このシナイア編ではシナイアへ行くときの風景,シナイア僧院,ペリショール城,ペレシュ城の見物,シナイアから下るときの写真を載せました.
ルーマニアのシナイアはこの辺りに位置している.
シナイアはブチェジ山の山麓800mに位置し,ブランからの道は途中1,200mのパスを越えて向かった.途中積雪が多いエリアを通過するが,この辺りにはクロスカントリースキーやスノーボードの適地があるそうだ.また夏は豊かな森林地帯であり,シナイアはそうしたリゾート地の一角として発展してきたそうである.
昼前に到着すると,クラシックな雰囲気の建物の街には雪が舞っていた.気温は0℃まで下がり,寒い.写真左側の建物の錆びた屋根のように傷んだものもある.全体的にかなり重厚な造りであるが屋根だけはいささか耐久性に欠くトタンが多用されている.これはブカレストに降り立ったときから眺めてきた町や村の住宅共通に見られる.ちょっと惜しい気がする.
何でも共産政権時代から由緒あるホテルだということだったが名前は失念してしまった.このホテルのレストランで昼食となった.広々,いやだだっ広い立派な造りが共産政権時代の雰囲気を漂わせている.食事そのものはありきたりというか,う~ん,何かのフライのようだったが....取り立ててどうこう言う代物ではなかったか.....
下は,シナイアへ行くときの写真
シナイア僧院と通称される施設は,教会や僧坊など幾つかの建物から成るコンプレックスで,写真はその中のルーマニア正教の大きな教会(Biserica Mare).ルーマニア王国最初の皇帝カロル一世(Carol I 1866~1914)が1846年に建立したそうだ.3つの尖塔や横ストライプの壁が特徴的だ.ルーマニア正教では一般的な形式なのであろうか,他所でも似た雰囲気の教会に出合うように思う.
訪ねた日は日曜日であったため,信徒の人々がどんどん訪れて祈りを捧げていた.車での来訪者が多いが,バスの人もいる.遠くからであろう.礼拝堂内部(撮影禁止)正面にはイコンが掲げられ,椅子はなく立ってお祈りを捧げる.椅子がないのは正教の特徴の一つだそうである.
シナイア(Sinaia)という名は,ワラキア公カンタクジノという方が17世紀末(1695年)シナイ山(Mt. Sinai:中東の旅2006のページから)へ巡礼に出かけ, 帰国後この教会や僧院を建設し,巡礼先シナイ山にあやかり命名したことに由来するそうだ.なので街の名は僧院の後に倣ったものとなろう.
その最初に建てられた小さな教会がこの写真で背後の部分で,1695年建立という.三方開放の入り口ポーチは後に別の人によって増設されたそうである.円柱上アーチや直線基調の屋根など,私にはイスラム建築を彷彿させる.美しい.
なおこの屋根付きポーチは礼拝堂に入ることが許されない女性用に造られたらしいが,それでは当時はイスラムモスクと同じだったのか....と不思議に思う.
礼拝堂入り口の前にはフレスコ画が描かれている.下左側には最後の審判で決定される天国,右側には血の川(多分)の流れる地獄に落ちた時の様子が描かれている.そのおどろおどろしい様は誰にも理解し易いように表現されている.
もち論天国と地獄絵だけではない.壁上部には聖母マリア被昇天の様子,天井にはキリストや,聖人....などのフレスコ画で満たされている.
上記地獄絵も含めてこれらの壁画は描かれた当時のままのものだそうで,綺麗に残されている.大したもんだ.
なお怒られるかも知れないが,こうした壁画は仏教,例えばチベット仏教のカンニ(kani/仏塔門:マナスル一周トレック2010のページから)などと共通する要素が含まれているように思う.
僧院であるから僧坊も備えられ,お坊さんは出家してここで修行に励むことができるようだ.
下は,シナイア僧院での写真
シナイア僧院見物の後,ペリショール城を訪れた.前述のルーマニア王国の最初の皇帝カロル一世(Carol I 1866~1914)が,後継者である甥のフェルディナンド一世とマリア王妃,そうあのブラン城で登場したお妃様のために建造したということだ.カロル一世は必ずしもフェルディナンド一世と上手くいっていた訳ではなく,本人の居城,下記ペレシュ城で一緒に住まうのが嫌だったのでわざわざ別のお城を創ったのが真相,とのガイドAさんの解説があった.特にマリア王妃はブラン城でも主役であったように,ここでも実力を発揮し,内装をデザインし,フェルディナンドより多くの部屋を専有し,ウイーン辺りから取り寄せた調度品で満たしたということだ.
こちらは正面右手から眺めた様子.木組み構造が重々しい.筋交いは円弧状のものがあったり,トラス構造も込み入り,なかなか凝った造りだ.ただ壁とのコントラストがキツくて少しくどい印象も受ける(好み次第だが).
なおフェルディナンド一世は62歳のとき,ガンでここの寝室で亡くなったそうである.往時のベッドがそのまま保存されているそうだが,私たちは中に入ることがなかった.
下は,ペリショール城での写真
ペリショール城近くには立派な建物があり,召使いの家などと言っても実は凄い!
上記ペリショール城を眺めてからここに至ると,ペリショール城に輪をかけて巨大に,ゴージャスにしたお城だな~と思わざるをえない.
前述のようにルーマニア王国最初の皇帝カロル一世(Carol I 1866~1914)夏の離宮として8年の歳月を費やし,1875年に完成したそうだ.ゴシック,ルネッサンス,バロック,ロココの各様式のミックスだそうである.つまり何でも有りと云うことか.でも私にもそれがちゃんと調和しているように思える.宮殿であるから,それはちゃんとした一流の建築家がデザインしたであろう.また庭の玉をサッカーボールのように従えたライオン像は,狛犬のように見えたので,思わずガイドAさんに『中華様式ですか?』と訊いてしまった.Aさん困ってしまったが....
背後の雪を抱いたカルパチア山脈もなかなか素晴らしい.ルーマニアで最も壮麗な城と言われるそうだが,少なくともブラン城の砦的色彩と対比すれば,こちらは宮殿といった趣きで完全に異なるのは間違いない.まあ,できた時代が全く違うが.
色々な彫像や花壇を配した庭園も見事で,要塞的雰囲気は希薄,戦時と平和な時代背景の差も大きかろうと思われる.
宮殿内には160もの部屋があるそうだから,やはり相当広い.そして建物には複数の中庭(パティオ)があって,あんどん部屋にならないようにしているようだ.ここの外壁にも絵が描かれた凝った造りになっている.
今から150年近く遡る1875年,明治初頭の完成と甚だ歴史ある建築であるが,当時の最先端技術であるエレベーター,セントラル真空掃除システム,セントラルヒーティング,映写室などを設備したそうだから驚きだ.またそのための水力発電所がこの近くに建設され,ルーマニアではごく初期の発電設備だったそうである.
下は,ペレシュ城での写真
シナイアの観光を終えるとバスは徐々に高度を下げ,次の観光地ブカレストへと向かった.