このカラマイ編では,9/21朝ウルホのホテルを出て,カラマイ市,奎屯を通過して精河に向かうときの写真を載せました.
カラマイ(克拉瑪依)はマーカー11の辺りに位置している.
ウルホと同じようにジュンガル盆地はグルバンテュンギュト砂漠の西端にあって,原油を産出する.
9/21ウルホの朝,石悦酒店をチェックアウトし,カラマイ方向へ向かった.途中反対方向に向かう何台ものバスとすれ違う.カラマイ市の住宅に住む石油会社の社員を,油井の汲み上げ施設や精製工場に運ぶバスだそうだ.なお一般に石油採掘会社の給料はかなり高いそうだ.
カラマイ(Karamay)とはウイグル語で『黒い油』の意だそうで,以前から原油が知られていたのであろう.本格的な採掘は1958年から始まったそうで,現在の年間採掘量は650万トン強だそうだ.一帯の地形はゴビ灘であるが,そこに無数の油井が掘られ,赤いオイルリグが首を上下に振っている.リグは比較的小型のように見えるが,原油層が浅いためであろうか?
ここで産する原油は硫黄分が少なく,また凝結温度が低い良質なものだそうだ.汲み上げられた原油は地中または地上の輸送管で,大きなタンクに集められるようだ.そこからはまた輸送管で近くの(または遠くの)精油工場に送られたり,或いはタンクローリーで遠くの製油所に送られるのであろう.
建設中の集合住宅の棟数は正に膨大で,三菱地所や三井不動産の大規模開発といったレベルを遥かに超え,とにかく驚いた.建設は殆ど石油会社が行っており,販売対象も自ずと社員や関係者だそうだ.そして販売価格は一地方都市なのに拘わらず,ウルムチより高いのだそうだ.まあ,所得水準が高いからということだ.
ただカラマイの原油埋蔵量は然程多くなく,今のペースで汲み上げると30年ほどで枯渇するそうだ.そこでそれまでに,石油製品など2次製品を生産する産業を育成するための投資が行われているそうだ.
カラマイ空港は現在ウルムチとの間のフライトだけが運行されているそうだ.やはり石油関連のビジネスマンが多いのでしょうか.
カラマイの外れにはソーラーパネルを敷き詰めた太陽光発電所が見える.今でもかなりの規模だが,縁の方ではなおも基礎工事が進められている.荒れ地が幾らでも広がっているし,晴天率も結構ありそうなので太陽光発電には打ってつけであろう.
カラマイ市郊外では綿花畑が広がっている.綿花は9~10月が収穫時期だそうで,あちこちで摘み取り作業が行われている.機械化ができないのか,全て手作業で,大変そうだ.また人手が足りないので,近隣の省からの出稼ぎ作業者にも多く頼っているらしい.
下は,カラマイ市辺りでの写真
カラマイを抜け,大分走ると奎屯(クイトゥン)の街に入ってきた.人口30万人と中規模の街で,周辺で採れる綿花製品(繊維など)ややはり周囲農業産品の加工業などが多いようだ.
現在カザフスタンに続く鉄道が通っているが,シルクロード時代は天山北路の通過点であったのではなかろうか.地図を見ると,天山山脈の北麓に位置し,ウルムチからイシククル湖を結ぶ線上であるので,きっとそうであるに違いない.
私達は東方国際大酒店に寄って,昼食となった.大きなホテルで,玄関には他と同じように2組みのヘルメットと盾が置かれている.他のホテルでは『公安/police』だったが,ここは『民兵応急分隊』と記されている.現在は空席だが有事にはこちらがより強力なのであろうか?
まあ何れにしても中華料理はとても美味しく,これまでで最高との評価も聞かれた.
奎屯を抜け端の方に行くと新市街であろうか,カラマイほどではないもののここもかなりの規模で建設中だ.やはり中国は経済成長が著しいと感じる.
奎屯からさらに西進し,よく出してもらうビールのブランド,ウースー(烏蘇で蘇は簡体字)ビールの街を通過する.モンゴル族の街らしいが,ビールの印象だけが強く残る.ウースービールを含め,今回のツアーのレストランでは10~25元/中ビン(170円~250円くらい)だった.まあ薄いがこんなものであろうか.
その近くのSAで休憩したのだが,この辺りからはアルタイ山脈に代わって天山山脈が望めた.ただしモヤが架り,クリアには見えなかった.
ここのSAでは風車構造体運搬の大型トラックも休憩していた.向きは私達と同じだ.どこへ行くのでしょうか?
添乗Kさんによると写真の雑木の中の一つはサクサクと呼ばれ,他はよくあるタマリスクのようである.タマリスクはさておいて,サクサクはここがその自然保護区となっており,貴重なものらしい.ただ,写真を見るとどれがどれだったか,はっきり思い出せない.....
なおこの辺りには,写真にはないが胡楊も植えられていた.
暫く行くとこんな光景に出合った.なんとチョルテンとオボが並んで建てられているのだ.どちらもチベット仏教世界であろうが,私の認識ではチョルテンはチベット的,オボはモンゴル的と映っていた.それが同じ場所で併設とはどういうことか?短時間に消え去った光景だけに,ガイドWさんにも訊き漏らした.さてどういったものなのか,ぜひ教えてもらいたいのだが....
下は,奎屯辺りでの写真