この帰国編では,2014/6/7(土)朝ワラスの街を離れ,リマへ行き,リマにてお店やレストランに立ち寄り,翌6/8(日)深夜リマ空港からアトランタへ向けて飛び立ち,アトランタ空港で少し待ち成田へと向かい,6/9(月)夕方成田に到着したときの写真を載せました.
アンデスを離れる2014/6/7(土)朝,ワラスのAndino Club hotelで目覚めた.今日もいい天気で,街とワスカラン,ワンドイが陽に照らされていた.
朝食後マイクロバスに荷物を積み,ホテルを出た.ワラスの街の途中,緑の分離帯のある写真の通りにある,ガイドVさん所属のexplorandes社に立ち寄った.同社ロゴ入りTシャツをプレゼントして下さるということで,ありがたく頂戴する.
街を抜け,ワラス郊外に来た.アンデスを背に羊が草を食んでいる.この辺りはいい牧草地が広がっている.
コノコーチャ峠に向けバスは走った.左手には次々とアンデスの山並みが展開され,綺麗に望めた.これで見納めだ.
バスはコノコーチャ峠を越えて,丘陵地帯を走った.途中の小さな集落で,ロバと引く娘さんが苦労している.普段従順なロバが,何故かへそを曲げて頑として動こうとしない様子だ.ロバには『頑固者』の異名もあるそうだが,そんな状況を説明する動画のようである.
やはり丘陵地帯の一画.周囲の山はハゲ山なのに,谷あいには綺麗な畑や住宅が広がっている.周囲の山が降る雨を集めて,谷あいに供給する地形なのであろうか?
往きと同様,またチャキスタンボ(Chaquistambo)のアデランテレストランで休憩した.この街はトラックドライバーのお客さんが多いようだ.
往きで見物した唐辛子の乾燥場であるが,今回は乾燥を終えた唐辛子のパッキングにとりかかっていた.結構大勢の人が作業しているので,この日は大量に仕舞うのであろう.
チャキスタンボから西にどんどん下り,やがて太平洋沿いのバランカ(Barranca)海岸に出た.ここからはパンアメリカンハイウェイに入るのだが,このまま南にどこまでも行けば,前年訪れたアルゼンチンパタゴニアにある南終点に達する筈だ.
さてここバランカでは,往きと同じレストランで,同じメニューのランチを頂いた.店の前にはちょっとワルそうに気合を入れた3輪車が停まっていた.3輪車だけに思わず吹き出してしまった.
大分リマに近づいた.この辺りは広大なサトウキビ畑が続いている.そして一部の畑では写真のように,刈り入れが始まっていた.人力で刈るには重労働だと思う.
リマに近づくとバラックハウスも増える.そしてそんなハウスの壁にも選挙の候補者名がペイントされている.もち論普通の家の壁や塀にも盛大に描かれている.昔まだマルコス影響下の頃,フィリピンでやたらめったら選挙ポスターが貼られ,驚いたことがあったが,あれ以来久々に味わう雰囲気だ.
夕方になりバスはリマの街に入ってきた.最初ここに着いた時と同様どんよりした空模様だ.ワラス方面とはエラく違うと改めて認識する.
仕事を終えて帰宅する人が増える時間帯になった.車やバス,タクシーの交通量が多くなった.場所によっては渋滞している.写真はそんな渋滞場所で,スナックなどを売り歩く売り子さんだ.細やかながら生計の足しにするのであろう.こうした商売はインド辺りでも頻繁に見かける.
日系人がオーナーというお土産屋さんに案内してもらった.リマにはこうしたお店は少なく,またあっても早い話が物騒なのが当たり前なのだそうだ.このお店も通りに面してはカギの掛かったドア一つで,ショーウインドウなど全くない.看板もないので表からはお店なのかどうかは判らないようになっている.驚いた.
入ると,かなり広い店内には特に衣服や帽子,バッグなどが多く,食品は僅かしかない印象だ.多分他ではあるであろうマチュピチュ柄パッケージのチョコ(想像)など置いてない.お店の方針なのであろう.
これは近所のドラッグストア.営業中なのに入り口は鉄格子が嵌められている.客はどこから入るのか?客か強盗か,お店が判断しカギを明けるのではないでしょうか.
レストランなどの窓も鉄格子が嵌められているところが多い.まあ,とにかく物騒な街なのではないかと印象付けられた.
リマの通りは概して暗い.ただ所々に見えるカジノだけは煌々と明かりが灯され目立つ.日本でもパチンコ屋さんがやたらめったらキラキラ明るく点滅しているのと同様だ.
先ず店名『富豪酒家』に驚かされる.実際入ってくる客はリマのお金持ちといった雰囲気の人が多いように見えた.
私たちはバフェ形式の庶民コースだったが,とても美味しく,たらふく頂戴した.ケスクーニャビールも美味しい.
夕食の後,都心を通って空港に向かった.途中ライトアップされたリマの教会が見えた.なかなか大きく立派な造りだ.特段の観光名所ならよくあるが,多分そうではなかろう教会が遅い時間までライトアップしているのが興味深い.信徒の方々へのメーッセージなのであろう.
バスはリマ空港,正式にはホルヘチャベス国際空港に到着した.このデルタ航空カウンタでチェックインした.搭乗券はアトランタから成田までの乗り継ぎ分も含めて発券し,荷物は成田まで通しで預かってくれた.ただしアトランタでの検査に備えカギは架けず開けておいた.またマイレージも通しでカウントしてくれた.
また長い間お世話になり,ここまで来てくださったガイドVさんとはここでお別れだ.大変ありがとうございました.
既に日の変わった2014/6/8(日)深夜,デルタ航空DL-150便に搭乗し,ほぼ定刻01:20アトランタへ向け離陸した.機材はB767-300ERで,私の横は空いていた.深夜だがなかなか寝付けないので前述の『Jack Ryan:Shadow Recruit』など眺めて過ごした.
DL-150便は少し遅れてもいいものの,概ね予定通り9時過ぎアトランタに着いた.次の成田行きは午後2時頃発なのでかなり時間がある.皆さんとフードコートで集い,撮った写真を見せてもらいながら,スタバのコーヒーで延々と粘った.
さてようやく搭乗時間となり,デルタ航空DL-295便に乗り込む.機材は来るときと同じB747-400(B744)だった.LCDモニタなど改良してあるが,本体は結構古いであろう.最近日経に載っていた記事を見たら,世界の主要航空会社で古い機材の保有率が最も高いのはデルタ航空だった.ANAやJALでは全く使わなくなったB747などを,このように普通に飛ばしているためであろう.
でそのB747で,私の隣り2つは空席であったので,肘掛けを上げ,寝転むことができた.これは良かった.
途中日付変更線を跨ぎ,2014/6/9(月)に入った.そして長いフライトの末,成田上空に達した.あと14分で着陸だ.
成田に着くと,荷物を受け取り,皆さんにお礼を言い,お別れした.長い間お世話になりありがとうございました,皆様もお気をつけてお帰りください.
皆さんとお別れし,通関後宅配便カウンタに行き荷物を預かってもらった.そして京成の辺りで,DL-295便シートポケットに旅行リーフレットや挟んだ名簿を忘れたことに気付いた.戻り,デルタ航空に連絡し,探してもらったが,既に掃除が済んでおり,見つからない,ということでガックリ!幾らか書き込んだメモがないのは甚だ残念だ.これも加齢がもたらした失敗であろうか(←加齢でごまかすな).
まあそれはそれで仕方ないので京成と東京メトロで帰宅した.楽しかった,おしまい.