デミDemi

このデミ編では,2019年2月6日ウニャンガケビールのキャンプサイトで朝を迎え,朝食後,湖畔背後の寂れた村を散策し,車でウニャンガのオアシスに行き給水,次いでやはり寂れたウニャンガの町に行き食料補給,給油,その後カタム湖を見物し,淡水ブク湖を訪れ洗髪など行い,砂丘ドライブでスタックされ,最近廃棄された塩田を訪れ,何もない砂丘のキャンプサイトに落ち着いたときの写真を載せました.

デミ付近のマップmap around Demi

デミ付近のマップ(Googleマップのスクリーンショット)

この日はウニャンガケビールからウニャンガセリールを経てデミに至る.

別窓で大きなチャド付近Googleマップを開く

ウニャンガケビールの朝morning at Ounianga Kebir

ウニャンガケビールで朝が明けた

ウニャンガケビールで朝が明けた

ウニャンガケビールの湖畔で朝が明けた.ランクルと岩で囲むように陣形を造り,いざここで戦わん....ではなく,食卓を据えてくれた.幾らかでも風を避けるための配慮がありがたい.

湖の名はやはり思い出せないが,結構広く,さざ波が立っている.そして湖畔にはナツメヤシと丈の低いヤシの仲間と思われる木が茂っている.湖自体は塩湖であるが,岸辺地下には淡水が供給されるメカニズムになっているのだろうか.


ウニャンガケビール裏山に上ってみる

裏山に上ってみる

朝食後,湖と反対側裏山に上ってみた.筵(むしろ)屋根壁造りや日干しレンガ造りの住宅が建つ集落があった.葦とかミレットのような丈の高い塀の家畜囲いが見える.きっとウニャス族(Ounias)の集落で,固定的住宅が多いので定住であろうか.


ウニャンガケビールの村人が歩いて行く

村人が歩いて行く

この集落周辺は実に荒涼とした景観を呈している.そして村から出て,湖の方向に続々と歩いて行くではないか.とっても不思議な光景で,いろいろ詮索してみたが,見当がつかない.....何の仕事か判らないが,やはりこの時間帯だと出勤であろうか.

自ら呆れるほどしつこいが,この光景は今もってミステリアス,記憶に強く残る光景なのだ.


車で湖を離れ,丘の上に

車で湖を離れ,丘の上に

ウニャンガケビールのキャンプサイトを撤収し,車で離れ,丘の上に出た.砂岩の壁に囲まれた湖の様子がよく見える.水辺にはヤシの木が所々に見える.やはり湖から供給される塩水が通過する土砂でフィルタリングされ,淡水になるのであろう.いやある程度の濃度の塩水でも生育可能な種なのであろうか.


ウニャンガのオアシスOunianga Oasis

ウニャンガオアシスで給水

ウニャンガオアシスで給水

ウニャンガケビールの丘から町に向かった.途中予定のウニャンガオアシスでは十分供給があり,ポリタンクに幾つも給水した.まだ気温は低めでダウンジャケットの人もいる.


ウニャンガオアシス周辺はヤシの木でいっぱい

ウニャンガオアシス周辺はヤシの木でいっぱい

ウニャンガオアシス周辺はヤシの木でいっぱいだ.ナツメヤシ(もしくはドゥーンヤシ)の高木に加え,丈の低い,だが触れると痛そうな葉のヤシの仲間が多く生えている.後者はデーツこそ採れないものの屋根や垣根の材料に活用されるのであろう.


ウニャンガオアシス近くの農家庭畑

ウニャンガオアシス近くの農家庭畑

ウニャンガオアシス直ぐ脇に農家住宅があった.植物茎の垣根越しに畑が見えたので行儀悪く覗いてみた.畑と言っても庭の一画で,所謂家庭菜園クラスだ.トマトに葉野菜のようなものが見える.トマトは見る限りまだ青いが,ちゃんと大きく育っている.他で見ればベランダ野菜と大差なかろうが,ここで見ると全く違う.つまり砂漠のまん真ん中でこのように立派に育てて....とエラく感動を覚えたのであった.

やはり何と言っても水は命ですね.それと畑に比べて垣根は大層立派ですね.殆ど無人に近い過疎の地とは言っても,多分油断ならない面があるのでしょうね....ひねた見方であればいいが.


ウニャンガの町town of Ounianga

寂れまくったウニャンガの町に到着

寂れまくったウニャンガの町に到着

私達の車はウニャンガの町に到着した.筵屋根の商店街は多くのショップが軒を並べているのだが,売り手も買い手も人が疎らだ.

筵屋根軒の奥にはしっかりしたドア奥にショップ本体があるのだが,そのドアの多くは閉じたままだ.時間的にまだ早すぎる面もあろう.


ウニャンガの列柱通りにモスク

列柱通りにモスク

モスクと古代ローマ帝国の基幹通りのように列柱(ただ丸い石柱でなく,四角い日干しレンガ柱)が並び,本来は目抜き通りであろう,それに角にミナレットの立つモスクもあるが,こちらも静かだ.

かつてウニャンガの町はリビア交易におけるトラック中継地で,大いに賑わっていたが,2011年に端を発するリビア内戦以降ぱったり往来が減ったのだそうだ.これはその時代を挟む前後幾度かここを訪れているEさんの実感だそうだ.


開店していた小さな食料品店

開店していた小さな食料品店

根菜や玉子を扱う小さな食料品店が開店していた.シェフUgさんはとりあえずいろいろ観察し,他も見てから買うお店を決めるようだ.ただし品質に関しては多少違いがあろうが,値段に関してはあまり差はないように聞いた.値引き交渉とかも見ないように思えた.

それと驚いたことに女性の装束が中東やアフリカでもマグレブ諸国のイスラム服(アバヤなど)と同じように黒一色であることだ.これまで見てきたイスラム含めて女性は総じてカラフル,場合によってはケバい衣装との印象だったので,ウニャス族(Ounias)だけは違うのかも知れないと思った.


ウニャンガの町のとっても寂しい雑貨店

とっても寂しい雑貨店

ジュースや玉子,鍋やトレイ....雑貨店というかコンビニというか....それにしても品数の少ないお店だ.でもたくさん揃えても客が少ないので,在庫だけが増えて倒産の危険が増すのでしょう.


食料補給はこのお店で

食料補給はこのお店で

シェフUgさんはこのお店で食材を買うことにしたようだ.質素な外観は一見多摩川畔辺り占拠ハウスのようだ.多摩川畔と比べて,砂塵に対する備えは大変だが,雨の心配は多分あまり必要でなく,現にここではビニールシートの覆いなど見えない.


ウニャンガのここでは豆類など仕入れたか

ここでは豆類など仕入れたか

サラダなどに用いる豆類,それにチャド風硬めのデーツかな.もっと他の食品もあったかも知れないがもちろん覚えてない.そうだ,少なくともボトルのミネラル水はパッケージ単位で仕入れたでしょうね.


ウニャンガの町で給油も

給油も

この先暫く給油できそうな場所がなさそうで,ここで満タンにする.もちろんドラム缶からホースで汲み上げて,入れる.フードを開けているのでオイルや冷却水もチェックしているのでしょう.


ウニャンガの町では街路樹も育成中

街路樹も育成中

この町では殆ど緑は見えず,殺伐さに輪をかけているようだ.そこで街路樹を育てようとしているようで,前日眺めた住宅壁と同じように石と土で固めた円筒状保護壁の中に苗木が見えた.多分この円筒を越えるくらいの大きさになるまでは時折襲う砂嵐に耐えられないのであろう.もちろん水やりはかなりの頻度で必要であろうし,実際湿っていた.まあ,砂漠の植物栽培の大変さがよく解ります.


カタム湖lake Katam

ユネスコ世界遺産

ユネスコ世界遺産

ウニャンガの町で買い物を済まし,これまでの大きい湖のウニャンガケビールに対し小さい湖ウニアンガセリルのある東に向かった.

途中ユネスコ世界遺産の印が立てられていた.仏語でよく判らないが,その境界か....?


カタム湖に来た

カタム湖に来た

ウニャンガの町の町を出て程なく大きな湖,カタム湖(lake Katam)に到着する.大きい湖のウニャンガケビール群に含まれるようだ.

ダークグリーンの水を湛えた岸辺には,白い泡が風で押し寄せられている.舐めてみると塩っぱい.塩水から塩の泡ができるようだ.理由は解りませんが.


2つに分割されるカタム湖の不思議

2つに分割されるカタム湖の不思議

実はダークグリーンの水を湛えているのは湖の右半分で,中程で仕切る岬(Headland)で2つに分割されており,左半分はパープルなのだ.不思議だ.

岬なることばであるが,実際は両岸を結び,完全に2つの湖に分離しているように見える.でも名称はカタム湖一つで両者を表している....全体では2.4kmx1kmの大きさになるようだ.

なお流れ込む川,出る川は皆無で,地下水が注ぎ込み,蒸発(気化)で出ていくそうである.


カタム湖の左半分

カタム湖の左半分

上述のようにカタム湖左半分はパープルなのだ.そしてそちら側には白い泡がないように見える.パープルになるのはNaCl以外のミネラルが含まれているからでしょうか?

そしてこちら側半分も岸辺には豊かなヤシの木や丈の高い草が茂っている.緑は湖の周囲に限定され,一歩離れれば茶色一色だ.正にカタム湖の賜物であろう.


淡水ブク湖lake Boukou

そろそろウニャンガケビールのエリアか

そろそろウニャンガケビールのエリアか

そろそろウニャンガケビールのエリアに入ってきたのか,いくらか小さ目の湖が見えてきた.

前の湖同様一切川はなく,全て地下水脈から水が供給されるそうだ.また蒸発量が多いため塩湖になっている(その理由が理解できてないが)ということだ.


ニャス族の村でしょう

ニャス族の村でしょう

筵屋根のドーム型家屋で,背丈のある家畜囲い,垣根,それに何より黒装束の女性,多分ここもニャス族の村であろう.

ドーム型家屋は流体力学的に横風の抵抗がいくらか少ない,従ってこの地方の強い砂嵐に耐えるためかな....ただ,ドーム縁をしっかり地面に固定して置かないと,ベルヌーイの定理でドーム上は圧力が下がり,ドームが上に持ち上がるかも.


車を降りて遠くを眺める

車を降りて遠くを眺める

たまには車を降りて遠くを眺めてみよう.でも砂が舞っているせいか遠くまでは見えないな~

それでも赤茶けた台地に飛び出た砂岩の小山の向こうに湖が見えるようだ.


湖辺りをズームイン

湖辺りをズームイン

確かに湖のようであるが....いやただの大きな岩石かな.....

いずれにしても荒々しい光景だ.


淡水のブク湖(Boukou)に到着

淡水のブク湖(Boukou)に到着

そして淡水のブク湖(Boukou)に到着した.殆ど塩湖である中で唯一ここは淡水なのだそうだ.濃い水の色は特段変わってないと思うが,周辺の緑は多く,植物の種類も豊富なようだ.そして湖内部にも葦であろうか,細長い草が多く生えている.

地元の人達には飲料水として使われているそうだ.私達はンジャメナ以来お風呂やシャワーが一切ない生活なので,水温は低いですがもしよろしかったら沐浴を,ただし石鹸,シャンプーは陸の上で,と案内された.でも実際手を入れてみると,かなり冷たいし,かなり風もある.私は上半身裸になり,バケツで汲んで,シャワー程度に留めた.他の人も水に入るのは止めたようだ.ここで風邪を引いたら大変だ.

それと,ここは今回ツアー最大のマラリア蚊懸念があったのだが,幸い気温が低めだったためか大丈夫であった.


どこからか来て露店を開く

どこからか来て露店を開く

どこかで私達がここに来るのを見張っていたのでしょうか,女性が来てアクセサリー(?)の露店を開いた.直ぐ近くには住宅は見えないような....でもあるのでしょう.

左側の黒衣装の女性が店主で,右の青い(黒でないことに注目)は....お友達か?

でもすみません,あまり商品に関心が持てないのです(皆を代表してます)


砂丘ドライブdune drive

塩田目指し東に進む

塩田目指し東に進む

ブク湖でのシャンプーが済み,次は塩田を目指しまた東に進んだ.

この辺りは緩やかな砂丘が多くなる.当然道はないので特に1号車Tさんの勘所を頼りに進む.


砂の風紋がきれいだ

砂の風紋がきれいだ

この辺りは細かなサラサラ砂のようで,風紋がきれいだ.単純な波型でなく,峰の横,つまり谷には細く入り組んだ支脈が形成されているのが面白い.

できるメカニズムは解らないが,峰は粗い砂粒子が集まり,谷は細かい粒子の砂から成るということだ.ということで,完全に粒子が揃った砂では風紋ができないのだそうだ.さらに風は強すぎても弱すぎてもできず,風速4~8m/sでないといけないとか.そうなんだ~さかなクンでなくとも『ギョギョギョ』と声が出るほど驚きました.


斜面でスタックされる

斜面でスタックされる

砂丘ドライブは大変だ.つまり緩やかな場所だけではなく,最高に上り下りに有利そうな砂丘を狙って越えるのだが,さすがのトヨタランドクルーザーであってもスタックされるときがある.最高に腕のいいUsさんでもスタックされるときがあるのだ.

それとパンクも一度あった.低圧で走行を続けるのでタイヤ傷みし易いのではなかろうか.


スタックからの抜け出し作業

スタックからの抜け出し作業

比較的浅いときは,全員が降りて押すことで抜け出るときもある.でもそのケースは少なく,タイヤの前後をシャベルで掘り,抜けることができる場合がある.それに人力を加えればそれなり加勢となる.

これでだめなときはタイヤ下,進行方向の砂をシャベルで掘り出し,そこに多数のバリングした穴を開けた金属板を敷き,それを踏んで抜け出る.これで全てのケースで何とか抜け出ることができたと思う.


テゲディの塩田a saltpan

塩田のあるテゲディ湖(Teggedei)に向かう

塩田のあるテゲディ湖に向かう

砂丘のスタックから抜け出し,次は塩田のあるテゲディ湖(Teggedei)に向かった.水の色がきれいだ.これもウニアンガセリルの一つなのであろう.

背後の岩山は前日までのニャラではなく,普通の裾の広がる円錐型になった点もおもしろい.堆積岩ではなくなったのか?それとも堆積岩だが一層の厚みが山の高さくらいあるため,こうした形に侵食されたのか....


塩田のある湖周囲はナツメヤシがいっぱい

塩田のある湖周囲はナツメヤシがいっぱい

塩田のある湖を見下ろす丘に立った.湖周囲はナツメヤシがいっぱい生えている(植えてある).

実は数年前まで湖畔には数軒の集落,ティベレ村があり,塩水から塩を作る仕事,それにナツメヤシからデーツを収穫することを生業としていたそうだ.だが近年他の地方から,各都市に連なる道路が中国資本で建設され,安いコストで塩が供給され,こうした小規模な塩田産では商売できなくなった.そして製塩は廃業し,他に引っ越したということだ.


湖の畔は析出した塩で白くなっている

湖の畔は析出した塩で白くなっている

丘を下り,湖の畔を歩いた.岸辺は土に混じり析出した塩で白くなっている.結構濃い塩分濃度なのでしょう.


製塩の跡

製塩の跡

前述のように既にここでの製塩は行われなくなっているが,その跡が残っていた.湖の塩水を広い田に導き,天日に晒して干して,塩を作った.或いは燃料で加熱し,水分を飛ばして塩を作ったか,或いは天日と併用したか.....

詳細を訊きそびれたが,この製塩跡のサイズからするとやはり木材など燃やして,水分を取り除いて塩を取り出したように見えるが.....でもそれでは水を入れた部分と,炉に相当する部分はどうなっていたんだろう....それに周りに散らばった棒切れは何なんだ...やはり謎だ.


集落があった頃の住居跡

集落があった頃の住居跡

かつて製塩が行われていた頃の住居残骸ということだ.たまたまかも知れないが,上で記したドーム型住居の骨組みと同じように思われる.つまり手前側大きな曲がった弓形木材はドームの骨格と同じではなかろうか.


塩の貯蔵庫

塩の貯蔵庫

湖の畔から引き上げ,丘に戻った.ここには亀の甲羅というか,ヘルメットというか,まあそういった形の塩貯蔵庫も残されていた.製塩した商品,塩は一時ここに蓄え,取引が成立した度にここから出荷されたということだ.

この屋根は形もさることながら,筵ではないし,藁(わら)葺でもないし....粘土でしょうか,何らかの固形物で,この辺りでは見ない材質だ.塩に水分が加えられないように防水性に工夫されたものであろうが...今となっては知る術がないが,なかなか興味深い.


砂丘のキャンプサイトCampsite at a dune

砂丘のキャンプサイトに急ぐ

キャンプサイトに急ぐ

さて大分時間が押してきた.塩湖を後にキャンプサイトに急いだ.塩湖に近い途中に別の塩貯蔵庫も見えた.周りに塩らしき白が残されている.先程の亀型より大型であるが,残念ながら興味深い屋根は破損し,無くなっているようだ.また円筒状本体は残され,円筒だけに容積的には勝るであろう.


砂丘のキャンプサイトに到着した

砂丘のキャンプサイトに到着した

やがて砂丘のキャンプサイトに到着した.周りに岩や樹木は一切ない.お手洗いは....皆砂漠ツアーではそれが普通と心得ているので,まあこんなものであろう,と思う(私は砂漠の経験は少ないが,確かオマーンでもこういった場所はあった.その点山ではテントトイレなり,岩陰なり,一般に心配ない)

荷物を下ろしてもらうと,早速ビール冷やし(いつもビールにがっついてますね)から始め,幸いあまり強くない風の中でテントを張り,夕食を待つ.

やがて陽が落ち,夕食を頂いた.そして急に冷えてきた.見上げる天には無数の星が煌めき,星に詳しいAさんや,ガイドEさんに星座の名を教えてもらう(言うまでもなく,これがなかなか覚えられないのだが)