ガブロヴォGabrovo

このガブロヴォ編ではガブロヴォへ行くときの風景,エタル野外博物館,シプカ峠の写真を載せました.


ガブロヴォ付近のGoogleマップ

ブルガリアのガブロヴォはこの辺りに位置している.

ガブロヴォへgo to Gabrovo

ガブロヴォへ

ガブロヴォへ向かう

3月19日朝ベリコタルノボのホテルを出て,バスでガブロヴォへと向かった.やはり緩やかな起伏の丘陵が多い.途中鉄道と交差したが,この辺りは複線のようだ.ただ走行中の列車にはこれまであまり出合わない.ルーマニアより運行密度は疎らであろうか.


バルカン山脈麓のガブロヴォ

バルカン山脈麓のガブロヴォ

やがてバルカン山脈麓に展開されるガブロヴォ市内に差し掛かってきた.バルカン山脈はこの辺りを南端として終わるようだ.白い峰々が美しい.

ガブロヴォは人口7万人くらいだが,ヤントラ川に沿って長さ25kmもあり,ブルガリアで一番細長い街だそうだ.そしてこの辺りが南の外れということになろう.


ガブロヴォの中央広場と時計塔

ガブロヴォの中央広場と時計塔

ここはガブロヴォの中心部.中央広場の奥に時計塔が立ち,その左は文化会館だそうである.『ガブロヴォのユーモアと風刺』は国際的に有名で,また国内では,1835年ブリがリア最初の学校(アプリロフ国立高等学校)が建てられた場所として知られているそうだ.


ガブロヴォの年代物トロリーバス

年代物トロリーバス

街の繁華街には廃車にしても違和感のないトロリーバスが走っている.ガブロヴォ人は節約達人としても知られているそうなので,こうしたビンテージ物をとことん長く使うのであろう.いや単に財政状況が芳しくないだけか....?


下は,ガブロヴォへ行くときの写真

ガブロヴォへ行くときの写真
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スバルのディーラーが見える.ブルガリアではEC加盟後,西欧からどんどん中古車が安く入るようになったのと,中国メーカーのノックダウン工場があり,日本車は大変いいのだが価格が2倍ほどし,お金持ち向けだそうだ.

エタル野外博物館Etar Architectural-Ethnographic Complex

エタル野外博物館の建物

エタル野外博物館の建物

ガブロヴォ郊外のエタルにあって,ブルガリアの比較的古い建物を集めて展示している野外博物館.日本の明治村(行ったことないが)のようだという.住宅の他に職人さんの工房も集められ,使われていた道具類も展示されている.


エタル野外博物館の水力製材機

水力製材機

展示品の中で最も豪快な印象を受けたのがこの装置.水車で鋸を往復運動させ,木材を柱や板に製材する.木材はローラーの上の台車に載せて移動させ,切り込んでいる.

人力では相当大変な仕事であるのでこの製材機の恩恵は大きかったであろう.感動した.


エタル野外博物館ろくろ(木工旋盤)製品の販売

ろくろ(木工旋盤)製品の販売

水車式ろくろ(木工旋盤)で作られた器や乳鉢を販売していた.製品もまたブルガリア伝統工芸品であろう.

写真右上にチラッと見えているのだが,驚いたことにろくろ用水車は軸流タービンなのだ.木製水車で軸流のものは初めて見た,また感動.きっと旋削加工に適した回転数とトルクを得るのにちょうどいいのであろう.

また軸流タービンの木製導水管や屋根も豪快だし,ここは実に印象深い.


展示されている道具類

下のようなものが展示されていて,ちゃんと動作するものもある.

製粉用水力石臼水力紐より機唐箕
↑製粉用水力石臼↑水力紐より機↑唐箕
馬車鋤そり
↑馬車↑鋤↑そり
軸流水車(タービン)木製導水管水力グラインダー
↑軸流水車(タービン)↑木製導水管↑水力グラインダー

水車水力串回転グリルグリル串回転用水車
↑水車↑水力串回転グリル↑グリル串回転用水車


下は,エタル野外博物館での写真

エタル野外博物館での写真
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シプカ峠Shipka Pass

バルカン山脈に向かう

バルカン山脈に向かう

エタル野外博物館の後,次の観光先カザンラクに進むためバルカン山脈に向けてバスは登っていった.高度を上げていくと道路脇には雪が見えるようになった.


シプカ峠(1,150m)に到着

シプカ峠(1,150m)に到着

しばらく走りシプカ峠(1,150m)に到着した.見晴らしもいいが,歴史的に大きな意味合いがある地だそうだ.つまり1877~78年の露土戦争(ブルガリアはロシアサイド)で,この峠は,『シプカ峠の戦い』と呼ばれる一連の戦いの激戦地だったのだそうだ.

1877年,地中海への通路を獲得したいためバルカン地方を狙っていたロシアは,『オスマン帝国に抑圧されている民族を救済』を錦の御旗に掲げ,オスマン帝国に宣戦布告.翌1878年オスマン帝国を撃退し,ブルガリア解放という勝利を得たのだそうだ.

さて,その戦いで,38万人というオスマン帝国巨大軍に対して,当初ロシア,ブルガリア合わせても僅かその1/30程度の兵力で守った最大砦がこのシプカ峠で,銃弾が不足してくると,石を投げ下ろしたり,最後は戦死した味方兵まで投げ下ろして文字通り死守したということだ.写真上の塔はその時の戦死者の慰霊碑であり,ブルガリア独立のモニュメントであるそうだ.


シプカ峠の売店

シプカ峠の売店

ブルガリアにとってそんな誇りの土地であるので訪れる人も多いようで,幾つかの売店,レストランが営業している.ブルガリアと言えば明治ブルガリアヨーグルトがよく知られるが,ここシプカ峠にはここだけの『名物水牛ミルクのヨーグルト』が売られているそうだ.後で聞いたら美味しいそうで,食べればよかったな~と悔やむ.

ところで水牛と聞くと東南アジアや,インド,ネパールといった暑いところの家畜かな~と思っていたが,バルカンの地でも飼われているのですね.現物は見なかったが....



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