このイワノボ編ではルセからイワノボへ行くときの眺め,イワノボ岩窟教会,咲いていた花の写真を載せました.
ブルガリアのイワノボはこの辺りに位置している.
ルセで昼食後イワノボに向かった.25kmくらい先のようである.主に畑の中を行くあまり広くない長閑な通りだ.
畑では蒔かれた種が芽を出し始めているようだし,周りの雑草もようやく緑になりつつあるようだ.日本の風景と較べて農家の戸数に較べて畑が広い印象だが,実際はどうなんだろう....
鉄道路と交差した.単線で,木製の枕木がレールから落ちた錆で茶色に染まっている.上に架線が見えるので電化されているのであろう.ただ運行本数は疎らなようで,走行列車はあまり見かけない.風景を眺めながら列車で行けば楽しそうだが.....
イワノボに近くなり,左手に石灰岩が抉られた谷,ルセンスキロム川が見えてきた.侵食され易い岩なので結構大きく深い谷が形成されている.岩肌の風合いが少しばかりカッパドキアの光景に似ている.
谷の縁に養蜂用の巣箱が並べてあった.そろそろ咲き始め,やがて最盛期を迎える野草や,また果樹の花を飛び回るのであろう.ところで花のない冬の間,蜂はどのようにして越冬するのであろう?
ブルガリアの大まかな年表を,日本と対比して示すと下図のようになっているようだ.
ブルガリアの歴史年表
大まかに言って,ブルガリアは紀元前からトラキア人が住んでいたが,やがてアレキサンダー大王に征服されギリシャ化され,次にローマ帝国,その後東ローマ帝国に支配されていったようだ.そして7世紀頃になるとブルガリア帝国が成立し,途中また一時東ローマ帝国の支配下になるが,第二次ブルガリア帝国の再興成る.ただ13世紀頃になると強大なオスマン帝国の支配下に置かれ,それが19世紀末まで続く.そしてようやく1878年になるとブルガリア公国として再興し,王国,共和国,今の民主国家へと移り変わっていったようだ.
バスはイワノボに到着した.周囲は荒地のようである.ここから崖を見上げると写真のように窓のようなものが目に入る.これが目指すイワノボ岩窟教会だそうだ.結構高そうな位置にあって,さてこれからハイキングだ.
このようなトレイルを通って岩窟教会に向かった.岩窟教会は上の歴史年表で第二次ブルガリア帝国時代,日本では鎌倉時代の1200年代から修道士らによって作られ始めたと云うことだ,なのでその工事のための作業道として先ずこのトレイルが作られたのであろう.トレイル脇を見ると,岩肌は前述のルセンスキロム川岸壁同様淡黄色の石灰岩のようであるので,比較的掘り易かったではあろう.
イワノボ岩窟教会に到着した.私たちと一緒に上ってきた管理人さんが入り口の鍵を開け,中に入れてもらった.管理人さんは常駐でなく,観光客が現れたときだけ一緒に来るのだそうだ.なおこのときは私たち以外の見物者はいなかった.かなりしんみりとした観光地なのだ.
見物したところは,抉られた岩の部屋2,3室から成っていた.写真で人のシルエットと対比して読めるように部屋のサイズは決して広くはなく,入り口から進むと反対側の崖側窓(出口?)に抜けるようになっている.
抉られた岩窟教会の側面や天井岩肌には漆喰が塗り込められ,フレスコ画が描かれている.部分的に剥がれ落ちたところから,まるで解説書挿絵の如くそうした構造が読み取れる.フレスコ画は顔の目鼻など部分的に色落ちの大きいところがある.色毎の顔料の退色性/耐久性に因るものか,あるいは色重ね層の違いに因るものか....かなり肝腎の部分だけにちょっと残念だ.
さてこのイワノボ岩窟教会であるが,主に13~14世紀にフレスコ画が描かれ,後のブルガリア正教会総主教ヨアキムと云う方がここに居を構えた14世紀初頭から17世紀までの間,修道士たちがここで生活を営むようになっていたということだ.見物したのは写真の部分だけであるが,当時は総数40もの教会群や僧坊など関連施設が多数存在したそうだ.尤も現在その殆どは無くなっているそうだが.
天井に描かれた『最後の晩餐』.ヨハネによる福音書に基づく『最後の晩餐』の絵は,レオナルドダヴィンチの作品が超有名で15世紀末に描かれたそうだ.一方ここイワノボのこの作品はもっと古く,14世紀には既に完成していたそうで,自慢の一つであるそうだ.この際アートとして,技法として...とか言い出すのは野暮であろう.
なおここは,上述のように閑散としているが,僅かなお金(確か1,2ユーロ)を払えば写真撮影が許され,うれしい.
なおキリスト教の岩窟教会と言えば,カッパドキアのギョレメ岩窟教会(トルコ/エジプトの旅2002のページから)が思い出される.そちらは10世紀から13世紀(ビザンティンからセルジューク時代)に作られたそうでさらに古いが,ここと同じように石灰岩の岩山で抉られたのは同じで興味深い.
ところで本イワノボ岩窟教会は第二次ブルガリア帝国皇帝や首都タルノヴォの貴族から頻繁に寄進を受け,庇護されていたそうだ.その点,やはり時の有力者が岩窟を掘り,壁や天井に壁画を描いた敦煌の莫高窟(河西回廊を行く2011のページから)などにも,宗教は全く違えど共通性が見られ,なかなか面白い.
下は,イワノボ岩窟教会での写真
イワノボ岩窟教会からはルセンスキロム川の谷がよく見渡せる.この谷のように周囲は荒地で,修道士はそうした環境に身を置き修行したのかな~と,ふと思ったりした.
これらの岩窟教会は『イワノボの岩窟教会群』(Rock-Hewn Churches of Ivanovo)として1979年世界遺産(文化遺産)に登録されている.一般に世界遺産の観光地は混み合っていることが多いと思っていたが,ここは空いていて大変よろしい.
岩窟教会付近では野草の花が咲き始めていた.日本のと同じか,または同種のようなものが目についた.