この精河編では,9/21に一泊した精河市内の様子,それと精河郊外での写真を載せました.
精河(セイガ)はマーカー12の辺りに位置している.
多民族の街が天山山脈北側の麓,天山北路にあるエリアであることを窺わせる.ただ当時はまだ小さな街だったかも知れない.
奎屯の街を抜け,暫く西に進み,精河の街に入ってきた.新疆ウイグル自治区ボルタラモンゴル自治州に位置する街のようだ.新しい街でシルクロードの時代にはまだなかったのかも知れないが,天山北路のルート上であったのではなかろうか.
この日9/21は精河の中程にある和麗賓館で一泊することになった.ロケーションはいいので,中国南方航空のカウンタも設けられているが,ホテル自体はあまりいいものではない.そしてまたもトイレが壊れていて,修理をお願いした.ホテルのスタッフが帰宅したのか直らず困っていたら,ガイドWさんが部品を調達し,直々に直してくれた.ありがとうございました.
精河の総人口は100万人以上だそうだが,市街部はそれほど大きな街には見えない.比較的古い街並みだ.道路はやはり広く,緑地帯の内側に副道路が設けられている.ただそこは歩道と云う訳ではなさそうで,自転車や時には車も通る.
お店の看板を見ると多民族の街と判る.例えば写真左側の『伊犁人拌面』であるが,漢字で,拌面(麺の簡体字)はウイグル料理ラグ麺の中国語であるそうだ.漢字の上左側はモンゴル語で,右側はウイグル文字またはカザフ文字であるようだ.またその右には漢字で『清真』と,イスラム料理であることが示されている.ここで暮らす色々な民族に配慮している.
ところでガイドWさんによればウイグル文字とカザフ文字はどちらもアラビア文字の系統で似ているのだが,違うのだそうだ.ふ~んと思ったもののもち論区別は付かない.なおここ新疆ウイグルのカザフ族はアラビア文字系文字をよく使うが,カザフスタンのカザフ人は現在主にキリル文字を使っているようである.
翌朝ホテル前の通りを眺めていたら,むき出しの食肉を運ぶ三輪バイクが通っていった.なかなか豪快だ.この後,肉屋さんに卸され,切り分けられ,或いはそのまま吊るされて売られるのでしょう.
何れにしてもこういった普段あまり見たことのない光景に出合うのが旅行の醍醐味だと,改めて思う.
下は,精河市内での写真
和麗賓館の直ぐ近くにバザールがあったのでほっつき歩いてみた.
生鮮食品や果物,乾物,雑貨などに加え,各種ファストフード店や占い師なども見える.多様な民族が生活しているようでそれぞれ特徴的な装束も興味深い.
巨大なソーセージ料理や丼料理はいったい何であろう?
巨大さに驚いてしまった.
下は,精河市内のもっとバザール風景
9/22朝精河の和麗賓館を出発し,また西に向かった.郊外に出ると白く実った綿花畑が広がり,朝のうちから摘花作業が始まっていた.やはり手摘みで,大変そうだ.
レンガ(もしくは日干し煉瓦)に土で塗り固めた壁にフラットな屋根の家が多いようだ.雨や雪が少なく,比較的乾燥した土地柄なのであろうか?でもそれにしてはちゃんと樹木がしっかり育っているかな.....
やがてアルタイ山脈に替わった天山山脈を望む場所に至り,道は支脈の直ぐ脇を通るようになった.高い脈は遠くに白く輝くのが見える.
やがて天山山脈から流れ出す川を越えた.この時期流れは少ないが,春先は多いに違いない.流域一帯の野菜栽培に役立っているのではなかろうか.