このタラコットへ編では2011年8月~9月ネパールヒマラヤのロアードルパのトレッキングでドゥナイからタラコットへと歩いたときの写真とキャプションを載せました.
8月22日朝ドゥナイから同日の宿泊地タラコットへと歩く.また翌23日もタラコット滞在となり,たまたま発熱のためもあり,ゆっくり過ごす.
雲が晴れるとここからは東南東にプタヒマール(Puta Himal:5,732m)が望めた.
前夜かなりの雨だった.スタッフの皆さんは濡れたテントを畳んで馬の背に乗せた.濡れテント片付けは大変な作業で,しかもどうしてもある程度内部に水気が回ってしまう.幸い出かける頃は雨が上がり,晴れ間が見えるようになった.ツロベリ川袂のトレイルに行くと,川は轟音を伴い濁流を運んでいた.凄い迫力に圧倒される.
暫くトレイルを進むと通学の子供たちに会ったり,写真の羊や山羊を連れたお兄さんに出会ったりした.羊と山羊はしばしば一緒に飼育されるようだが,数は山羊が多いようだ.他国では羊優勢なケースが多いような気がした.ところで羊と山羊はなぜ一緒に飼育するのだろう?長年の疑問を今回もまた訊き漏らしてしまった.
と云うように聞く.実際これまでのところ,狭いながらも崖崩れの起こった場所や起こりそうなところには補強したトレイルが築かれていた.住民にもちろん,私たちトレッカーにも非常に心強く感じられ,ありがたく思う.
こうした工事はブルドーザーやパワーシャベルといった重機は皆無で,専ら人の腕力に頼るもので,その大変さは想像以上だ.写真の敷石は大きなハンマーとタガネで砕いたものだし,場所によって詰め込む金網のネットは針金を依って作ったものだ.正にドゥナイのキャンプサイトオーナー,市土木課勤務の方が話していた伝統的施行法に他ならない.一方多くの人手を要するこうした工法は雇用に役立っているようにも思うがどうだろう?
正午過ぎベシコーラ(Besi Khola)と呼ばれる集落にやって来た.キッチンスタッフも到着し,一軒の家のキッチンを借りてカレーのランチを用意してくれた.ありがとう.
ベシコーラのベシ(Besi)は他でも聞いたことがある.例えばランタンのシャブルベシ(ちょっと違うか?)など.....で,ガイドDさんに訊いてみた.するとベシ(Besi)は低い所の意で,対の高いところにはレク(Lek)の接頭語が用いられるということだ.するとこの場所ベシコーラのコーラは川なので,どの川を指すか不明ながらその川がツロベリ川に注ぐ下流辺りと意味なのであろうか?そう言えば,集落入口にそんな感じの川が流れていたように思う.
借りたキッチンで食事していると老若男女いろいろな村人が集まって来て,私たちを覗き込む.大してハプニングはないし,あってもそうしたニュースを知りようもなかろうから,自然通りかかった異国人は鑑賞?観察?娯楽?...の対象とされるようだ.子供ならまだしも立派な大人にまで覗き込まれるのには些か苦笑するが.
僅か数軒しかない集落に見えるが集まった子供の数は異常に多い.同行のある方が話すに,乳児死亡率がとても高く,成人する前に亡くなるなど,ネパールではまだまだ油断できないとも聞いた.みんな気を付けてね!
下は,ドゥナイからベシコーラ(Besi Khola)までの写真いろいろ
いろいろ咲いていた.右下の花は昼近くになって初めて開くちょっと変わった花.
ベシコーラで遅めの昼食を済ますとまたそのままツロベリ川右岸のトレイルを遡上した.トレイルのあちこちで補修や拡張工事が行われている.このエリアでは最も大きな公共工事の一つなのかも知れない.
ツロベリ川泥色の大きなうねりと峡谷にこだまする轟音とが相まって,ひょっとして地獄の川もこんなであろうか?と連想が及ぶ.
やがて前方に初めて白い雪を抱く山が見えてきた.東南東に位置するプタヒマール(Puta Himal:5,732m)のようである.やはり白い山はいいものだ.
ツロベリ川脇のトレイルが水没し無くなっている.このとき一緒に歩いていたUさんは,自分自身は何ら問題ないのだが私たちのためにさてどうしたものか?と思案.そこに向こうから渡ってくる地元の人(写真中央)あり.膝くらいの深さのようだ.またその人が『これから更に水嵩が増すので直ぐ渡った方がいい』とアドバイスをくれた.
私は靴とズボンを脱いで,Uさんに手を取ってもらい渡ることにした.冷たいのと,何より川底は砕いた角の尖った石が敷き詰められているため痛いの何の....と,でもどうやら何とかなった.ありがとうさん.
渡渉の後また少し行くと左岸に渡る吊り橋があり,これを渡る.渡る前の小道はイラクサがいっぱいで脚が少しやられてしまった.暫くチクチク痛い.
渡って少し歩くとタラコットのキャンプサイトに到着した.サイトは丘の上のタラコット村から離れひっそりした場所だった.ここでは既にネパールガンジ以来時々一所になるバーミンガム(英)3青年隊が到着し,一張りのテント(写真)が設営されていた.私たちが到着すると早速リーダーが挨拶に来てくれた,先ほどの渡渉箇所について,『6年間毎年ここを通過しているが,毎年敷石が加えられ,少しづつ浅くなっている』『最初の年は渡れず,山のかなり上を巻く迂回路を通った』と云うことで,まあ年々改善してはいるようではある.
バーミンガム隊リーダーは更に語ってくれた.青年は今回ネパールが6回目で,ロアードルパ以外行ったことがないという入れ込みよう.他のネパール初めて青年二人を引きずり込んでやって来た.私たち同様ロアードルパ一周とドータラップで引き返す場合とがあり,今回は一周の予定.アッパードルパも興味がそそられるが,一週間US$500の別チャージが課され行けない.そう,青年達は実にストイックだ.つまりガイドとポーター各一人,馬なし,小さなテントたった一張りに立派な体格の三人....など.でも青年たちは明るく爽やか,いかにも青春している香りを漂わしていた.いいね~
タラコット到着は5:20PMと遅めで,小雨模様だった.シェフのGさんは夕食にスパゲティにトマトスープを作ってくれた.美味しかった.タラコットのタラは星であるが,今夜は見えそうもないし早めに寝るか~
下は,タラコットに至るまでとそこでの写真
タラコット到着のあくる日8月23日はここに滞在予定の日だ.キャンプサイトから少し上のタラコット本村辺りを歩く計画だった.ところが少し喉が痛く,咳も出る.体温を計ると38℃あまり,午後になると39.2℃まで上がってしまった.普段こんな高熱になることは殆どないし,とりあえず出掛けるのは止めたが,明日以降どうなるか?どうするか?大変気掛かりだ.
同行の方から,手持ちの抗生剤を定期的に,また鎮痛剤は解熱作用があり,頓服的に使うようアドバイスを受けながら服用開始.また高熱でフラついて谷に転落しては大変なので馬と云う手(乗馬自体も難儀だが)があるかも....とガイドDさんが,近くに馬と馬方が調達できないか調べてくれた.しかしここタラコット住民の殆どは家畜と共に標高の高い地帯に越しており,調達不可能と判明.
そのうち,鎮痛剤が画期的に,つまり殆ど平熱35.5℃近くまで下げる効果が出て驚く,発熱の元自体は治っていないので,また上がるのではあるが,まあ何とか付いていけるな~戻るのも叶わないし~と思うに至った.アドバイスありがとうございました.
さらに明けて8月24日朝,東南東にはプタヒマール(Puta Himal:5,732m)がきれいに見えていた.またその手前のタラコット村にも陽が射し始めた.タラコットのコット(砦)の名に相応しく,下方谷筋に沿う道から侵入してくる敵の監視が容易な位置にあることが見て取れる.
さて今日はラヒニに向かう.