このシギショアラ編ではシギショアラへ行き,旧市街の仕立業者の塔,大工の塔,カトリック教会,ドミニコ会修道院付属教会,時計塔,屋根付き階段,山上教会,ドラキュラ伯爵の生家レストランなどを見物し,シギショアラ新市街を眺めたときの写真を載せました.
ルーマニアのシギショアラはこの辺りに位置している.
朝バスでブラショフを出て北に向かった.途中の野原や村は昨夜の雪で薄っすら雪化粧が施され,いい眺めだ.この辺りは畑で穀物や野菜栽培が多いようだ.また羊や牛の放牧もちらほら見える.
暫く走ると高度を上げて森林地帯に入り,ボガダ峠と呼ばれる辺りを越える.この森林辺りはチャウセスク元大統領もハンティングを楽しんだ所で,別荘も建てたそうだ.現在その建物は狩猟博物館に転用されているようだ.なお最近は保護の観点からこの森林での狩猟は禁じられ,もう一つの名産として知られるマッシュルームを多く産するそうだ.
下は,シギショアラへでの写真
野を行く電車(機関車)は見事なまでに落書きでいっぱいだ.
さてバスはシギショアラ旧市街に到着した.先ずはこの入り口門をくぐる.この塔の門は仕立業者ギルドの塔だったのだそうだ.シギショアラは前ページのブラショフ同様トランシルヴァニア地方に含まれ,ハンガリー王の支配下で12世紀からドイツはザクセン人の植民地となった地だ.入植したザクセン人は故国で堅固なカルテルとしてギルドを形成したと同じように,ここトランシルヴァニア地方でもそれに倣ったそうである.この門はそんな業種別ギルドの仕立業界の本部といったところであろう.
どのような業界であったか失念したが,この横丁辺りは同じ業種の仲間が集まっていたそうだ.当時からの石畳舗装がしっかりしている.まあこうした業界集積は江戸でも人形町とか,馬喰町とか...あるし,現代でもちゃんとかっぱ橋,秋葉原,...のようによくあることではあろう.
なお先に見えているの後に訪れる山上教会.
大工さんのギルドが建てた塔.仕立屋さんの塔よりかなり小型であるが味わい深い.木製の螺旋階段が面白いがかなり傷んできているので補修が必要であろう.何れにしてもギルド毎に塔を建て,それぞれの守護神を祀っていたようである.
また大工の塔近くにはカトリック教会があった.ルーマニア全体では東方教会が主で,カトリック教会は珍しかろうが,ここはザクセン人が主で,それにルクセンブルクやフランドルの人もいたためかカトリック教会が建てられたのであろうか.現在もちゃんと運営されているそうだ.
1888年という比較的最近(とは言っても100年以上経つが)に建てられたそうだ.確かに外観デザインは重厚ではあるが然程古くはないような気もする.....
13世紀,ドミニコ会修道院の付属聖マリア教会として建立されたそうだ.16世紀にはルーテル派(プロテスタント)の教会に転用されていたそうだ.元々ゴシック様式だが,火災の補修や改修で,部分的にルネサンス様式やバロック様式が採り入れられているそうだ.このアングルから眺める限り一般的ゴシック様式よりシンプルで力強い印象を受ける.
14世紀半ば,自治権獲得を記念して建てられたそうだ.16世紀半ばまで市議会議事堂として活用されていたが,その100年余り後大火で消失し,再建された姿が現在に残るようだ.
時計文字盤の横にからくり時計が備えられている.動くシーンに出逢えば楽しかろうが,残念ながら叶わなかった.
下は,シギショアラ旧市街での写真
どうして階段に屋根があるのかちょっと不思議だが,冬に急な階段で足元が凍ったりすると危険なためらしい.訪問時,もう春に近い筈だが周辺にはつららが下がっていたし,納得できた.階段上終端は山上教会への道に連なっている.
階段のステップは,6つのステップの後,7つ目が踊り場となっており,このリズムの繰り返しで上に至る.この構造はキリスト教の7日目毎に安息日がくることに由来するそうだ.
正式には聖ニコラウス教会というのだが,普通山上教会と呼ばれるそうだ.当初カトリックの聖堂として建立され,ゴシック様式で完成したのは1525年だそうである.ただし,完成から20年後くらいにはルーテル派の教会に転換されたそうである.
この教会脇には付属の山上学校もあって,現在もドイツ語学校として役割を担っているそうである.
山上教会の前面に大きな墓地が広がっている.地元有力者が埋葬されたそうで,多くはドイツ系の人達であったようだ.
ドラキュラ伯爵の生家,つまり実家ということになろうか.生まれた当時この建物は確か祖父の家だったか....な?(記憶あやふや)
現在はレストランとして営業し,ここで昼食を頂いた(食べたものは野菜サラダと...何だったかな...?).室内の壁には僅かに当時描かれたフレスコ画が残っていた(写真右寄り).
ドラキュラレストラン内にはドラキュラ伯爵の像があった.この顔はシギショアラだけでなく,ルーマニア各地の土産物などでよく見掛けた.超有名人物だ.
ドラキュラ伯爵はアイルランド人の小説家ブラムストーカーの小説のモデルとして有名となり,吸血鬼の代名詞にもなったようだが,ルーマニアでは寧ろオスマン帝国から国を守った英雄として尊敬されているようだ.つまり,当時残酷な串刺しの刑は貴族に対しては処しなかったが,ドラキュラ伯爵はこれを行い,ドラキュラのモデルとなったが,オスマン軍と勇敢に戦ったのも事実で,それが評価されているようだ.
下は,もっとシギショアラ旧市街での写真
この街は『シギショアラ歴史地区』(Historic Centre of Sighisoara)として1999年世界遺産(文化遺産)に登録されている.
丘の上にある旧市街から,新市街が一望できる.新市街と言っても結構古典的な建物が多く,歴史を感じさせる.写真中央はルーマニア正教会だそうで,旧市街には少なくとも目立つ正教会がなかったので,新市街の特徴の一つかも知れない.なかなかいい街に見える.
下は,シギショアラ新市街での写真