くすると干しブドウが出来上がる.

ただこの地方の冬は厳しく,氷点下20℃を下回ることもあるそうだ.そのためブドウの木は越冬のため棚木から下ろし,土に埋める必要があるそうだ.山梨のブドウではそうした必要がないようだ.こうした手入れを繰り返すことでブドウの木は40年ほど生産を維持できるという.

なお食事を頂いた家庭の畑では,ブドウの木は一つの畑で幾種類も混在されて植えられていた.中でも馬の乳と名付けられた実はとても美味しかった.名前は馬のミルク味ではなく,乳首の形に由来するそうだ.


トルファンの新しい集合住宅はソーラーパネル付き

新しい集合住宅はソーラーパネル付き

ここも新しい集合住宅が建設中だ.陽射しが強い地形を活かすため屋根にはソーラーパネルが貼られている.これで幾らか賄えるであろう.なおこの時期,日光下では当然暑いが,木陰ではそうでもなく湿度は全く感じられないし,Tシャツ一枚ではちょっと肌寒いくらいだ.夏のエアコンはそれほど必要ないのかも知れない.

但し,上述のように冬の寒さは半端ではなさそうなので強力な暖房は必須であろう.


下は,トルファンでの写真

トルファンでの写真
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トルファンでの写真 トルファンでの写真 トルファンでの写真 トルファンでの写真 トルファンでの写真 トルファンでの写真 トルファンでの写真

火焔山the Flaming Mountains

風車ブレードの運搬

風車ブレードの運搬

トルファンの村で昼食後は,また東に向かった.途中巨大な風車ブレードの運搬トラックに出合った.Wさんによればブレードは普通30mくらいのが多いそうだ.普通1台当たりブレード2枚を積載したトラックが数台隊列を組んで西に向かう.この光景には結構頻繁に出合うから,風車は毎日々々増加しているということになろう.


火焔山

火焔山

暫く走り火焔山展望地に到着した.縦方向に揺らぐ襞模様が燃え盛る炎に見立てられるのだが,生憎陽光が鈍く火炎の勢いがイマイチだ.日の出,若しくは夕刻の赤い光線が横から射し込めば陰影も色あいも申し分なくなるであろう.

それはそれとして,写真駐車場入口に西遊記の孫悟空が載っているように,彼ら(一部架空だが)を伴い玄奘三蔵(三蔵法師)が仏教経典を求めて天竺を目指し進んだときのシルクロードの要衝の一つとよく知られていると思う.ただここは私達の今回ツアーのテーマ『天山北路』ではなく『天山南路』の上にある.玄奘三蔵は当初天山北路から現キルギスに入り,アフガニスタン,パキスタン方面経由で天竺に向かう計画であったのだが,高昌国(現在のここトルファン辺り)王の非常に強い要請に応えてルートを変えた経緯があるそうだ.

また玄奘三蔵は,帰路にもここに寄るように約束していたが,そのとき既に国が滅びなくなっていたそうで,果たせず,この辺りの諸国攻防の激しさが偲ばれる.


ハミ瓜とスイカの仕入れ

ハミ瓜とスイカの仕入れ

この辺りは有名なハミ瓜やスイカの名産地だ.現在も収穫期で,バスを路肩に止め,ガイドWさんが露店で仕入れしてくれている.買った果物はバスのトランクルームに入れ,次の夕食や昼食のデザートに出してくれるそうで,楽しみだ.

→ 夕食で頂戴した感想:シャリシャリした食感,甘みが控え目で大変美味しい.皆さんにとても受ける.

ハミ瓜は中国全土で知られ食されているが,上海辺りだとここの3倍くらいの価格になるという.まあ,当然であろう.なお外側はネット模様の掛かったグリーンのタイプと,これより大きめで黄色いタイプの2種類がある.前者がかなり多いようだ.


下は,火焔山での写真

火焔山での写真
火焔山での写真 火焔山での写真 火焔山での写真 火焔山での写真 火焔山での写真 火焔山での写真 火焔山での写真

ピチャンに到着get to Piqan

ピチャンの街に入る

ピチャンの街に入る

ガイドWさんが途中の検問で大分手間取って通過し,ようやくピチャンの街入り口に来た.ピチャンは6月末,数十人の死者が出たという暴動以来緊張が高まっており,往来が制限されているようだ.私達は全員のパスポートを提示し,ホテルで一泊した後,朝どこにも寄らずに街から立ち去ることを条件に認められたようだ.ピチャンは元々観光予定地ではなく,宿泊地とされていたので,まあ実質的には支障なかろう.尤もホテルに着いたら街にはあまり出歩かないよう注意を受けたが.

道路上,街の入口看板が車を出迎える.またその横には,より立派な看板,『愛国愛疆団結奉献勤労互助開放進取』は党のスローガンか?最初の『愛国』は,愛国であれば反日破壊行動も許される.....ことが実際起こるだけに気になるところだ.


ピチャンの西遊酒店に到着

ピチャンの西遊酒店に到着

まあ随分広々立派なピチャンの西遊酒店に到着した.小さな一地方都市の中では目立つ建物で,建設から間が経ってないように見える.随分広い玄関ホールだ.


ピチャンの西遊酒店は部屋も広く設備も良好

部屋も広く設備も良好

部屋も広く,バスタブも備え,PCも設備している.

部屋とバスルーム間の壁はガラス(写真ちょうど中央)でシースルーになっている.どういう趣向か理解し難いが,今回ツアーの他ホテル,別の旅行でも中国では時々ある.以前3方がガラス張りというのもあったくらいだから1面だけガラスに驚くこともないか.


窓から眺めたピチャンの街

窓から眺めたピチャンの街

道路を挟んで向こう側に大きな建物(ホテルか?)や集合住宅風建物が建設中だ.中国はどこでも建設ラッシュに見えるが,ここも例に漏れない.また古い建物群は典型的地方都市の様相を呈しているように感じられる.

道路は広い主道の両側にグリーンベルトに挟まれた幅広い歩道を従えており,実に立派だ.ただ過疎の街なのか通りを行く人の数は疎らだ.


下は,ピチャンでの写真

ピチャンでの写真
ピチャンでの写真 ピチャンでの写真 ピチャンでの写真 ピチャンでの写真 ピチャンでの写真 ピチャンでの写真 ピチャンでの写真

こうして9/13の行程は終わった.夕食はホテルレストランで中華料理を頂いた.美味しかった.冷えたビール(中国では常温も多い)もあって,25元だがやはり味は薄目だ.明日朝『天山北路』開始点のハミに向かう予定だ.



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