アベシェAbeche
このアベシェ編では,2019年1月30日モイト近くのキャンプサイト5で朝が明け,朝食後ゲラ山地へ行き,次いでランチ場へ移動しランチ.午後はまたひたすら東に進み,ベタ川を越え,ウムハジャル通過し,アベシェ手前6のキャンプサイトにたどり着いた.それらの写真を載せました.
アベシェ付近までのマップmap around Abeche
モイトキャンプサイトから東に,アベシェの少し手前まで進んで,そこでキャンプした.
別窓で大きなチャド付近Googleマップを開くモイトキャンプの朝in the morning at the campsite near Moyto
1月30日モイトキャンプで陽が昇る
モイトキャンプの朝が来た.テントを畳みながら眺めていると陽が昇ってきた.真上は青空だが地平線に近づくに連れ霞か雲か,とにかく陽を妨げるものがある.しかし朝日は強烈で,これらを突き抜けて赤い円を放射してくれた.
またこの近くから離陸したのであろう飛行機の描く鋭い飛行機雲が私達の上空に線を描いて,遠ざかっていった.上述のアベシェ付近のGoogleマップを開くとアベシェ空港が近くにあり,(多分)軍用機が飛び立ったのであろう.
そして私達はスタッフの皆さんに用意してもらった朝食をテーブルで頂いた.はっきり覚えてないがパンにジャムやハニー,それにクラッカーにチーズ,インスタントコーヒー....とかであったか.ほぼ毎日同じだがパンに関しては町の近くではお店で調達したフランスパン系,砂漠内部では現場で焼いてくれたナン(若しくはチャパティ)系だったと思う.添乗Uさん持参のわかめスープなど和食系も時どき加えてもらった.
生ゴミは地面に,空きペットボトルは子どもたちに
食事の度にゴミが出るが,野菜くずや果実の皮など生ゴミは,後で家畜が食べに来るからと,地面に捨て置き,空きペットボトルはガソリン販売などにリユースするので寄って来た子どもたちに上げていた(右の写真)
そのいずれでもないゴミ,紙くずなどは極力燃やして灰にし,缶からなど処理できないものは車に積んで持ち帰ったようだ.
村の牛は朝食に餌場に出かける
キャンプサイト脇の村の牛は,私達同様お腹が空いたようで,朝食に餌場に出かけるため歩いていった.牛飼いの男性が引率していた.
牛の行列からしばらくして今度はヤギの群れが同じ方向に歩いて行った.きっと最終デスティネーションは違うであろうが.
そしてその後,10羽くらい居たであろうか,ころころ丸々したニワトリより大きな鳥,多分ホロホロ鳥が遊んでいた.私達は当然家畜として飼われているのかと思ったが,ガイドEさんによればこの辺りにいるのは全て野生です,ということで一同驚いてしまった.確かにこの場所以外で見かけることはなかった.ところでニワトリもあまり見ない,ヤギや牛やロバはあれほど多いのに.....どうしてだろう?
村の日干しレンガ製作場
多分村の共同日干しレンガ製作場で,家の建設や補修のため予め作り溜めしておくのではなかろうか.内部に藁(わら)のような補強材を含めて成形されたレンガが多数乾燥されていた.
一軒の屋敷を見せてもらう
写真中央の男性の許可を得て,屋敷を見せてもらった.屋敷は枯れ木の塀で囲まれ,主に家畜囲いの機能であろう.先程の牛やヤギが出かける前はここにいたことであろう.
家は日干しレンガの円筒状,円錐状藁葺き屋根である.中を見ることはできなかったが,以前観察経験があるEさんによると,部屋はワンルームで,窓がないので真っ暗だという.
ところでこれまで通過してきたエリアの代表的定住民は2部族で,グララ族(Gurara:前日初めころよく会ったようだ)と,このお宅の属するハジャライ族(Hajaray)ということだ.
ハジャライ族はここゲラ山地周辺に多く,信仰はいろいろ,精霊『マルゲ』を崇めるアニミスト,クリスチャン,イスラムと多様なようだ.
立派な角の牛
さてモイト手前キャンプを撤収し,ランクルに荷物を載せて東に向け出発した.
そして程なく道端の牛に出合った.まあ随分立派な角を持ち,日本を含め他国ではあまり目にしたことがない.この辺り或いはアフリカ固有種なのであろうか.
ゲラ山地の端に入って来たようだ
平地に岩山が突き出た地形が見えてきた.ゲラ山地(Guera Massif)の縁に入って来たようだ.ゲラ山地(山脈)は地表に連続的に突き出ているのではなく,平地に所々浮き出た地形,大洋に浮かぶ氷山のような形態のようだ.
地質は主に石英,長石(カリ長石または/および斜長石)から成る花崗岩(granite)だそうだ.花崗岩質マグマが貫入固結した深成岩に分類されるそうだ.山の表面を見ると風化によるものか巨大な石がゴロゴロ転がり,とてもガレている.
小さな村のモスク
ここでもシンプルデザインの小さなモスクがあった.
キリスト教会は見ないがモスクは多い.
大規模ラクダ移動隊に出会う
前日も遊牧民のラクダ移動隊に出会ったが,この日はさらに大規模なラクダ群に遭遇した.一体何頭のラクダが連なっていようか....壮観だ.
ところでこの辺りの定住民族は主に2つと上に記したが,遊牧民もまた主に2部族ということだ.アラブチャド遊牧民(Nomad Alab chad)と,前ページでも記したトゥブ族(Toubou)だ.前日出会ったのも,今隊列を組んでいるのもアラブチャド遊牧民のようだ.こちらも家畜の餌場を移すための移動であろう.
トゥブ族(Toubou)は既述のように人口の3.9%と少ないが政治,軍事では要をなし,アラブチャド遊牧民は人口の14%というからかなり多い.そしてその起源は,13世紀スーダンのキリスト教王国を滅ぼしたアラブイスラム勢力がさらに南下し,チャドにも攻め入ったそうで,そのとき従軍したアラブ劣等氏族や元奴隷といった人々がチャドに留まり,定住したのが始まりだそうだ.
なおチャド全体では200以上の部族から成るが,民族(人種)的に見るとほぼスーダン系黒人で,きっと大昔にスーダン方面から移動してきたのでしょうね.
サヘルを快適に進む
さて今朝から主街道から離れた南の道を走っているが,舗装の穴凹はなく実に快適に進む.
この辺りはサハラ南端の半乾燥地帯でサヘル(Sahel)と呼ばれるそうなのだが,比較的湿潤で確かに地面には草が生え,灌木や,写真のようにある程度大きな木も育っている.なお現在のサヘルは東のスーダンから,チャドやニジェールを横切り,西のセネガルまで連なるベルト状エリアになるそうだ.
ゲラ山地へgo to Guera Massif
水汲みからロバで戻る女性
車は進んだ.途中でロバにポリ容器を積み,多分水汲みから戻る女性,にすれ違った.この先に地下水か湖,または池がありそうだ.
小さな湖があった
果たして小さな湖がありました.右側湖畔では水を汲み上げている姿も見える.先程のロバ女性もここで汲み上げたのでしょうね.
多くはないが,たまにこうした湖が住宅地近くにあるのもサヘルの特徴でしょう.サハラにも時どき湖が現れるが,絶対数は少なく,その周囲を完全な砂漠が囲っているのでちょっと日常生活上の使い勝手は異なってくるでしょうね.
こちらは地下水井戸の水場
こちらは地下水の井戸があるようで,黄色いポリタンクの女性が順番を待っている.どうやら水汲みは女性の役割のようだ.
最後尾の女性のロバはポリタンク積載専用鞍を装着している.これで荷の上げ下ろしは素速く,また荷崩れの心配はなさそうだ.でもポリタンクは10リットルはありそうだから,+20kg,ロバは楽じゃない.
丘を越える牛
概してこの辺りは平らだが,稀にこのような丘もある.そしてたまたま牛の群れが砂埃を舞い上げてどどどどっと進んでいった.
ゲラ山地中心部に至る
やがてゲラ山地(Guera Massif)中心部に入ってきた.ちょっと見カルスト地形(Karst)のようにも見える.しかしカルストは柔らかな石灰岩で,こちらは硬い花崗岩であるから,かなり違いがありそうだ.
アブトゥーユー山(Ab Touyour)
ゲラ山地には幾つもの山,峰があるが,その中の一つがアブトゥーユー山(Ab Touyour)でちょっと頭を傾げた特異な形の岩山だ.899mの高さで,陣馬山より少し高いくらいだが,こちらは超高度なロッククライミングスキルが要るだろう.垂直な岩壁を登っている写真をネットで見たが,頂上の写真が見えないのでまだ未登頂なのかな....
ゲラ山地のラクダ
ゲラ山地は独立峰のような山が多く,平地が多い.平地には比較的木も多く,ラクダがその高い上背を活かして高い木の枝の葉っぱを食べている.ちょっとキリンのようだ.
ゲラ山地の牛車
チャドの牛は一日中食べているものと思っていたが,牛車を引く牛もいるのだ.牛車は二頭立て,つまり2牛力で,かなりのパワーがありそうだ.馬よりスピードでは負けるも,積載量で勝りそうだ(想像)
ランチ場へgo to a lunch field
街路樹を育成中
しばらく進むと結構大きめの町に入った.通りの中央には街灯が並んでいる.そして写真のように歩道も備えられ,そこには街路樹を育てようと苗木の回りをレンガで囲み,保護している.水が十分でないためか枯れてしまった苗もあるが,結構懸命に励んでいるように見える.
ところでチャド女性の衣装はとてもカラフルですね.一般にアフリカの国の女性は派手好みと思うが,ここでもそれが実感できる.
二頭立て牛車の故障
どうやら二頭立て牛車が故障したようだ.御者が荷台下に回り込んで修理している.自動車の修理もドライバーがこなすのはかなり一般的なので,牛車も当然直すでしょうね.
ところでここはモンゴ(Mongo)の町の辺りであろうか.そうであればそこのGS併設ショップでビール在庫があり,私達の注文残分全て買うことができたそうだ.めでたし!ただこうした大きな町では警察や軍人がうじゃうじゃいて写真は危ない.カメラは車内に置いて触れないようにした.ちょっと残念.
標識は仏語で,アラビア語は見ない
公用語は仏語とアラビア語と聞いているが,なぜか標識は仏語(アルファベット)で,アラビア語(アラビア文字)は殆ど,いや全く見ない.見逃しであろうか?たとえあったとしても,ごく少数なのであろう.
ところでチャドは上述のように200くらいの部族から成るというから,その独自言語がある筈で,共通語の存在意義は大きいであろう.アラビア語はアラブチャド族(やトゥブ族もか?)の言葉なので,偏りがあるということかな....その点仏語なら公平なのかも知れない.
なおチャド最大人口部族サラ族(Sala)は部族語ンガンバイ語(Ngambay language)を話すそうである.ンで始まるところがおもしろい,ンジャメナもンガンバイ語がベースなのであろうか.
airtel販売店
airtelは通信会社の一ブランド(インドが本拠地らしい)で,その販売店が小さな店舗を構えている.airと付くから当然無線通信の筈で,電力線もめったに見ない土地柄,先ず無線通信になるのは普通だと思う.
なおサハラに入るとケータイの中継局も大きな町以外見当たらないので,スタッフの皆さんは緊急時用に衛星電話は携えていた.これはヒマラヤトレッキングなどと同じやり方だ.
チャドのヤギは大きい
毎度思うのだがチャドのヤギは大きい.写真の人物と比較すると一目瞭然だが,バカでかい.ヤギ肉はよく食べられるようなので,大きいほどいいとは思う.
馬車は一頭立て
先程の2頭立て牛車に次いで今度は馬車に出合った.こちらは一頭立てだ.やはり馬の方がパワーがあるということかな.
皆さんそれぞれ手持ちの荷物を腰掛けにしている.馬車の効率的利用ですね.
ランチ場に到着し,炊事の準備
ランチ場,と言っても道端で日陰を作る木のあるところに到着した.アシスタントAsさんは先ずお茶用湯を沸かすために近くに転がっている枯れ木を斧で割り,薪を作っている.
ガイドEさんもウェートレスとしてサポート
ガイドEさんもウェートレスとしてサポート中で,シェフの作ってくれた料理や自らイタリアで調達してきた食べもの(チーズなど)をシートの真ん中に並べてくれた.添乗Uさんもまた持参したウェットティッシュの準備などで忙しい.
この日のランチ
これがこの日のランチ.フランスパンは途中のお店で調達できたそうだ.かつて仏支配下に置かれたことがあるのでフランスパンは美味しい.おかずはいんげんやグリーンピース,トマトなどの和え物かな~
デザートのスイカは冷えてはいないが大変美味しい.ジュースは粉末を溶いたものだが,キャンプでは標準的だ.
子どもたちがジワ~っと寄ってきてくれた
ここは近くに住宅が見えないのに,何処からか子どもたちがジワ~っと寄ってきてくれた.元々チャドの人たちは子供も含めて警戒心が強そうで,あまり近づけないし,寄ってこない.と思いきや,この子達は多分めったに見ることのない東洋人に興味を持ったようで,少し遠目に私達を観察し続けた.
近年政府は最近周辺国ボコハラムの侵入などに対する防衛力強化が最重要課題で,そうした軍事費確保のためそれまでの教育費を削っているそうだ.そのため教員の給与支払いができなくなり,教員はストに入り,学校は閉鎖を余儀なくされた.そのためこうして学童は学校に行けず毎日遊んでいる状況のようである.
ベタ川越えgo over Betha river
遊んでいるだけではありません
さてランチが終わり,また東を目指した.学童は学校に行けず毎日遊んでいる....と記したが,決めつけてはいけません.こうして少し大きい子らはロバに跨がり仕事場に行くところです.
初めて雑穀の畑に出合う
これまで畑らしい畑は見なかったが,ここで初めて畑に出合った.驚いた.しかも結構まとまった面積があるようだ.添乗Uさんの解説ではミレットとかソルガムの類で,要は雑穀ということだ.そしてそれらの和名を見ると,
ミレット(Millet)はトウジンビエ,シコクビエ,ヒエ,キビ,アワなどが含まれるそうだ.ただアフリカのこの辺りでは一般にトウジンビエのことを指すことが多いようである.
ソルガム(Sorghum)はモロコシ(蜀黍),コーリャン(高粱)とも呼ばれ,イネ科の一年草植物で穀物を採る,ということだ
殆ど砂漠であるので,作物栽培ができないのであろうが,ここ辺りだけは雨や地質の条件がいくらか良いのであろう.コーリャンはコーリャン酒などの原料としてはいいかも知れないが,食すにはちょっと....と,食べたことがないのに芳しくない先入観がある.でも,麦やコメが取れないので仕方ないのです.
さてこの辺りは平地ではあるが依然ゲラ山地の領域に属し,ミレットを栽培しているのは上述ハジャライ族という.そしてアラブチャド族はミレットの収穫が終わった頃ラクダと共に訪れ,ミレットを刈りとった後の切り株を食べさせ,ラクダが糞を落とし,それが畑の肥料になるという.定住民と遊牧民がうまく共存を図っているわけだ.感心しました.
水汲みから戻る途中でしょう
ポリタンクを抱えたロバに跨った奥さん方が進んでいく.朝早く,上でも似た光景を載せたので,これも同様のシーンであろう.つまり,多分この先にあるであろう水場で汲み上げて帰宅する途中であろう.
いつも思うことだがあ,ロバは人に,水に,いっぱい背負わされて大変だな~
ここが水場の池のようだ
ロバと行き合ったところから少し先に池があった.多分先程の奥さん方はここで水を汲んだのでしょう.
池には川から流れ込むのか,それとも地下水が湧き出るのか,或いは雨季に溜まった残り水か....いずれにしても蛇口を捻れば水が出る環境と比べれば大変な苦労かと思う.
何を販売しているのでしょうか
また少し行くとちょっとした町があり,小さな商店街(3,4軒)があり,その庭先でこのおばさんが露店を開店していた.ただボウルが4,5個地べたにあるのだが扱っている商品が何であるのか見当つかない....
花崗岩ゴロゴロ
平らな地表に大きな花崗岩がゴロゴロしている.まだまだゲラ山地は続いているようだ.
それに牛たちが枯れ草を食んでいる.車は空いているし,いい通りだ.
ハジャライ族の村
円筒状日干しレンガにコーン形藁葺き屋根の建物はハジャライ族の住まいでしょう.家畜囲いの塀には長い茎のミレットの筵(むしろ)が用いられているようだ.塀の内側にはまだ乾燥中のミレットも立てかけてあるようだ.
服装からしてハジャライ族でしょうか
この辺りで多いハジャライ族,アラブチャド族のうち,後者女性は一般に赤い衣装を好むと聞くので,消去法でこの4人の女性はハジャライ族と推定.なお他部族を含めて顔など外見的違いは私には全く見当が付かない.
今度はtiGO通信の販売店
上述airtelとは別の移動通信会社tiGO(Millicom International Cellular)の販売店のようだ.ロゴがtiCOのように見えて紛らわしい.同社は新興国の移動通信オペレーターで,アジア,ラテンアメリカ及びアフリカで事業展開しており,チャドも拠点の一つということだ.
ベタ川を越える
2日間で初めて川に出合った.ベタ川(Betha river)で,大きな川ではないが乾燥地帯を流れるので大変貴重な川に間違いなかろう.今はあまり降らないようだが稀に降るのでしょうか.いずれにしてもこの地方にはある程度まとまった降雨があり,それがミレット栽培などを可能にしているのでしょうね.
ウムハジャル通過pass by Oum Hadjer
ベタ川を過ぎるとウムハジャル
ベタ川を過ぎるとウムハジャル(Oum Hadjer)の町に入った.町には配電され,歩道には真新しい街灯が設備されている.
歩く女性は部族は不明ながらファッショナブルで,荷物は頭に載せて運ぶ.これはどの部族女性も得意なようだ.中には手放しで載せていることも.
左側迷彩柄女性の左先に見えるこんもりしたヤシはドゥーンヤシ(Doun palm)と呼ばれ,茂る葉っぱはマットに織ったりするようだ.殻で覆われた白い種は硬く,プラスチックボタンが普及する以前は『植物から採れる象牙』としてボタン作りに活用されたそうだ.
ドゥーンヤシ種子内部には僅かな水が含まれるそうで,そのためかどうか分からないが古代エジプトでも珍重され,3000年前のツタンカーメンなどファラオの墓からバスケットに入った種子が出土しているそうだ.
ミレット乾燥台
畑で刈り入れたミレットを乾燥させる台ということだ.地べたで干しておくと家畜に食べられてしまうのでしょう.乾燥後は脱穀し,残りの茎はまた載せてさらに乾燥し筵の材料にするのではないでしょうか.
ミレットの貯蔵倉ダバンガ(Dabanga)
村の片側に大きな貯蔵瓶を並べた光景が見えた.村で共同管理するミレットやソルガムの貯蔵倉で,ダバンガ(Dabanga)と呼ばれるそうだ.ミレットは9月に,ソルガムは1月にそれぞれ収穫し,ここに蓄えるということだ.
人満載のトラックを抜く
人を満載したピックアップトラックだ.やはり月光仮面が大勢乗っていて迫力がある.チャド車両は日本とは逆の右側通行なので左側から追い抜いていった.
でもトラック荷台には手摺りも何もないし,怖そうですね.
アベシェ手前へget to the campsite short of Abeche
岩山前のキャンプサイトに到着した
前日は当初予定の半分くらいの場所で夕刻になり,そこでテントを張った.この日は当初予定の80%くらいまで回復したアベシェの手前辺りで暗くなり始めたので,そこでテントを張ることになった.近くにトイレ向きの岩陰があるのもサイト選定の重要条件で,ここはその要件も満たすのだ.
そして早速テントや荷物を下ろし,それぞれテント張りの土地探しに入る.
手伝ってもらって張ったテント
この日は添乗Uさんに手伝ってもらってテントを張った.幸い無風であるので砂が舞い込む恐れはないし,フライシートのロープを固定する必要もなさそうだ.
そしてビールを濡れ靴下で包もうとしたが,ガイドEさんが靴下よりトイレットペーパーが冷えますよ,と云うので手持ちのテッシュペーパーを数枚重ね,水をかけ,風が少しありそうな,つまりより気化熱を奪ってくれそうな車のルーフに置いた.しばらくして見に行くとペーパーはかなり乾いていたのでまた水を補給.
そして夕食時間になり,冷やしたビールを持ってテーブルに着き,栓を抜きダイレクトに飲む.缶ビールはいつもそのまま飲むが,瓶ビールではあまりやらない.でも砂漠では当然この方がいい(味と温度の観点で).若干冷え方は足りなかったがそれなりに冷えており美味しかった.キャンプサイトに着いたら,テント張りの前に,先ずビール冷やしですよ,と皆からアドバイスがあった.明日からそうします.今振り返ると,ビールは数がギリギリなので何だかんだありながらも最も美味しく楽しいアクティビティだった.
で,食事はどうだったのだろう?写真がなかったのではっきりしないがビールにピッタリEさんのチーズ,それに生ハムがあったと思う.全部平らげておきながら何だが,生ハムはスライスするに適したナイフが無いためだろう,厚くブロック状だったのはちと惜しかった.勝手ながら生ハムはやはり薄い方がいい(と思う).