このウルホ編では,9/20朝買登峪を出て山を下り,再びブルチンに至り昼食,以降南下し魔鬼城に来て見物し,その直ぐ近くウルホで宿泊したときの写真を載せました.
ウルホ(烏爾禾)はマーカー10の辺りに位置している.
ジュンガル盆地はグルバンテュンギュト砂漠の西端にあってヤルダン地形が目立つ.
9/20買登峪仙峰大酒店で目覚め,窓を眺めると天気は先ずは上々なようで,アルタイ山脈が白くなっているのが見えた.前日降った雪は気温が低いためかあまり消えないようだ.
前日朝は調理人が寝坊で出勤が遅れ,結果私達の出発も遅れたのだが,今日はちゃんと時間通りに朝食が揃い,食事ができた.
バスは買登峪を出発し,来る時と同じ山道を下り始めた.適度に積った雪景色が美しい.
往きと同じように運転手の休憩のため,同じ休憩所で一休みとなった.バザール前の広場では,写真モデルの仔ヤギを抱えたり,鷹を揃えたりしてお客さんを待っている.場所自体が観光名所ではないためか,一緒に写真を撮ろうとする人はあまり見かけなかった.
なお9/19~21は中秋節の全国的休みだそうで,人出の多いこの間だけ現れる写真モデルかも知れない.ちなみに最も長く,大勢の人が動くのは春節の休み(正月休み)で,何がなんでも親元に戻って祝うため,航空券や列車の切符が取れない場合に,遥か遠距離,自転車を漕ぐ人も稀ではないそうだ.親孝行ですね.
下は,買登峪を出て,休憩所辺りまでの写真
休憩後再びブルチンに向け走った.暫く行くと美しい草原地帯に入った.樹木も豊かで,家畜が草を食んでいる.また十分な牧草地があるため,相当数の農家も望める.
草原地帯は終わり岩山に入っていった.九十九折の坂道を上り,峠を抜ける.ドライバは一時も気が抜けず,所定間隔で休憩が求められるのがよく判る.
荒野を行くと,路傍には毛皮売りが露店を広げていた.いかにもアルタイ山麓の光景だ.買登峪やカナス湖の観光客は南疆の人や,他の大都会からの観光客が多いそうで,そうした人達が目当てであろう.冬に向かうこの時期はタイミング的にはいいであろう.ただ,マフラーとかでなく,元の形のまま,素材的製品なので,用途が.....難しいような....
暫く行くと今度は糖瓜(蜜瓜)と呼ばれるメロンやスイカを並べた露店があった.ガイドWさんがまた買い求め,バスのトランクにストックしてくれた.これでまた食後のデザートが楽しめる.露店のおばさんは私達にも切り分けて試食させてくれた.糖瓜(別名蜜瓜)はハミ瓜より柔らかく(シャキシャキ感なく)甘味が強い.蜜瓜の名からするとハニードゥーの系統なのかも知れない.でもサイズ的にはハニードゥーほど大きくはないように見える.
ショップの裏手には紐に細く切った糖瓜を並べていた.暫く乾すと乾燥瓜が出来上がる.少し買って口にしてみたら,干しぶどうより甘味は少ないがメロンの香りが残っていて,まあまあの味だった.
ブルチンの街に到着し,往きと同じ友誼峰大酒店で昼食となった.ただし往きのときのレストラン四星楼はこの日は写真のように結婚披露宴で貸し切りとなっており,私達は別棟のもう一つのレストランで頂戴した.こちらも随分広いレストランであり,今回も大変美味しかった.
ところでこの日の披露宴は漢人で,普通こうしたホテルで一日(数時間)で催すのが普通だそうだ.漢族の場合招待される人は300~500元くらいのご祝儀を渡すことが多いそうだ.ここでは多数民族,カザフ族の場合はもっと大掛かりで,一日は花嫁の里側で,二日目は新婚夫婦の居住場所で,三日目は新郎の実家で,合わせて三日間催されるそうだ.でもイスラムなので酒はないであろうし....それは大変そうですね.
下は,ブルチンへ来るまでの写真
ブルチンで昼食後,南に向かう道に入った.すこしばかり行くと風力発電ファームがあった.この辺りも常時風が得られるのであろう.もちろん土地は欲しいだけ,いくらでもありそうだ.
比較的新しい国道217号線は準高速道路のようだ.道はこのジュンガル盆地/グルバンテュンギュト砂漠を横断後,天山山脈を越えてクチャに至り,今度はタリム盆地/タクラマカン砂漠を越えて,ホータン(和田)に抜ける最新の道路へと続いているそうだ.
ここも大したもんだが,タクラマカン横断の2番目の道ができたと聞くのは驚きだ.最初の横断道路は石油採掘のための道路を一般車に開放したものだが,新しい横断道路は初めから一般車両道路として建設されたそうだ.
ちょうど(何がちょうどだ?)フタコブラクダのいる場所があったので,トイレ休憩とした.間近に眺めるとフタコブラクダは実に大きい.でも山が2つあるので,人は一人しか乗れないかな?そう言えば,アラブ方面ではヒトコブラクダに人が,たまに二人乗っている光景に出合うことがあるか,ここではあまり人の乗っている姿を見ない.人は乗らないのかな?
お尻に縦向きの∞マークが付いている.所有者のロゴであろう.なおこうした野原のラクダは夕方になると,馬と同じように自分たちだけで,所有者宅に帰っていくそうだ.感心感心.
今度は石の露店があった.遠目だが色あいからすると玉ではなく,別の珍しい石であろうか.一般に中国の人たちは大変石を好むように見える.あちこちで石の販売を見かける.
やがてヤルダン(Yardang)地形の地帯に入ってきた.目指す魔鬼城はすぐ近くであろう.風雨で地表の比較的柔らかい部分が侵食され,固い岩石部分の残ったためにできた地形だそうだ.残った岩石部にも成分と硬さの異なる層が積層されているようで,少し層状の模様が見える.
ヤルダン地形の場所が始まる辺りから,油井も現れ始めた.ヤルダン地形形成と原油産出が関係するのかどうか解らない.多分無関係か?
下は,魔鬼城に至るまでの写真
さて,高速の烏爾禾(ウルホ)ゲートを降り,魔鬼城にやってきた.魔鬼城とまた恐ろしげな名称だが,視覚的形態ではなく(ちょっと落胆),しばしば夜間,風の音が『ヒューッヒューッ』と恐ろしい音を立てるからだそうだ.Wさんが口で実演してくれたが,確かに少し怪しげな響きであった.それと頭に『世界』と付くのはなぜだろう?まだ『新疆』とか『烏爾禾』なら解るが....
看板の英語にはghost town of the worldと記されているが,これもちょっと連想し難いというか,無理があるような気がする.
いきなり文句を垂れて見たが,別にそんな目くじらを立てることでもなかろう.で,入り口でWさんに料金を払ってもらい,SL型エンジンに2両連結の電気カートに乗り込んだ.折角乗り込んだのであるが,一周して戻った客で,園外に出ず,またこのカートに乗った不正客が居るとかで,一旦全員が降ろされ,別の車両に乗せ換えさせられたりした.係の若い女性が大声でまくし立てていた光景がヤルダン景色以上に印象に残っている.
さてSLカートは出発した.鶏とか,獅子とか,岩は色々なものに見立てられ,名前が付いている.写真は誰かの横顔だったかな?中国の人たちはこうした見立てと言うか,こじつけと言うか,....が上手だ.
園内をSLカートが進むうちに陽が落ちてきた.朝出かけてきた北方向には,夕日に輝くアルタイ山脈の峰が見える.お~この辺りがアルタイの見納めかな~と暫し見とれた.
さて肝腎の怪しい音であるが,風が弱かったためか何も聞こえなかった.と云う訳で『魔鬼城』の本質に何ら触れることなく,去るわけである.でも,怪しい音の出るようなときは,強風で砂嵐になるそうだから,まあ,穏やかで良かったのかも知れない.
下は,魔鬼城での写真
ウルホの街は魔鬼城の直ぐ脇だ.バスでウルホの街に入ると風城賓館レストランで夕食を頂戴し,食後写真の石悦酒店に行きチェックインした.
1階ロビー前ではWiFiが使えたので久しぶりにメールを見て,必要な返事を送った.ロビーではたまたまテキサスから来ているという原油調査の人に出会った.既に3ヶ月になるが,あとどれくらい居るか調査継続中でまだ決まらない.まあ中華料理は美味しくていいが,キューバ葉巻がここでは手に入らない,.....とか話し,多分日中関係を意識して,父親が元米海軍軍人で,日本軍と戦ったが,まあこれは過去のことと先に進みたい,と周りの中国人にも聞こえる声で言った.気を使ってもらいすみません.
さて,石悦酒店で一泊した翌朝,ホテル前の通りをちょっとだけ歩いてみた.道端でナンを焼き売っている露店があった.通勤途上なのであろうか,結構客が寄って買い上げている.焼きたてできっと美味しい筈だ.おかずはどうするのだろうか,コンビニか?
暖簾は『維護(の簡体字)社会穏定』のようだ,ナンの露店にしては随分政治的スローガンぽい.何となく文化大革命から間のない頃,お寺を乗っ取って,ありとあらゆる壁にスローガンの入った赤い膜が掲げられ,びっくりした光景が脳裏に浮かんだ.
下は,ウルホでの写真