このカザンラク編ではカザンラクに行くときの風景,トラキア人墓地,バラ博物館の写真を載せました.
ブルガリアのカザンラクはこの辺りに位置している.
シプカ峠からは南側の平地目掛けて進んでいった.この平原は『バラの谷』と呼ばれ,ブルガリアの有名なバラ栽培の中心だそうだ.
ほぼ山を下り,平地に差し掛かる頃左手にこの教会の建物が見えた.ロシア正教会ということだ.ブルガリアの国民の多くはブルガリア正教徒だというが,ロシア正教の人達も幾らかいるとのことだ.
一部削り取られているがこんもりした小山が築かれている.トラキア人の古墳だそうである.こうした古墳はカザンラクの街に着くまでに幾つも見えた.ただ殆どはゴールドハンターによって盗掘され,何も残されていないそうだ.ただ一つだけ例外的に保存状態の良い墳墓が残り,昼食後訪れることになっている.
『バラの谷』なのにバラの木が全然ないではないか?と誰しも疑問に思っていると,まだ茶色一色,50cm程の丈のバラの畑が所々に見えた.冬のブドウ畑のような感じだ.
畑(多分麦類)の向こうには綺麗な山が見えている.ゴテフ山と言ったか.....?
正午過ぎカザンラクの繁華街に到着した.人口8万人くらいで,バラ産業の中心都市だそうである.紀元前4~3世紀頃はトラキア人支配の中心地だったが,以降はギリシャ(マケドニア),オスマントルコなどの支配下になったりするのは他のブルガリアエリアと同じであろう.
私たちはパラスホテルのレストランで,キョフテと呼ばれるビーフ挽肉料理を頂戴した.大まかには日本で言うハンバーグの範疇で,味もまあそんなものであろう.
下は,カザンラクへ行くときの写真
私たちはドーム型玄室と三角形屋根回廊を持つラキア人墓地に案内してもらった.すぐ隣に本物の保護施設があるのだが,観光客を入れると保護に支障を来すため閉じており,ここにレプリカを作り公開することになったそうだ.本物を見た訳ではないが,言われなければレプリカとは判らないほど精巧にできている(と思う).
上述のようにバラの谷周辺にはトラキア人の古墳がたくさんあるのだがほとんどは盗掘され,荒らされているのだそうだ.ただここの墳墓だけは自然の山の斜面を掘って作られていたため比較的発見されにくく,宝飾品はかなり奪い去られていたが壁画の損傷は免れていたそうだ.そして,第二次大戦中の1944年,防空壕を掘っている際に偶然発見され,以来保存されるに至ったという.
この墳墓は紀元前4世紀ころ作られたそうで,日本では弥生時代で,日本の古墳時代からは600年ほど遡るのだから相当古い.トラキア人は紀元前5千年頃にはここブルガリアやバルカン各地に生活していたと考えられているそうだ.そしてこの墓が作られた紀元前4世紀頃にはギリシャやマケドニア文化の影響を強く受け,ギリシャ語が公用語になり,さらに時代が下ると今度はローマ帝国の支配でローマ化されていったようだ.
こうしたフレスコが描かれているが,人や馬の躍動感がいいな~とぱっと見で感じられた.トラキア人は元々ギリシャやマケドニア辺りの人々と近いのか,体型はスラーっと立派で戦いにも強そうだ.
なお写真は別料金5レヴァを受付で支払うとOKなのだが,レヴァの持ち合わせがなく困った.でも何とか交渉しユーロ(固定レート制1/2で,2.5ユーロ)で受け付けてくれた.ルーマニアと違って,普通のレストランなど他所では殆どユーロやカードが使うことができるのはいい.ユーロ導入されればもっと良かろうが.
黄金などは持ち去られていたが,こうした土器の破片などは残っていたようで,貼り合わせ補修品が資料室に展示されていた.お酒の徳利でしょうか?
玄室天井のフレスコ画(のレプリカのそのまた写真)は貴族の葬儀の様子だそうだ.そしてこのシーンは亡くなったご主人が奥さんと互いに手を取り合って別離する場面になるという.ガイドDさんによれば,当時貴族の主人が亡くなったとき,奥さんは殉死するのが習わしで,奥さんの父親や兄が殉死を助けたという.こうした墳墓の形式や諸習慣はギリシャの著名な歴史学者の手になる歴史書に記された内容によく適合しているそうだ.
ただこれには異論もあると添乗Kさんが言う.Kさんが以前別のブルガリア人ガイドから聞いた話では,このとき亡くなったのは奥さんで,その人のお墓だとする説があるそうだ.根拠は奥さんの伏し目勝ちな表情で,これが殉死ではなく当人が亡くなった(病気などで)証拠だという.まあ,決定的証拠はまだ見つかっていないということなのであろう.
トラキア人墓地を訪れたとき,客は私たちだけだった.でも周囲には小さなお土産屋さん(露店)が出店している.墓地関連はお土産にしにくいのか,寧ろ当たり障りのないカウベルなどブルガリアの一般的グッズが並んでいる.
発見された当時は戦時であったが,今はこうして平和な時代で周囲の様子は穏やかだ.交通量も疎らで,他国の観光地のように客も多くない.経済活動的にはちょっと楽ではないかも知れないが....
下は,トラキア人墓地での写真
以上の遺跡は『カザンラクのトラキア人の墳墓』(Thracian Tomb of Kazanlak)として1979年世界遺産(文化遺産)に登録されている.
トラキア人の墳墓は他にもあり,ブルガリア北東部ラズグラト州イスペリフ市にある『スヴェシュタリのトラキア人の墳墓』(Thracian Tomb of Sveshtari)もまた1985年に別の世界遺産(文化遺産)として登録されたそうである.
全くバラのない季節にバラの谷を訪れるのは,まあ殆ど馬鹿げたことであろう.仕方がないのでバラ博物館でお茶を濁すことになった.ここにはカザンラクで毎年開催されるバラまつりのポスターが貼られていた.まあ実際バラまつりのパレードを見れば,こんな風なのであろう.
バラまつりはブルガリア観光の目玉で,やはりその時目掛けたツアーが一番多いそうだ.最近は中国人が多くなっているが,やはりまだ日本人客が一番多いそうである.桜もそうだがバラの花に惹かれる日本人も多いのであろう.
バラの花を絞り,その液からバラ水を抽出するための銅製蒸留器だそうで,ブルガリア語でカザン(Kazan)と称するそうだ.で,カザンラクの語源になっているという.ではラク(lak)は何だ?街か?聞き漏らしてしまった.
ブルガリアは世界一のバラ水生産量で,確かシェアが半分以上あり,世界の化粧品原料として用いられているという.以前は,高品質のバラ水には金と同じくらいの値が付いた時代もあったそうだが,現在は値が下がっているという.
バラ水の品質維持や改良,新しい用途開発などのために隣には研究所も併設されている.博物館同様ちょっと寂れた感じが気に掛かるが....
バラ畑3月下旬の様子.花どころか,葉っぱも出ておらず,あの華やかなバラの面影は全くない.6月の祭りの頃は最盛期であろうから,これから芽が出て,あっと言う間に成長するのであろう.そして花を摘み取ったらまた来年までバラは終わりになるのか.バラ産業従事者は蒸溜など関連の仕事に就くのか....?
馬車が行く.今の時代ではないみたいだ.ルーマニアと違って原油産出はないそうで,まだ馬の出番があるのであろう.いい光景だ.
下は,バラ博物館辺りでの写真