このボリット湖へ編では,ボリット湖付近のGoogleマップ,2017年7月27日朝カリマバードを車で発ち,フサイニまでKKHを走り,ここで山道に入りボリット湖へ行き,次いでトレック開始点に行くも予定のポーターが揃っておらず中止.そこで一先ずパスー氷河脇を散策し,ボリット湖上まで戻り,ここで一泊したときの写真を載せました.
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車でカリマバード6からボリット湖7へと進んだ.そしてここからトレックスタートの予定だったが中止になったため,近くの平地でテントを張り,一泊した.
ボリット湖の含まれるエリアはゴジャール(Gojar)とか上フンザ(upper Hunza)と称されるそうで,比較的ワヒ族が多く居住するということだ.ワヒ族は元々アフガニスタン北東部ワハン回廊に多く住むようだ.
7月27日朝Darbarホテルで朝食後,一部荷物をデポし,トレック同伴用はマイクロバスに積み,KKHに入っていった.
少しするとカリマバードを見下ろす丘を通過した.深い緑に包まれたカリマバードは美しい.また背後のレデイースフィンガー,フンザピーク,ウルタルの上は雲一つなく晴れ渡っている.
さらに進むとレデイースフィンガー,フンザピークが麓から見える場所を通過した.フンザ川対岸の緑地はカリマバードの飛び地であろうか.そして緑地の上には岩山斜面をトラバースする線,多分シルクロードの名残りが見えている.
KKHを進んだ.先方には護岸工事が施され,ガードレールが見えている.そして舗装も良好だ.さらに写真には写ってないが幾つかのトンネルが設けられ,落石が避けられるようになっていた.2010年1月ゴジャール地区で発生した地滑りで破壊されたKKH復旧工事で,これらの安全対策が一気に施されたということだ.素晴らしい.
対岸の白い峰はこれまでのウルタルと形が違うが,見る角度が変わったためであろう.
前述ゴジャール地区の地滑りで,フンザ川が堰き止められできたダム湖,アッタバード湖(Attabad Lake)が見えてきた.湖の名は地滑りの起こったアッタバードの村名に由来するそうだ.当初全長21km,水深最大120mの湖まで拡大し,水没した村民1,700人の避難を余儀なくされたそうだ.その後ダム決壊の恐れ(決壊すると下流カリマバードなど水没)もあり,排水溝を設ける対策工事で現在の大きさまで縮小したそうだ.
現在のアッタバード湖は氷河湖特有のターコイズブルーの水を湛えなかなか美しい.
写真左側,湖面に枯れ木が見えている.枯れ木は現在の陸地,KKHの直ぐ脇辺りまで見えている.最も深かった頃の水位がここまであったということだ.そればかりでなく,KKHも水没し,代わりに船舶で物資を運搬したそうだ.私が前回ラシュファリで訪れた2010/6のとき,大型トレーラーでアラビア海沿岸から運ばれる船体を見たものだ.
今は水位が下がり,船は観光用に転用され,KKHはかなり安全に改良され,良く治まったのではなかろうか.
車はアッタバード湖を過ぎ,グルミット(Gulmit)の村を越え,やがてフサイニ(Hussani)に到着した.
さてここからはKKHを離れ,東側の山道に入る.
フサイニから山道で揺られながら上り,ボリット湖に着いた.湖畔には建設途中と思しき『ボリット湖ホテル』(と一応名付けられた茶屋)のテラスでお茶を頂戴した.
こうして眺めるとボリット湖はあまり広くはない.また流れ込む川や,流れ出る川にもつながっているようには見えない.何でも僅かに塩分を含んでいるとか,小さな魚が棲んでいるとかいないとか....聞いたような.ちゃんと聞いておけばよかった.
水そのものは結構きれいに見えたように思うし,このボリット湖ホテル以外にキャンプサイトが見える.なお私たちはこの日,この湖畔ではなく,30分あまり行ったサイトでテントを張ることになる.
さてボリット湖畔でお茶の後,再び車に乗りトレック開始点に到着した.車背後の山脈で中央の尖った岩山がグルミットタワー(Gulmit tower:5,810m),その右白い峰がグルミットピーク(Gulmit peak)だったと思う.そして到着したら荷物をポーターに分配し,直ちに歩き始める予定だった.
キッチンスタッフ,ポーター合わせて25人予約手配していたそうだが,どっこい10人が来ていないという.何でも前日遠征隊の仕事から戻ったばかりで,疲れているので今日は来れない,というのだ.なお,シェフを含めキッチンスタッフ4人は揃っている.でもポーターが揃わないことにはスタートできない.
バルトロのように大勢トレッカーが訪れるエリアではこうした事態に陥る恐れは少ないが,ここのようにトレッカーが疎らなエリアでは独自文化というか道徳観というか....で,油断できないそうだ.
ということで明日スタートし,短縮日程で廻ることになった.ガイドAさんは明日こそはちゃんと来てもらうよう色々画策している.お願いしま~す.
私たちは計画が中断されたので暇で,とりあえずスタート点直ぐ脇のパスー氷河(Passu glacier)を覗いてみることにした.
サイドモレーン脇の岩山を巻くトレイルから眺め下ろすと,パスー氷河はエンドモレーン近くまで白く,きれいだ.エンドモレーンも長くなく,その終わり辺りにパスー村も見える.
ただ2003年バス旅行でKKHから眺めたパスー氷河と比べると,若干白い終端は後退したような気がする.....気のせいかな....
脇の岩山は薄板を積層した岩から成り,トレイルにはこれを切り出して敷き詰めてある.うまい具合に板状になっているものだ.
さて少し先に行くと,氷河上流に白い山が見えてきた.パスーピーク(Passu peak:7,295m)でさして有名ではなかろうが結構高い山だ.
途中まで進んだが,どのみち明日また歩くのだから,ということで戻ることになった.明日はポーターが来てくれて大丈夫であろう.
パスー氷河脇トレイルから引き返すとまた車に乗り,元のボリット湖への道を辿り,その途中(湖の少し上方)のキャンプサイトまで戻った.そこはキャンプに適した平地があり,周囲には畑や,杏子の果樹園,それにモスク同様機能を果たすそうな写真の集会所などがあった.キャンプサイトから水場までは結構距離があり,水汲みには一苦労しそうだ.
集会所はイスマイル派のモスクに相当するというが,お祈りの呼びかけ,アザーンを流すミナレットはなく,ごく普通の建物といった形態だ.イスマイル派思想の一端を示しているようでなかなか興味深い.
ここは麓フサイニの夏村なのであろうか,比較的簡素な造りの土壁の家や,それに連なる土塀の家畜囲いの住居が幾つも見える.
幾つも家が見えるのに人影や家畜の姿は疎らだ.たまに水場に向かう女性の姿を見かける程度だ.多分男集は家畜を連れてもっと標高の高い所に出ているのであろうか.
また写真のように杏子の木が多く,うまい具合にたくさんの実を付けている.そしてあまり罪悪感を抱くこともなく摘んで口に入れた.とても美味しいし,多分生涯でこれほど杏子を食することはなかろう.さらに摘んで戻ると杏子種飛ばしも楽しんだ.種が重いだけあって,全く飛距離が伸びないことを,この期に及んで初めて知った.
スタッフの皆さんがテントを張ってくれた.まあ随分広い敷地なのでゆったり張れている.夕刻まで暑くて中には入れないであろうが.
キッチンテント(右),ダイニングテント(左)も準備された.そしてシェフのNさん以下スタッフの皆さんがお茶を容易してくださり,頂戴する.時間が幾らもあり,いや有りすぎていろいろ四方山話に花を咲かしてやり過ごす.
さてボリット湖上のキャンプサイトにもようやく夕闇が迫ってきた.サイト北側に聳えるトポップダン(Topopdan:6,106m 別名カテドラル Passu Cathedral)には夕陽が当たり,輝き出した.岩山なので控え目ではあるが,鋭いノコギリ状峰々にコントラスト付き見応えがある.
ところで別名カテドラル(Cathedral)はカトリック教徒にとって街唯一,代表教会として分かり易いが,さて本名(トポップダン Topopdan)とは何ぞや?聞いたかも知れないが思い出せない.....
またシェフのNさん力作の夕食はチキンにマッシュルームがメインだったと思う.ごちそうさまでした.
こうして思わぬ地で一夜過ごすことになった.明日の天気もきっといいであろう.