このリラ編ではリラへ行くときの風景,リラの僧院,帰国の様子などの写真を載せました.
ブルガリアのリラはこの辺りに位置している.
ボヤナ教会を見物した後,バスはリラへと向かった.リラまでは120kmほどあるそうで,結構遠い.途中小さな街を通過した.角ばった路面電車(トラム)が通っていく.通勤時間帯を過ぎたのか,空席の目立つ車両はゆったりした速度で進んでいく.
山の麓の畑には芽を吹き始めたムギ(多分)の畑が広がっている.若草色が爽やかだ.
途中で休憩をとり,またレストランでマスの昼食を食べた.そして再び走り始めると,殆ど直ぐに山道に入っていった.目指すリラの僧院は近いようだ.
下は,リラへ行くときの写真
バスはリラの僧院山門前の駐車場に到着した.山門(ちょっと違うか?)は僧院の周りを囲う僧坊に開口した構造になっており,そのアーチ型開口から先に,写真で見覚えあるあの横ストライプの僧院が見えている.
リラの僧院はブルガリア正教会の修道院で,リラの聖ヨハネ修道院とも称するそうである.周りに見える山はその名もリラ山脈で,最大標高1147mという.
これが僧院本体で,聖母聖堂と呼ばれるそうだ.アーチや横ストライプのデザインが,どう見てもイスラムモスクに思えるのは先入観念に捕らわれ過ぎであろうか?
僧院は10世紀,第一次ブルガリア帝国の終期に,リラの聖イオアンが創設したとされるそうだ.以来ブルガリア統治者から後援され,国民の支持を得たという.14世紀末になるとオスマントルコの襲撃等で破壊されることもあったが,ロシア正教会の支援などで何とか持ち直し,また火災に遭ったこともあったがやはり国民の援助で修復されたという.
聖母聖堂左側に見える直方体の建物はフレリョの塔と呼ばれ,間近で見ると随分頑丈そうな塔で,上部に礼拝堂が設けられているそうだ.14世紀セルビアの貴族の寄進で,19世紀の大火でも唯一被害を免れたそうである.
フレリョの塔の更に横に建てられている鐘楼で,黒っぽい複数の鐘,それと正面に時計が架かっている.また下部一階部分はイコンなど販売する売店になっている.
聖母聖堂正面および左右に巡らせた回廊にはびっしりとフレスコ画が描かれている.これでもかというほど,隙間なく描かれている.モチーフはよく理解してないが,キリスト,天使,聖人,最後の審判,天国と地獄.....といったものが多いようだ.天国は上に,地獄絵は床近くの最下部に描かれ,地獄に落ちるという表現はここから出たのか?と思ったりした.
なお正面ドアの先は礼拝堂で,イコンなど掲げてあるが撮影禁止である.
ガイドDさんや添乗Kさんに色々教えて貰ったが覚えきれない.たった一つ大天使マイケルの絵について,キリスト教ではラファエル,ガブリエルとならぶ三人の大天使の一人で,力が強い守護者.ユダヤ教ではイスラエルの守り手で,イスラムでは.....で,ここでの壁画は強いマイケルが悪魔をやっつけ,皆を守る天使として描かれていると.
確かにキリスト圏ではマイケル(Michael:英)の他に,ミシェル(仏),ミケーレ(伊),ミゲル(ス),ミハイル(露),ミヒャエル(独).....と各国の発音で呼ばれ,頻繁に名付けられる.また短縮型はマイク(Mike),ミック,ミッキー(Mickey)だそうだ.
構内周囲をぐるりと僧坊が取り囲んでいる.上の写真で判るように外側は石造りで窓は小さく,要塞的要素を備えていたようだ.高いところは4階建てで,300部屋あるそうだ,
階段近くのキッチンには巨大な器などあるらしい.
僧坊には宿坊が用意されており,旅の僧が滞在できるようだ.写真はツインの部屋で,手前にキチネットも備えており,長期間滞在も可能なようだ.
下は,いろいろなアングルのリラ僧院
この僧院は『リラ修道院』(Rila Monastery)として1983年世界遺産(文化遺産)に登録されている.
リラを見物した後,ソフィアのホテルに戻り,二泊目を過ごした.そしてあくる日の午前は,前々日に引き続き再びソフィアの街に繰り出して,見物して回り,お昼を食べ,午後は帰国の途に就くためソフィア空港に行った.お世話になったガイドDさんにお暇し,私たちはカタール航空機に乗り込んだ.
↓ソフィア空港 | ↓夜のドーハ上空 |
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↑ドーハ空港 | ↑間もなく成田 |
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ソフィアを発った機は一旦ブカレストに降り,再び飛び立つ.そして夜中のドーハに着陸.ここで成田行に乗り継いで飛び立ち,およそ9時間半のフライトで成田に到着.みなさんお世話になりました.おしまい.