カリマバードへgo to Karimabad

このカリマバードへ編では,2017年7月25日ギルギットへ飛び,着後車でカリマバードへ行き,カリマバードの街を歩いたとき.及び翌7月26日マリカモスカリ丘へ往復ハイキングに出掛け,帰路カリマバード在住Sさん弟さんの結婚披露宴に入れてもらったときの写真を載せました.

イスラマバードからカリマバードまでのGoogleマップGoogle map around Karimabad

コロコロで拡大/縮小,ドラッグで移動可能.

イスラマバード3から,ギルギット5に飛び,次いで車でカリマバード6へと進んだ.カリマバードで一泊の翌日,裏の丘にハイク出かけた.

幸い通らずに済んだが,4はギルギット便がキャンセルされた場合,車で行くことになり,その宿泊地となるベシャム(Besham)だ.ギルギットより大分手前だが,到着は深夜遅くなるという.なお私達も帰路はここで一泊予定だ.

ギルギットへ飛ぶfly to Gilgit

早朝のイスラマバード空港へ

早朝のイスラマバード空港へ

イスラマバード7:30発予定パキスタン国際航空PK605便に搭乗するため,イスラマバード空港へと急いだ.早朝なので道路は空いており,程なく到着した.道路や車輌は濡れており小雨模様だが,フライトに影響あるようには見えない(希望的観測).尤も途中の山岳地帯の気象状況が問題なのだが.


遅れたがフライト有りでボーディング

遅れたがフライト有りでボーディング

飛ぶのかどうか....心配しながらアナウンスを待つこと4,50分.飛ぶそうだ.やった~!でも内心まだ気は抜けない.以前タラップ下まで行ってから引き返した経験があるのだ.

疑ってスミマセン,ちゃんと乗り込み,テイクオフしました.

機材は緊急案内紙や座ったシート番号などからするとATR72のようだ.仏伊メーカー合弁ATR社製ターボプロップ(プラットアンドホイットニー製)双発機で,72人乗りクラスという.初飛行から30年ほと経つが今も改良設計を継続しているそうで,感心する.


この右(東)辺りにナンガパルバットか

この右(東)辺りにナンガパルバットか

地図を見ると,イスラマバードを離れると高くはないが直ぐに山岳地帯に入る.そして半分ほど進むと右手(東)にナンガパルバットが見える筈だが.....雲があってはっきりしない.

でもとにかく飛んだことが嬉しい.以前パキスタン国際航空PIAはPerhaps I Arriveの略だと聞いたことがあった.

そして今回添乗Nさんから新たにPakistan Inshallah Airlinesとの説を伺った.Inshallah(インシャアラー)はイスラム圏で先のことを言うときに『もしアラーが望むなら』の意で添える(ある意味都合のいい)言葉であろう.今回は飛ばしてくれたアラーに感謝するばかりだ.

なおパキスタンはウルドゥー語が母語であるが,多くはイスラム教徒であり記述にはアラビア文字が用いられ,少なくとも挨拶などにはアラビア語(やその類似方言)が話されているようだ.


ギルギット空港に着陸

ギルギット空港に着陸

PK605便は40分ほどのフライトでギルギット空港に着陸した.ギルギットはよく晴れていた.この先もきっと良さそうだ.

空港にはこの先帰りまでお世話になるガイドAさん(9年前バルトロと同じガイドさん.大分スリムになっていて驚いた)とマイクロバスを従えたドライバさんが待ってくれていた.よろしく願います.


車でカリマバードへdrive to Karimabad

ギルギット川を渡る

ギルギット川を渡る

ギルギット空港でマイクロバスに乗ると先ずはギルギット川に架かる吊り橋を渡った.ギルギット川は大きな流れで,この橋の少し下流でフンザ川と合流し(合流後名称はギルギット川),そして更に下流で東のスカルド方面から流れ来るインダス川に注ぐ.ここで登場する川は源がカラコルム山系の氷河であるので全て灰色に濁っている.

なお写真右側は旧橋で,それが老朽化したため今渡っている橋が作られたのであろう.


次にフンザ川を渡る

次にフンザ川を渡る

ギルギット川を越えて少し行くと今度はフンザ川と交わる.ここの橋を渡るとカラコルムハイウェイ(KKH)に出合うことになる.ここ辺りから上流ナガール(カリマバード対岸)付近までKKHはフンザ川左岸を走る.


カラコルムハイウェイを北上する

カラコルムハイウェイを北上する

カラコルムハイウェイに入り,北上する.とてもいい道で,ちょっと驚く.以前より改良されたように見える.ただ落石可能性のある場所はいくらかあるようだ.

フンザ川の両岸にはほぼ岩だけの山が連なっているが,麓の川縁にはところどころ豊かな緑が広がっている.山からの湧き水を導いて果樹やポプラ,それに各種野菜を栽培している.砂漠の中のオアシス,或いはカレーズ灌漑システムを用いた緑地などを思い起こさせる光景だ.どれも維持するには大変労力を要するであろう.


旧シルクロードの標識

旧シルクロードの標識

KKHを少し進むと旧シルクロードの標識があった.矢印の先,対岸岩山にそれがあることを示している.当初(多分仏教交流の頃)人が歩くだけの幅だったが,やがてポニーが通り,さらにジープが一台通過できる幅への改良が1760年代まで続けられた.ただ70年代にKKHが完成すると基本的には廃れていったようだ.

そしてこの場所が地元ではKinu Kuttoなる地名で,ラカポシの良眺望点(このときは雲で見えず)であること,Aga Khan(イスマーイール派イマーム)文化事業団,ノルウェー王国大使館,ナガールやフンザ地域の支援で,この歴史的繋がりある自然を保全するためにこの道が見えるように2004年に復旧したようである.

ただガンダーラや天竺から唐への仏教ルートといった歴史的要素には言及していない.やはり非イスラム的な面は省くのであろうか.


急斜面のトラバース路がシルクロード

急斜面のトラバース路がシルクロード

フンザ川対岸の岩山急斜面にのトラバース路が見える.これがシルクロードだったようだ.こりゃ大変な道だ.

基本的には廃道になったのであろうが,所によっては家畜を草場に移動するためや,また山の湧き水を導く水路建設用に流用されているケースもあるようだ.後者は道の部分だけが緑が茂っているので,多分そうであろうと思った.


ラカポシビューポイント

ラカポシビューポイント

やがてラカポシビューポイントに至り,ここで休憩.ラカポシの大氷河から下は良く見えるのだが,残念ながら山は雲で見えず.ガイドAさんによると,80%くらいの確率で望めるというが,やはり行いが悪いのかこれまで通ったときは見えたためしがない.....

添乗Nさんの説明では,近年国内からここ北部への旅行客が飛躍的に多くなったという.現にこのビューポイントで見かけるのも圧倒的に国内の皆さんだ.


フンザ川を渡り右岸のカリマバードに

フンザ川を渡り右岸のカリマバードに

KKHがナガール村を越えると,橋を渡り右岸のカリマバードに来る.写真で手前はカリマバード,川向うは今通ってきたナガールだ.

両者は距離的に近いが,宗教的差は大だ.つまりカリマバード(フンザ)はイスマイル派(シーア派の分派),ナガールは主にスンニ派で,概してイスマイル派は一日お祈りは3回(普通5回),モスクなし(集会所あり),アザーンなし,フンザウオーターあり.....と戒律運用は緩やかと聞く.


カリマバードDarbarホテルに到着する

Darbarホテルに到着する

車はカリマバードDarbarホテルに到着した.旅行エージェントは最近まで一貫してフンザエンバシーホテル利用で協定していた(私も前回ツアー時泊まった)のだが,急に国内客で手一杯になり,外国人客受け入れを中止したのだそうだ.かなり一方的措置だがやはり国内客限定のほうが効率的運用ができるのであろう.


広いDarbarホテルのホールやレストラン

広いDarbarホテルのホールやレストラン

レセプション横のホールは吹き抜けで広々している.二階のレストランも広く,また外の見晴らしが利く.

ところでDarbarはネパール辺りでは宮殿のような意で用いられるが,ここフンザではどうなのか?ガイドAさんに訊いてみたところ,それと同じ意だそうだ.つまりこの近くにはバルティット城(Baltit Fort)があり,1845年までフンザ藩主(ミール)の居城だったそうだ.そしてそのミールの末裔が『王宮ホテル』の名で建設し,運営を始めたのがこのホテルということだ.なおホテル近くにはそのミール末裔家族の立派なお屋敷が見える.


Darbarホテル屋上からフンザ川方面を望む

Darbarホテル屋上からフンザ川方面を望む

屋上に出るとフンザ川方面(雲が取れればラカポシがよく見える),その東にディラン,さらに東にはスパンティーク,背後にはウルタルやレデイースフィンガーなど望むことができ,いい見晴らし台になっている.


Darbarホテルの昼食

Darbarホテルの昼食

屋上で周囲を眺めてから,レストランで食卓を囲んだ.生野菜のサラダにダル煮込み,チキン唐揚げ,ご飯....などだったか.無難な味付けで結構だ.


車でカリマバードへ

ウルタル方面に面した客室

ウルタル方面に面した客室だった.窓からはウルタル峰や,旧ミールのバルティット城が見える.

水やお湯はかなり白く濁っている.氷河の融解水をほぼそのまま利用しているためカリマバード全域でこんなものらしい.下手に洗濯すると色が付着してしまう.事実備えられたバスタオルなどはグレーになっている.

エアコンを装備しているが,カリマバードのホテルではここだけだそうだ.すぐその辺に氷河の見える土地だが近年40℃を越えたことが数回起こったそうだ.


カリマバードを歩くwalk at Karimabad

夕方Darbarホテルで屋上に出る

夕方Darbarホテルで屋上に出る

Darbarホテルで荷物整理などして.シャワーを浴びてみるが....まだお湯は出ず,冷水のままだった.お湯の供給は夕方6時頃かららしい.そこで屋上展望デッキに出てみる.

ディラン(Diran:7,266m)はあいにく雲が架かりはっきりしない.その右はくっきり見えているが,名前は思い出せない.

それらの峰からフンザ方面に続く巨大なU字谷は見事な景観を見せている.きっとその昔氷河が形成したのであろう.


ラカポシは全容を見せている

ラカポシは全容を見せている

ディランから右に目を転じると,ラカポシ(Rakaposhi:7,788m)はその全容を覗かせていた.ディランと違って凹凸ある山稜が長く連なっている.

手前はナガールとカリマバードの村であるが,山との明暗差が大きく潰れてしまった.ほんとは緑がきれいに見えていた筈だ.


地元の皆さんもピクニック

地元の皆さんもピクニック

さて私たちは夕方になり,カリマバード散策に出かけた,ホテルにほど近い空き地には,多分他の都市からの観光客で,ブルーシートを広げピクニックを楽しんでいた.大きな鍋があるので,少なくとも鍋料理はあるようだ.日本での花見と似ているが,決定的に異なるのは酒がないことだ.酒無しでも盛り上がれるのにはいつも感心してしまうのだが.


私達が被写体になる

私達が被写体になる

パキスタン各地からの観光客が飛躍的に増えたというのは前述のとおりだが,そのためそうした観光客の皆さんが私達同様カリマバードの商店街を歩き回っている.そしてスマホで私達をパチパチ撮している.中には『ニーハオ,一緒に写ってくれ』と自撮り棒で操作する人にもしばしば出会う.

パキスタンでもインスタグラムやフェースブックといったSNSが大流行で,どうやら日本人(や他の東アジア人)が珍しいらしい.逆に中には『俺を写せ』と言ってくれる人もいるので大変ありがたい.


現地S旅行社カリマバード支社の辺り

現地S旅行社カリマバード支社の辺り

坂道を行くと現地S旅行社のカリマバード支社があった.2,3人のスタッフが軒下で客待ちをしている.本社はイスラマバードで40人ほどの社員がいるそうだ.なおガイドAさんも普段は本社勤務という.

またスタッフには,ここウルタル峰の雪崩で亡くなった長谷川恒男氏が大層好んだアサヒスーパードライを大量に運んだ,というメンバーの紹介も受けた.何れにしてもカリマバードはパキスタン山岳旅行先駆けの地であるそうだ.


カリマバードのケバブ屋さん

カリマバードのケバブ屋さん

パキスタン料理定番の一つはケバブ(Kebab)であろう.メニューは印刷された大きなポスターの通りで,串焼きがメインだ.

素材は店頭に吊るされた丸々一頭のヤギ(または羊)で,これから切り出すのであろう.豪快だ.


カリマバードのデコトラクター

カリマバードのデコトラクター

パキスタンと言えばデコトラが有名(現にいっぱい走っている)だが,トラは普通トラックを指している.ただこのケースはトラクターだ.所有者の青年はきれいに掃除し,デコレーションで目立たせるのに余念がない.頑張ってください.


ウルタルも何とか見えてきたか

ウルタルも何とか見えてきたか

夕刻近くになってきて,ウルタル1峰(左7,329m)は何とか,2峰(右7,388m)はかなりくっきり見えてきた.

さて明日はあの麓に行くがどんな天気になるかな~


レデイースフィンガーとフンザピークも頭を覗かす

レデイースフィンガーとフンザピークも頭を覗かす

レデイースフィンガー(Lady's finger:5,900m)とフンザピーク(Hunza Peak:6,270m)も頭を覗かせてきた.

レデイースフィンガーは1995年山野井泰史氏が長尾氏,中垣氏と共に3人で未踏の正面壁から登頂に成功したが,途中水分給できないため極めて困難な登攀で12日間を要したという.飲まず食わずでラマダンのようだったそうだ.


フンザ藩主(ミール)末裔のお屋敷

フンザ藩主(ミール)末裔のお屋敷

これがDarbarホテルに隣接し,同ホテルを建設したフンザ藩主(ミール)末裔のお屋敷.

その昔パキスタン(インド)は藩王国から成り立っていたが,1947年インドの独立とともに殆どは廃止となった.明治維新に伴う廃藩置県を連想する.ただ辺境のフンザ藩王国とナガール藩王国だけは長く残り,KKH開発が進んだ1974年まで存続したという.そしてミールの末裔(とは言っても最後のミールのお子さんくらいでは)がこのお屋敷で暮らしているということだ.


たおやかなディラン夕陽に染まる

たおやかなディラン夕陽に染まる

夕刻になってようやくディランの雲が取れた.ゴツゴツしたラカポシとは対照的,なだらかなように見える.ただ実際はかなりの難峰で1958年英隊のトライで犠牲者を出すなど,数次の遠征隊の失敗後,1968年ようやくオーストリア隊が初登頂したそうだ.

1965年,後に『白きたおやかな峰』を記すことになった北杜夫ドクターも加わった京都府岳連隊は残念ながら途中で断念することになったようだ.この著作のお陰で日本でディランの名を知らしめたようだ.また私には『たおやか』の形容は専らディランのためにあるように響いている.


マリカモスカリ丘ハイクMalikamo Shikari Hill HIke

朝焼けのラカポシ

朝焼けのラカポシ

さてDarbarホテルで一泊し,7月26日朝が来た.5時過ぎ,レストラン脇のテラスに出てみると,ラカポシが金色に輝いていた.とてもきれいだ.

1958年,英パキスタン合同隊により初登頂され,日本人では1979年には大谷映芳氏ら早大隊が初登頂したということだ.


スパンティークも朝焼け

スパンティークも朝焼け

スパンティーク(Spantik:7,027m,別名ゴールデンピーク Golden Peak)も朝焼けが美しかった.名のようにゴールドに輝いていた筈だが,白飛びしてしまった.ただ形が美しいのでいいことにしよう.

私たちはこうして遠くから眺めるだけだが,今回ツアー主催S社さんはスパンティーク登頂ツアーも催しており,少なくとも同社Kさんは既に登頂に成功しているようだ.凄い!


陽は高くなりフンザ川対岸が明るくなる

陽は高くなりフンザ川対岸が明るくなる

しばし山を眺めているうちに陽は高くなっていった.今日は快晴だ.そしてフンザ川対岸のナガールには強い陽射しが当たり,緑が輝いている.

フンザ川のこちらカリマバードはウルタル峰の陰で,陽射しはまだだ.当たると暑くなりそうだ.


Darbarホテル庭の花

Darbarホテル庭の花

Darbarホテル庭にはあんずの木が茂り,足元にはこんな花が咲いていた.名は知らないながら清楚な色合いだ.


マリカモスカリ丘ハイクに出発

マリカモスカリ丘ハイクに出発

ホテルで朝食後,私たちはマリカモスカリ丘(Malikamo Shikari Hill)ハイクに出発した.この写真真ん中白い建物が近年までフンザ藩主(ミール)の居城だったバルティット城(Baltit Fort),現在博物館で,その背後大きな台形状の丘がマリカモスカリ丘だ.マリカモスカリ(Malikamo Shikari)はミールのお妃の名だそうで,丘に上ると立方体記念構造物が見られる.

さて写真はDarbarホテルを出て直ぐのところであるが,庭や建物屋上にテントが幾つも見えている.前述のようにパキスタン国内からの旅行者が急増したため,十分ホテル供給できず,こうしたテントの仮設宿泊設備が提供されているのだそうだ.今の季節なら結構いいかも知れない.昼間は暑くて大変そうだが.


ウルタル峰で雪崩起こる

ウルタル峰で雪崩起こる

少し行くとウルタル2峰の斜面で雪崩が起こった.かなり大規模だ.その辺りを歩いているクライマーが居たら大変だが,こうして外から眺めている限り迫力があって見応えがある.

ロッククライマーにしてフォトグラファーの同行Oさんも,いいシーンに遭遇したとの感想を漏らされていた.


ウルタルとレデイースフィンガーBCへの案内標識

ウルタルとレデイースフィンガーBCへの案内標識

商店街を抜け少し行くとこんな標識があった.ウルタルとレデイースフィンガーBCへ道と記されている.ウルタルとレデイースフィンガーは相当離れているように見えるが近いのか?それとも途中で分岐するのか?

なおレデイースフィンガーでなくレデイフィンガー,本名Bubulimuting(6,000m)と記されている.


道を跨ぐ家

道を跨ぐ家

カリマバードは平地ではなく山あいの斜面に家々が展開されている.この家は苦肉の策か,若しくは通行監視の役割を負っていた監視所を兼ねていたか,こうして通路上を覆うように建てられている.面白い.渋谷で言えば西武A館,B館を繋ぐ橋のような感じか....いやちょっと違うが.


入り口ドアのレリーフ

入り口ドアのレリーフ

入り口の木製ドアには凝った模様のレリーフが刻まれている.きっと由緒ある家柄のお宅であろう.絵柄はイスラムの土地柄故動物は皆無で,全て草木の葉っぱなどだ.かと言って,所謂アラベスクなど純幾何学模様はなく,かなり具象的葉っぱ模様だけであるところがなかなか興味深い.


ラカポシを背にした杏子(アプリコット)

ラカポシを背にした杏子(アプリコット)

さてカリマバードのトレック路を歩いていると,杏子の里と称されるだけあって,所々に杏子(アプリコット)の実る様が目に入る.ここではちょうどラカポシを背にし,絵葉書のようである.そんな他所様の杏子であるが,ガイドAさんが採ってきてくれて,美味しく頂いた.多少他人の杏子の実を頂戴してもとやかく言わない大らかな文化が伝統らしい.この先もこうであって欲しいものだ.

なお右隣はポプラで,これもカリマバードでは大事な木だ.上のレリーフドアもポプラ製かも知れない.


屋根上で杏子を干す

屋根上で杏子を干す

杏子は生のままでは大して保存が効かない.そこで干してドライアプリコットにする.大抵屋根の上や(砂ホコリを受けながら)道端に干してある.

オレンジ色杏子の他に黒っぽいのと薄黄色っぽいのが見える.チェリーと桑の実ではなかろうか.

これらドライフルーツは長寿の里とも称されたフンザで大事な食物の一つとして数えられたのではないかと想像された.


村を外れ,いよいよ上りトレイルに入る

村を外れ,いよいよ上りトレイルに入る

さてカリマバードの村を離れ,いよいよ村に導く水路脇のトレイルにやって来た.水路はウルタルの氷河から流れ出る水を通し,基本的にはそのまま飲料水やお風呂など生活用水に用いられる.氷河融解水なのでかなり濁っているのはホテルの水道水や風呂水で体験済みだ.


用水路脇トレイルはよく整備されている

用水路脇トレイルはよく整備されている

用水路はカリマバード最重要ライフラインの一つであろう.それを安定的に維持するにはメンテナンスが重要な筈で,脇にはそのためのトレイルがよく整備されている.私たちはそれを利用させてもらって上に進んだ.

なお水路脇には漏れる水分が供給されるからであろうが,陽射しを遮る樹木が茂り,またいくらか畑も見える.


水路脇を離れ陽の当たる場所になる

水路脇を離れ陽の当たる場所になる

トレイルはやがて水路脇を離れ,右側,陽の当たる場所に入った.陽が当たるとやはり暑くなる.


斜面の草地に至るとヤギとヒツジ

斜面の草地に至るとヤギとヒツジ

しばし斜面を上ると草地に至り,ヤギとヒツジが草を喰む様子が見えた.どことなくほっとする光景で,思わず顔がほころんでいると思う.

ただここまでヤギとヒツジを連れてきたり,連れ戻したりするのは大変だろうな~とも思う.


マリカモスカリ丘終盤はかなりの急登

マリカモスカリ丘終盤はかなりの急登

マリカモスカリ丘終盤はかなりの急登だ.上りは何とかなるとして,下りは大変だ.添乗Nさんに手伝ってもらってようやく下ったのだっった.


マリカモスカリ丘に至る

マリカモスカリ丘に至る

そのうちマリカモスカリ丘に到着した.ウルタルを目の前に少し広いスペースがあり,その一画,写真左側に殆ど同化した色合いの四角い建造物(上部が少し傾いでいる),これがマリカモスカリ王妃(Malikamo Shikari)の記念物として築かれたものという.別に記された文字も絵や写真も無く,これが王妃縁の建造物だと窺わせるものは皆無だ.ちょっと不思議だ.

ただ少なくともガイドAさんだけは,その縁をよくご存知のようだ.この丘から始まる水路を開発したのはA氏のお父上で,大きな誇りであるそうだ.なお別のときに伺ったのだが,AさんのファミリーネームはKhanで,どうやらムガール帝国に連なる名家の末裔のようである.


ウルタルと黒いウルタル氷河

ウルタルと黒いウルタル氷河

マリカモスカリ丘に立つとウルタルと,そこから流れ来るウルタル氷河がよく見渡せる.氷河は削り取った石で覆われ,真っ黒である.そしてエンドモレーンはちょうどこの丘の下辺りになっている.

ウルタル氷河左側の緑はAさん父上建造水路に沿う漏水をうまく用いた樹木だ.改めて上手く育つものだ感心する.

ちょっと写真には写ってないが,丘にはやはりAさんお父上手植えという大きな木(松だったか?)があり,私たちはその下でお弁当を広げた.凍らせたマンゴージュースも頂戴したがなかなか融けず,ちょっと閉口した.でも美味しかった.


マリカモスカリ丘から望むカリマバードとディラン,ラカポシ

マリカモスカリ丘から望むカリマバードとディラン,ラカポシ

マリカモスカリ丘に来ているときは当然陽は高く,陽光を浴びるカリマバードと,その先にディラン,ラカポシが白く輝いていた.

こうして眺めていると周りが茶色一色の岩山なのに,カリマバードやナガールの村が豊かな緑に包まれていることに感激する.


マリカモスカリ丘からはスパンティーク方面もよく望める

スパンティーク方面もよく望める

カリマバードから少し標高を上げたためスパンティーク方面も麓からよく望める.

手前白く見えるのは,はてヒスパー氷河であろうか?違うかな?


マリカモスカリ丘から下りにかかる

マリカモスカリ丘から下りにかかる

さてお弁当も平らげ,下りになった.特に最初は急で大変だった.添乗Nさんに掴んでもらって何とか下った.しばらくすると坂は緩和され助かった.


水路脇まで下り休憩

水路脇まで下り休憩

往きで歩いたトレイル脇水路まで下った.木立もありここで休憩.いや~涼しい.木は栗だったかな~

一休み後,往路と同じトレイルをそのまま下った.そしてカリマバードの村に入っていった.


カリマバードの結婚披露宴wedding Reception at Karimabad

カリマバードの結婚披露宴ガイドSさん宅庭では大鍋で煮込み料理中

ガイドSさん宅庭では大鍋で煮込み料理中

さて私たちは水路脇トレイルから斜面に点在する家々の中で,現地エージェントS社のガイドSさんのお宅方面に回り込んだ.Sさんの弟さんが結婚する3日続きの披露宴があり,その中日に私達も加えてもらうためだ.

Sさん宅に到着すると庭では男どもが大鍋でカレーやダルスープなど煮込み料理の最中であった.ところでこの調理場では女性は居らず,ここはどうやら女人禁制のようだ.


カリマバードの結婚披露宴Sさんどうぞよろしく

Sさんどうぞよろしく

こちらのイケメンがSさん.以前ラシュファリでお世話になったことがあった.今回もどうぞよろしく.

残念ながら私は見てないが,Sさんは日本映画に出演し,本来ペラペラの日本語をたどたどしく話したそうだ.役柄上あまり上手に話してはまずかったらしい.

なお写真に写ってないがやはりラシュファリでお世話になった山岳ガイドKさんも居られて,互いに顔を合わすと直ぐに思い起こし,握手を交わした.3日続き披露宴には合わせて200人くらい顔を見せに集まるようだった.


カリマバードの結婚披露宴女性は専用スペースで落ち着いている

女性は専用スペースで落ち着いている

女性は大鍋料理やダンス(後述)や楽器演奏に加わらず専用スペースで落ち着いている.

ギルギットから南部などと比べて進歩的なフンザ地方は,女性が街を出歩くのは普通であるし,ヒジャーブの色や被り方も相当大らかだ.でも座る場所は違うようで,屋外別の庭や室内で纏まって食事しているようだった.


カリマバードの結婚披露宴のごちそうになる

披露宴のごちそうになる

私たちはSさんの家の一室に上がり込んで,ごちそうを頂戴した.たしかピラフ,ナン,茹でビーフ,ビーフの炒め物....など,それにスプライトボトル入りフンザウオーターだった.幾つかは上記庭の大鍋で作られ,他はキッチンで女性が調理してくれたそうだ.

フンザウオーターは桑の実と黒砂糖と...を発酵させ,それを蒸留して作るようだ.普通調理は女性の役割と厳格な掟があるのだそうだが,フンザウオーター(および大鍋料理)だけは男の仕事と,例外があるようだ.


カリマバードは大家族露宴

カリマバードは大家族

食事を挟んでSさんのご家族を紹介してもらった.Sさん宅は17人家族で,ちょっと家が手狭で困っているという.ただカリマバードではこの数値は普通で,二十数人の家庭もあるという.

前述のように炊事は女性の役目であるが,他の家事一般,庭の家畜の世話なども女性の仕事と定められ,女性が少ない家庭は大変だという.そして男は専ら外で稼いでお金を家庭に入れないとならないそうだ.

別の機会にガイドAさんに,バルトロでシェフだったSfさんの様子を訊ねたところ,少し前に結婚し,子供ができた.しかし稼がねがならないのでドバイに出稼ぎに行き,帰ってくるのは1~2年に一度がやっとであろう,ということだ.女性も大変だが男も楽ではないのだ.

ところで紹介してもらったSさんの奥さんはハセガワメモリアルスクールの英語教師で,息子さんはその幼稚園に通っているそうだ.3歳で受ける入園テストで,英語で自己紹介できないとパスできないそうだ.ひゃ~大変だ.


カリマバードの結婚披露宴でヘナアートを施す

ヘナアートを施す

カリマバードの美女がやはり我がグループメンバー美女の手にヘナ(hena)で吉祥模様を描いてくれている.若いが手慣れた様子でスイスイ描いていく.上手いものですね.


カリマバードの結婚披露宴にミュージシャン登場

ミュージシャン登場

そのうち狭い庭の一画に笛や太鼓を携えてミュージシャンが登場し,演奏を始めた.地元の伝統音楽が主なように聴こえる.

こうしたバンドはカリマバードの音楽仲間が集まり結成するのであろうが,こうした結婚披露宴以外に観光用にもあると思う.日本なら祭りもありそうだが,ここは祭りそのものがあるかな....


カリマバードの結婚披露宴ダンスは飛び入りで

ダンスは飛び入りで

そのうち飛び入りでダンスが始まった.写真黒っぽい装束の男性は拍手喝采を浴びた名手で,別場所に陣取った女性たちも見物に姿を現した.

また観客がご祝儀のお札を差し出すと,それを手にかざして舞を継続した.そして踊り終えて引き上げる際には,そうしたお札はバンドメンバーに手渡していた.お金は最終的にバンドに上げるのが習わしなのだという.


カリマバードの結婚披露宴女の子は踊れない

女の子は踊れない

傍らでダンスを眺めていた女の子.男の子は誘われて踊っている子も見かけるが,女性は子供を含めてだめだということだ.

ガイドAさんに訊くと,フンザの伝統だから,ということだ.パキスタン全土の伝統ではなく,大都市や南地方では女性のダンスは珍しくないということだ.


結婚披露宴から引き上げ夕焼のスパンティーク(Spantik:7,027m,別名ゴールデンピーク Golden Peak)を望む

結婚披露宴から引き上げ夕焼のスパンティークを望む

結婚披露宴から引き上げ,Darbarホテルのテラスに出ると夕焼のスパンティークがきれいだった.別名のゴールデンピーク(Golden Peak)の名に恥じない美しさだ.


さて明日からいよいよトレッキングが始まる.楽しみだ.



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