このユンズへ編では,ユンズ付近のGoogleマップ,2017年7月30日パトゥンダス朝の様子,朝食後東に向け歩き始め,岩山を一つ越え,ユンズに向け大砂走りのような急坂を下り,ユンズに到着するときの写真を載せました.
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さて7月30日朝,パトゥンダス11で目覚め,東に歩き,山を越え,急坂を下りユンズ12に到着した.
この日のログは
歩行時間:2:43hr
休止時間:2:36hr
歩行距離:6.13km
終点標高:未記録
終点気圧:未記録
だった
パトゥンダスの朝,北西の空が赤くなってきた.パスー氷河先,右側のシスパーレはまた今日も雲が架かっているようだ.
シスパーレの左,頂上は見えてない大きな山はウルタルであろうか.あと少し雲が流れれば見えるのだが.
南に目を向けるとマルビティン(Malubiting:7,458m)が黒い岩稜群の向こうに白く浮かび上がっていた.羽根を広げた大鷲の如き形態が雄大だ.
マルビティンの少し東(左側)にはスパンティーク(Spantik:7,027m,別名ゴールデンピーク Golden Peak)も輝いていた.両肩の中央に尖ったピークのある形態はマルビティンと似ている.なかなか美しい.
地味ながら岩峰グルミットタワー(Gulmit tower:5,810m)も首に雲のエプロンを付けて頭を覗かせていた.
スパンティークのさらに左には,三角形のトリボール(Trivor:7,720m)と巨大な円環状モミヒルサール(Momhil Sar:7343m)北面が逆光に輝く.どちらもヒスパー山群(Hispar Muztagh)に並んでいる.
トリボールの初登頂は1960年英米合同隊が,モミヒルサールは1964年オーストリアのハンスシェル氏が達成ということだ.
ちょっとこの写真では切れてしまったが,トリボールの左にはディスタギサール(Distaghil Sar:7,885m)も姿を見せていた.初登頂は1960年オーストリア隊が成し遂げたそうだ.
パスー氷河の源方向を辿ると,直ぐ脇にパスーピーク(Passu Sar:7,295m)が全容を見せた.一見何気なく丸い姿で佇むが,7,295mもあるのだ.初登頂は比較的最近1994年Max Wallnerら3人(米?)が成したそうだ.
こうして山を眺めつつ朝食を頂戴し,テントは畳み,撤収の準備は整った.
あとは毎度すんなりとは行かないポーターの荷物配分だが,まあここまで来ればそう長くかからないであろう.
パトゥンダスを出発し,なだらかな道を東に行った.
暫くはパトゥンダスの延長のようで,広々した疎らな草の平原である.気持ちがいい.
先方にはディスタギサール,トリボール,モミヒルサールなどのヒスパー山群を眺めつつ進む.快適だ.
大まかにはバトゥーラ氷河右岸崖の上を歩いているので,振り返ればバトゥーラ氷河の様子がよく解る.今朝発ったパトゥンダスの脇辺りで白い氷が黒い石で覆われ,その下流は先まで延々と黒く続いている.
氷河両側の崖上に雲が架かる様子も教科書のように整然と湧いている.昔東京上空からの航空写真で,環七通り上にそれと同じ形のループ状雲が現れていたことを思い出した.
それまでの平坦な道の前にいきなり岩山が現れた.ピークは複数あり,その一つには先行ポーターさんが立っている.こりゃエライことだ.
先ずは斜面のトラバースから始まった.写真で前を行く3,4人の右脇のように,トレイル下は深く険しい崖底に続いている.私の実力では渡れないので先行くポーター頭の方に手を引いてもらい,やっと渡った.
途中ピークも越えたと思うが写真の余裕は全くなかった.ポーター頭さんありがとうございました.
ようやく岩山を越え,ここで一休みだ.
やれやれ大変なところだった.これ以上無いことを願う.
休憩した場所で背後を眺めると,鋭い三角の頂きを有するシスパーレ(Shispare:7,611m)がようやく姿を現してくれた.勇姿といった形容が当てはまりそうだ.
休憩中に,この二人のポーターさんが,この辺だけに咲く花だと言って,黄色い小さな球形野草を摘んできてくれた.ありがとうさん.
ポーターは上記ポーター頭格の人以外は概ね学生で,夏休みで南の都会から帰省し,アルバイトでやっているそうだ.まあそうしたことから,予定時間に現れなかったり,バカに遅れたり....といろいろあるようだ.
ここではバトゥーラ氷河にパスー氷河源部,パスーピークが見えていたのでこれを背にパチリと一枚撮った.
岩山越え先休憩の後は,バトゥーラ氷河に向け下り行程になる.下る落差は1,200mほどあり,途中結構急なエリアもありそうだ.
かなり下り,ここらで腰を下ろす.ユンズは石で覆われた黒いバトゥーラ氷河の右岸にある.
ところでバトゥーラ氷河に下るトレイルは,出発したパトゥンダスの少し東にも一つあったのだが,極めて急で,近年韓国女性トレッカーが滑落死する事故が起こり,閉鎖されたということだ.
また暫く下ると木陰が見えた.この日は途中水場がないのでお弁当を携えており,ここで広げる.ナンやゆで卵....だったか.
ところでこの風雪に耐えてきたように見える木は,ガイドAさんに訊くとJuniper treeということだ.実際この辺は厳しい環境なのであろう,皆一様に曲がりくねるも地面から剥がされず,何とかへばりついている.なお辞書で引くとJuniper treeは『ヒノキ科ビャクシン(百槇)属の木』と出ており,ついでに関連語彙も見るとThe Juniper Treeという残酷なストーリーのグリム童話があるようだ.継母にいじめ抜かれる息子の様子はここのビャクシンの木のようであろうか.
お弁当の後は大砂走りのエリアに入る.この区間は富士山から御殿場に下る大砂走りと同様,脚を一歩出すと,2~3歩分ズズズーっと下る.土煙も強烈で,歩く間隔を空けないとエライことになる.尤も空けても自ら巻き上げる土で,ズポンは土だらけになる.
大砂走りを大分下った.富士山と違ってここは比較的大きな石が混じっており,道幅(必ずしもはっきりしないが)は狭い.しかし一歩歩めば2,3歩進むので効率的だ.
ところが,次第に両足の指,それぞれ1,2本ずつ上側(甲側)が痛くなってきた.ユンズのサイトに到着すると各2本ずつ指の上側が擦り剥けていた.下側であればマメができることもあろうが,上側が擦り剥けるなんて....とにかくバンドエイドを貼ったら,翌日の歩行は問題なかった.
黒い土砂で覆われたバトゥーラ氷河を間近に望む高さまで下った.ユンズのキャンプサイトは直ぐそこだ.
キャンプサイトはサイドモレーンで隔てられたアブレーションバレーにあるので,サイトに下ると黒いバトゥーラ氷河は見えなくなる筈だ.
大砂走りを堪能(?)し,午後の早い時間2:30PM,ユンズのキャンプサイトに到着した.天気は上々,標高も下がったので設営してもらったテント内は暑い.
背後のトポップダン(パスーカテドラル)は夕暮れとともにコントラストが加わり見応えが増した.
写真左手のサイドモレーンで隔てられ,黒いバトゥーラ氷河は見えないが,サイドモレーンに上れば目の前に広がる.キッチンスタッフの皆さんはモレーンを越えて水や氷を汲みに行く.ごくろうさまです.
トレックが始まって以来,他の人達には誰一人会わなかったと思う.それがこうしてユンズのサイトにいたら,この3人の皆さんが上流に進んでいった.皆背負子で,先頭の人はピッケルを携えている.トレッカーかな~それとも放牧場に行くのかな~
夕食はシェフNさん力作のイタリアンだった.ごちそうさまでした.
ところで夕食を前に,これまで働いてくれたポーターの皆さん(24人?)は一斉に引き上げていった.ごくろうさまでした.
ユンズの直前まではフサイニ村の縄張りだが,ユンズ以降はパスー村のテリトリーで,ポーターはそれぞれの村から派遣するという掟があるのだという.それでなくともガイドAさん,添乗Nさんが頭を痛めているポーター問題にさらに厄介な制約も加わるので大変そうだ.
ということで,明日朝パスー村から新たなポーターさんが来てくれるそうだ.果たして約束時間に現れようか.....