ジュファール(2,500m)へ戻るback to Juphal

このジュファールへ戻る編では2011年8月~9月ネパールヒマラヤのロアードルパのトレッキングで,スリガートからジュファールへと戻るときの写真とキャプションを載せました.

ジュファール周辺マップ

9月6日の行程(太線部分)

9月6日スリガートを出発し,8月21日トレックを開始したジュファールまで戻り,これで今回のトレッキングは無事完了した.この日はここで宿泊し,翌日ここジュファール空港から,ネパールガンジに向け飛ぶ予定だ.


スリガートを発ち,スリ川を渡る

スリガートを発ち,スリ川を渡る

9月6日朝7時20分,スリガートを発ち,程無くスリ川を渡った.渡った先にはシェイポクスンド国立公園管理センターのような施設がある.施設は物々しく鉄条網で囲われている.どうしてだろう?国軍と絡んでいるのか?

また公園管理センターの前はスリ川とツロベリ川(Thulo Bheri Khola)の合流点がある.往きでは反対側から眺めた所だ.そして合流点直下には太くなったツロベリ川の橋が架り,これを渡る.渡り切ると往きで歩いたジュファールとドゥナイを結ぶ道に出る.これでロアードルパサーキットを一周したことになった.


ジュファールが見えてきた

ジュファールが見えてきた

ツロベリ川に沿い,流れと同じ方向に歩く.やがて先方に,斜面に貼り付くが如く展開されるジェファールの村が見えてきた.実際ジェファールの中に入り歩くとなかなかしんどい傾斜だ.陽当りの良い斜面を選んで家を建てたらこうなった,ということか....?


ジュファールのキャンプサイトに到着

ジュファールのキャンプサイトに到着

ジェファールの傾斜地を登ると,最初にお世話になったロッジの庭に到着した.これで今回のトレッキングは無事完了した.なかなか面白かった.スタッフの皆さん,同行の皆さんありがとうございました.


下は,ジュファールのロッジ到着までの写真いろいろ

ジュファールのロッジ到着までの写真
ジュファールのロッジ到着までの写真 ジュファールのロッジ到着までの写真 ジュファールのロッジ到着までの写真 ジュファールのロッジ到着までの写真 ジュファールのロッジ到着までの写真 ジュファールのロッジ到着までの写真 ジュファールのロッジ到着までの写真
ジュファールのロッジ到着までの写真 ジュファールのロッジ到着までの写真 ジュファールのロッジ到着までの写真 ジュファールのロッジ到着までの写真 ジュファールのロッジ到着までの写真 ジュファールのロッジ到着までの写真 ジュファールのロッジ到着までの写真

小学校は始業となる

小学校は始業となる

スリガートからここまでの距離は幾らでもなく,10時前に到着した.ロッジ下の小学校では10時の始業時間に合わせ,グランドに集合し,校長先生と思しき人の訓示に聴き入っていた.なかなか厳しい環境にある子供たちだが,この先ネパール国民の一翼として担っていくだろう.

こんな光景を眺めながらガイドDさんが,自らの少年時代を語ってくれた.Dさんはヘランブーの出身.小学校は比較的近かったが,中学校は通学に2時間も掛かったそうだ.すると往復4時間,毎日トレッキングのようなものであろう.また高校はさらに遠く,通えないので下宿だったそうだ.その後徐々に道が整備され,スクールバスが通るようになり,16歳年下の弟さんは現在バス通学だそうだ.

ついでに,大変興味深いご家族のお話も加えてくれた.Dさんと87歳の祖父はカトマンドゥ住まいだが,ご両親は今もヘランブーで生活しているそうだ.祖父と父親は代々受け継がれてきたシャーマンだそうだ.祖父は85歳までシャーマンとして活動してきたが,夜通しのお祈りなどが体力的に無理になり,引退したという.また引退の2,3年前までは夏のゴサインクンド祈祷にも加わっていたそうで,ドイツ研究者の取材を受け,その記録が出版されたそうである.

Dさんの家系は代々男が一人で,歳の離れた弟のいるDさんは例外だそうだ.一人なら無条件に自分がシャーマンの修行をし,受け継ぐであろうが,弟がいるし,さてどうしたものかと思案中だそうだ.シャーマンの祈祷は書き記された経典とかは一切無く,全て口伝で叩き込むとのことだ.祖父からは父親と,近親者以外2,3人が伝統を受け継いだということだ.

ネパールの宗教はいろいろミックスされていると聞いてはいたが,シャーマニズムも関係していることを具体的に聞いて驚いた.Dさんは実際仏教には大変詳しいし,仏教徒だと言っている.まあ,さらに別の要素も持っているわけで,ボン教など含めなかなか興味深い.



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