このコノコーチャ峠編では,2014/5/31朝マイクロバスでリマを出て,太平洋沿いのバランカに来て昼食.午後内陸に向かいチャキスタンボを経てコノコーチャ峠に至り,コノコーチャ峠の先を北に下りワラスに入るときの写真を載せました.山としてはカウヤラフ,カシャン,シャクシャ,ワンツアンなどがあります.
この日私たちはマイクロバスでリマ(1)を発ち,海岸沿いのバランカ(A)でお昼になる.午後は内陸に入りチャキスタンボ(B)で休憩し,やがて標高4,050mのコノコーチャ峠(2)に至る.峠からはアンデス山脈の峰々を眺めつつ宿泊地ワラス(3)へと向かった.
別窓で大きなGoogleマップを開くリマ空港近くのCosta Del Sol Ramadaホテルをマイクロバスで出発した.リマのこの季節(冬)は気温は丁度いいくらいであるが,どんよりした空模様だ.概ねこうした空の毎日だそうで,鬱陶しい.さて出発地は空港なので元々郊外なのだが,近くでは朝市が開かれていた.市場の常で,果実や野菜が多く扱われている.バナナなどご当地産が当然幅を利かせていて,概して南国風の印象だ.
そして街を抜けると太平洋沿いのパンアメリカンハイウェイに入り,次のバランカまで北上を続けることになる.
果物の種類も多いが,花も多い.私が典型的南国の花と思い込んでいるハイビスカスやブーゲンビリアなど,実にいろいろ見える.どんよりした空模様なのに少し不思議だ.
立ち寄ったガソリンスタンド併設ショップでちょっと買い物をした.添乗Hさんにペルー通貨(ソル)がなくともUS$で大体大丈夫ですよ,若干レートは悪いですが,と聞いていたのでソルに両替していなかったが,その通りだった.私は大して買い物をしないのだが,どこでもUS$で使えた.お釣りをソルでくれるところが多かったが.
以前南のナスカに行くとき感じた『ペルーは砂漠が多い』と云う印象は,今回北に向かう時もやはり受けた.花が咲き,果実が実を結ぶ土地は一定以上の雨若しくは地下水があるのであろうが,それが疎らで乾いた土地も多いのであろう.ナスカはその極端な例であろうが.
なおアンデス山脈の向こう側はアマゾンになるそうで,実はペルーの半分以上はアマゾンエリアが占めるという.想像以上だ.ただペルーアマゾン行き(日本からの)パッケージツアーなどはまだあまりないようだ.
砂漠の真ん中におそらく不法であろうが,バラック住宅がたくさん見える.電気や上下水道,ガス,ゴミ回収....といったインフラが皆無のエリアに建てられている.生活が苦しくアンデスの山奥から出てきた人が多いと聞いたことがあるが,ここでも非常に大変な様子が窺える.フジモリ元大統領や,選挙で破れたががケイコ候補はこうした人たちの層の生活向上に注力し,評価が高かったようだ.
下は,リマを出て,バランカに向かうときの写真
暫く走りバランカ(Barranca)の街に入り,海岸のレストラン前に停まった.対岸の岬には白い十字架が架り,カトリックの国らしさが窺える.今はオフであるが,陽光の輝く頃にはきっと湘南海岸のように混み合うのであろう.
バランカ海岸のこのレストランでランチとなった.なお復路でもまたこのレストランで食べることになるのだが,ほぼ同一のメニューで,まあ随分商品品目を絞って経営の効率化を図っているな~と感じさせられたのであった.
絞りこまれた定番メニューがこれである.生の魚はもち論私たちには違和感はない.お酢ではなく,お醤油とワサビで,ビールを添えて食べたらさらにいけるかも知れない.白身魚はフライとトマトソース煮込みともになかなか美味しい.添えられた芋はジャガでもなくサツマイモでもなく,初めて食べる大型の芋と云った雰囲気の味だった.
リマ市中も含めて実に多様な三輪車が走っている.ここでは三輪タクシーが見えた.タクシーだけあって綺麗な外装が施されている.
こういった三輪車はネパール辺りでは排気ガス排出の観点から規制され,大幅に減った国もある.だがペルーでは以前訪れた時より圧倒的に目立つように感じられるので,増えたのではなかろうか.
下は,バランカ辺りまででの写真
バランカからはパンアメリカンハイウェイを逸れて,東の山道に入っていく.入るに連れ天気が良くなり,大地が乾いていく.山肌は完全に木がなくなり,茶色一色に変わっていった.
やがて完全な乾燥地帯に入り,唐辛子(チリ)の乾燥場があった.他所の海岸近く,雨の降る畑で収穫した唐辛子をここに運んで,地べたに広げて乾燥させるという.最初は赤みが多く,乾燥が進むと黒ずんでくるようだ.傍で眺めてみると日本の唐辛子と較べて相当大きいサイズだ.まあ随分と大量に並べてある.
同じようにトウモロコシも並べて乾燥しているシーンにも出合うが,既に最盛期を越えたのか多くはない.
乾燥地帯に適応した植物と言えばやはりサボテンであろう.殆ど岩の山肌にサボテンだけは生命を維持している.
山の中腹にチャキスタンボ(Chaquistambo)の街があり,ここで一休みした.ちょっと西部劇のような雰囲気も感じられる.
大型トレーラーのドライバもここで一休みしている.
手前の青い果実はチリモヤと呼ばれる高級果実.ここペルー辺りが原産で,手で割ると覗く白い実はとても甘く円やかな味.ソフトクリームのようで,ほっぺたが落ちそうである.台湾の釈迦頭と形も味もよく似ているが,若干表皮の凹凸は少ないと思う.
マンゴー,マンゴスチンと共に『世界三大美果』の一つとされるそうだが,確かに私にもそんな風に思われる.なお中くらいのサイズ一個が1US$だったので,台湾で釈迦頭を買うのと較べて半額くらいか.なお日本では非常に高価らしい(私は見たことも食べたこともない).きっと保存性が良くないので,空輸などの輸送費が高くなるのではなかろうか.
下は,チャキスタンボ辺りでの写真
海岸沿いとは劇的に気象が異なり,アンデスは乾季の真っ盛り,空は抜けるように青い.私たちもこの乾季に狙いを定めてトレッキングに出かけて来た訳だが,きっとブランカ山群も期待に応えてくれよう.
コノコーチャ峠を目がけインカコーラトラックが上っていく.インカコーラはペルーの地コーラだ.コカコーラと競合するであろうが,トラックのサイドにはでかでかとコカコーラも併記されている.大した度量だ.
なおKolaとCola,若干表記に差があり,飲んでみるとインカコーラの方がマイルドな味だ.
上ってきた谷あいが見える.こうして振り返ると私たちの車は結構高度を上げたようだ.
やがて車はコノコーチャ峠(Conococha pass:4,050m)に至り,しばし停車し周囲を眺めた.峠といってもばかに広々し,肉眼ではここが峠とは識別できない.
この写真で左端に見えるのはブランカ山群最南端に位置するカウヤラフ(Caullraju:5,686m),右に見えるのはワイワッシュ山群(Cordillera Huayhuash)の一部のようである.
コノコーチャ峠はまた分水嶺となっており,これより北に降る雨は太平洋に注ぎ,南に降る雨はアマゾンに流れ込むようである.写真の湖は北の方に流れ落ちるようだ.
さすが標高4,050mの峠に民家は見えないが,少し下った位置には民家が並んでいる.お下げに山高帽,原色セーターにスカートの伝統ファッションに身を包んだ奥さんが明日の天気を読んでいる(想像).この辺りの人々は主に羊などの牧畜を生業にしているのではなかろうか.
リャマ(或いはアルパカ)を連れた聖人と思われる像が建てられている.ペルーはカトリック教徒が多く,道端にマリア像や十字架もよく見かける.リャマを連れているのはこの地方特有のシーンであろうが,きっと興味深いストーリーが背後にあるのであろう.
峠を少し過ぎるとカウヤラフ(Caullraju:5,686m)に近づき,135mmのレンズでも随分と大きく見えるようになってきた.なかなかどうして立派な山容だ.
下は,コノコーチャ峠付近での写真
コノコーチャ峠を越えてさらに進んだ.カウヤラフ(Caullraju:5,686m)はすっかり姿を変え,南半球であるので北から順光が射し込んできた.
夕暮れ時であるが,インディヘナと思しき地元の人たちがピクニックを楽しんでいた.子羊を連れた婦人も居られる.写真撮ってもいいですか?と訊いたらOKしてくれた.乾季のこの時期,地元民にとってもやはり戸外で楽しむに最適なのであろう.
カシャン(Cashan:5,686m)(左)とシャクシャ(Shaqsha:5,703m)(中央)のようである.とすると右側はワンツアン(Huantsan:6,395m)の左側か?それともウルアシュラフ(Uruashraju:5,722m)であろうか?
尖った山はワンツアン(Huantsan:6,395m)らしい.こうした鋭利な山容が多いのはやはり山が形成されて比較的新しいためであろう.
他に幾つも見たのだが何という山か判らない.
下は,コノコーチャ峠の先での写真
こうしてコノコーチャ峠を越えて行き,5/31夕刻ワラス(標高3,050m)の街のホテルに到着した.