このビエルタン編ではビエルタンの街,ビエルタン要塞聖堂,ビエルタン近郷のサスキズ要塞教会やルーパの要塞を眺めたときの写真を載せました.
ルーマニアのビエルタンはこの辺りに位置している.
ビエルタンはシギショアラの街に程近い.確かバスで30分程度であったか.交通量の少ない静かな街は平屋建ての住宅が多い.土地が比較的豊富なのであろう.羨ましい限りだ.
ビエルタン要塞聖堂は少し高台に位置しており,街を眺め下ろすことができる.街全体は平野ではなくなだらかな丘陵地帯に展開されていることがよく判る.畑と酪農半々くらいの営農であろうか?
ビエルタンもまた例に漏れず,トランシルヴァニア地方におけるドイツ人入植地の一つであるそうだ.建物もドイツ風様式が採り入れられていると思われる.
ただ他のトランシルヴァニア都市のザクセン人も同じなのだが,1989年の共産党政権崩壊後はドイツ系住民は追われ,ドイツ等へ移住したということだ.
下は,ビエルタンの街の写真
街の一画から要塞聖堂を見上げるとこんな風に見える.大きな礼拝堂の他に幾つかの尖塔が建てられている.尖塔は礼拝堂,時計塔や鐘楼でもあるが,要塞としての見張り台としても機能していたようだ.
写真では周囲の建物に邪魔され見えないが,城壁で囲まれている.高低差の少ない写真右手辺りは城壁が三重にもなっている.
この地には最初カトリックの聖マリア聖堂が12世紀に建てられたが,現在の聖堂は16世紀初頭ゴシック様式で建設されたものだそうだ.そして途中マルティンルターの宗教改革がここトランシルヴァニア地方にも広まったことを受けて,プロテスタントの聖堂へと変換されたようである.但し,前述のように敷地内には幾つかの建物があり,その中の一つはカトリックの礼拝堂として継続しているようである.
この礼拝堂には,正面に28枚(いや18枚か?)の絵画パネルや,大きな石で彫刻された説教壇や,パイプオルガンが備えられていた.
彫刻も絵画も色鮮やかで,綺麗だ.額縁でタイル状に区切られているところがかなりユニークに感じられる.これらは聖マリア聖堂として建立された当初からの伝統であろうか,聖マリアの絵が多く,カトリック的色彩が色濃く感じられる.
要塞聖堂は要塞として,オスマン帝国やハプスブルク帝国(神聖ローマ帝国)の軍から守る役目があった.その機能の一つとして,外敵の襲来を見つけ出し,監視するためこのような見張り塔が設けられたそうだ.
防御手段の一つが三重の城壁だ.写真は一番外側と中間の城壁の間に設けられた通路.兵站路として活用されたようだ.
外敵を監視し,この下に現れたら石や煮えたぎった油を注ぐ穴だそうだ.壁の内側から外側は見易いが,壁上部がオーバーハングしており,外側からは覗き難くなっている.
以上のような要塞機能に加え,聖職者の霊廟や,離婚希望夫婦の部屋などという面白い施設もあった.これは食器やベッドが一人分しか備えられず,ここで2週間過ごすことで,仲良く分けあって共用することで離婚を思い直す効果があったということだ.
下は,ビエルタン要塞聖堂での写真
要塞聖堂の玄関ドアは彫刻が施されたなかなか重厚な造りだ.
礼拝堂の左側に隣接した宝物庫(聖具など収納する)の入り口ドアはあまり厚くはない木製(樫の木)であるが,上下左右合わせて16本もの鋼鉄製かんぬきが掛かるという大した代物だ.かんぬきの開閉は中程のロックメカニズムで16箇所をまとめて操作するそうだ.このドアは1900年パリ万博に出品され,その精巧さから何とか賞を受賞したそうである.この時のパリ万博では前回1889年パリ万博で建てられたエッフェル塔にエスカレータが設置され話題になったようだ.日本政府は法隆寺の御物などを出品したようだ.
さて,その栄誉あるドアロックであるが,数年前故障し,動作しないという.ガイドAさんの話では,修理する職人さんが居なくなり,誰も直すことができないという.困ったものですね.
これら要塞聖堂は『トランシルヴァニア地方の要塞聖堂のある村落群』(旧名:ビエルタンとその要塞聖堂)(Villages with Fortified Churches in Transylvania)として1993年世界遺産(文化遺産)に登録されている.
上記ビエルタン要塞聖堂から少し南に下ったサスキズの街に建てられているのがこのサスキズ要塞教会(Fortress church Saschiz).ビエルタン要塞聖堂と違って,平坦地に城壁もなく建てられ,一見要塞には見えない.しかし高層構造で窓は下部になく,上部のみに設けられていたりするところからするとやはり要塞的だ.
このサスキズ要塞教会は前述の『トランシルヴァニア地方の要塞聖堂のある村落群』世界遺産登録対象の一部を成しているそうだ.
なおこの世界遺産登録対象はビエルタン,サスキズ含めて7つの要塞教会が含まれるが,当時トランシルヴァニア地方に建造された数百もの教会の殆どは要塞機能を備えていたそうだ.特にオスマン帝国の襲撃は激しく,また幾度となく繰り返されたため,その防衛に注力されたようだ.
この要塞はビエルタンとブラショフのちょうど中間くらい,ルーパ(Rupea)の街の丘に建てられていた.教会ではなく,いかにも頑丈な山城そのものといった様相だ.
現在は廃墟になっているが,折角だから観光資源として補修しようか,という話もあるそうだ.
まだ見えないがビールの原料ホップ栽培の畑だそうだ.ブドウ棚のように丈夫にワイヤーが張られているので,ブドウのように蔓に実ができるのであろうか?今3月下旬なのでこれから秋(多分)までの間で,大きく生育するのでしょうか?
ビエルタンよりブラショフ寄りに近い村.夕暮れ時で景色が赤くなってきた.背後の丘に羊の群れが見える.この辺りはブカレスト近郷と違ってトタン屋根の家は多くないようだ.気象条件が厳しいのであろうか.
ブラショフに大分近づいた.フランス資本のセメント工場だそうで,製品のセメントはほぼフランスに輸出されるそうである.
ブラショフの入り口まで戻った.ショッピングセンターがあり,ここのスーパーマーケットに立ち寄った.かなり広い店舗で,1フロアに衣料品,雑貨から食料品まで並んでいる.ワインなど買ったがクレジットカードが使えるのがいい.
下は,ビエルタン近郷からブラショフに戻るときの写真