ウェイWay
このウェイ編では,2019年2月4日ハバイケで朝を迎え,そこから比較的近い製鉄所跡を訪れ,次いでファダの町に至り見物.その後サビニャラ方面に向かう予定だったが,軍の通行許可が降りず,代わりにその西の道を北上し,ビシャガラに来て洞窟の岩絵見物,その後はウェイのキャンプサイトに行き,ここで一泊.こうした一日の写真を載せました.
ウェイ付近のマップmap around Way
当初ファダから北の道を行く予定だったが,チャド政府軍の許可が得られず,その西の道をウェイまでいくことになった.当初予定の道はこの日政府軍兵站部隊の利用予定があったらしい.
別窓で大きなチャド付近Googleマップを開くハバイケの朝morning at Habaike
ハバイケサイトで明ける
ハバイケサイトで明けた.今日も良い天気だ.周囲はどこもかしこも奇岩ニャラだらけだ.
テントを畳み,朝食を頂き,そして撤収に取り掛かった.
ニャラが折り重なる逆光の東側
既に陽がある程度高くなった東側を望んだ.ニャラの連山が,奥に行くほど霞み,それが織りなす景観もなかなか見応えある.
いつの間にか近所の母子が露店を開いていた
スタッフの皆さんが撤収作業に勤しんでいる頃,ふと見ると近隣に住まう人たちであろう,手作りのアクセサリーであろうか,地面に並べていた.
近隣と言っても近くに民家らしきものは見えないので相当距離があるのかも知れない.そんな大変なところからせっかく来てくれているのに,誰も近寄らないのは甚だ失礼ですよ,とEさんが露店を訪問する.Eさんは仏語を話すので,買わないまでも母子のメンツを立てて上げることができたと思う.優しいです.
出発準備完了
さて荷物が積み込まれ,出発準備が完了した.
そして最初は古代に在ったという製鉄所跡を目指し,砂の上,道なき道を進み始めた.
ハバイケの製鉄所跡ironworks at Habaike
ヤギは得意な山登り
ヤギは山羊の名のように山登りが実に巧みだ.ぴょんぴょんニャラに駆け上る.野生のカモシカなども多分このような感じであろう.
それと下の洞窟前にいるのはニワトリじゃないかな....そうであれば初めて見るように思う.
近くの家を訪ねる
この辺りには数軒の家が点在している.筵(むしろ)屋根壁の軽量造りなので,定住ではなく遊牧民の住まいのように見える.
込み入った地形で,ベテランガイドTさんも製鉄遺跡の在り処がはっきりしないようで,住民の皆さんに訊いているようだ.
ガイドTさんが岩に上って確認
Tさんもヤギ並みに身軽だ.するすると岩に上って,こっちこっちだ,と他のドライバーに合図を送っているようだ.
この辺りはどこを見ても同じような地形が繰り返され,並の認識能力では目標地点の判別は難しい.
ハバイケ製鉄跡地に辿り着いた
どうやらこの辺りがその昔,1,500BC~500BCの頃集落があり,製鉄が行われていたところのようだ.ここまで来ると詳細はガイドEさんが詳しく思い出して,説明してくれた.
製鉄での生成物残り
黒い粒状物が連なって20~30cmくらいの塊があった.炉底部に残ったスラグのように見える.色合いは正に鉄系で,脇にはその欠片と思しき黒い塊も散らばっている.手にしてみるとかなり重い.完全に感覚的に過ぎないが鉄の比重(7.85)に近いのかな~と先入観も加わって思ったりする(ただその辺に転がっている砂岩より圧倒的に重いのは確かだ).
ところで鉄Feと言えばヒッタイト,そしてこの村で製鉄が成されたという上述の1,500BC~500BCの頃はヒッタイトの栄えた頃と合致しますね.そちらから技術移転されたのでしょうね.
ところで鉄鉱石はどこで採掘したのか,多分酸化鉄だったでしょうからどんな還元法だったか,鉄を鋼にしたり,焼き入れしたりするにはどうしたか....など訊きたいことは山ほどあったのだが,うるさい年寄り過ぎてはまずいし,それにEさんは文化人類学がご専門で,細かい話は必ずしも詳しくないようなのがチト残念に思った.でもこの件に関してカナジー的には甚だ興味深くぜひ詳細を知りたいと今も思ってる.
製鉄所の住居跡
ハバイケ製鉄所の近くには岩の洞窟の前を石で囲った住居,つまり横穴式住居跡が残されている.このままで屋根や壁を築く必要はなく,しかも岩の保熱や遮熱効果があるので,エアコン無しで結構快適だろう.トルコ辺りでは政府の禁止令に逆らい今も頑張っている人もいると聞くし.
素焼きの陶器が出土
住居跡には素焼き陶器の欠片が無造作に転がっていた.日本では縄文後期の頃に相当しようが,縄文土器のような面白さはなく,多分ろくろを用い,機能一本槍のデザインで,魅力に欠く.弥生土器のようだ.ところでこんな風に地面に転がしておいていいのかな....踏まれて....
製鉄技術があったのだから高温で焼成し,より硬い焼き物(磁器)も可能だったかもしれない.多分そのための珪石等を多く含む粘土が近くで得られなかったのでしょうか.
愛嬌ある鳥岩
コロコロし,愛嬌ある鳥岩だ.こんなイメージの鳥が実際棲息しているように思うが....はて何だったかな...
ファダの町town of Fada
ハバイケからファダへ進む
ハバイケ製鉄所跡からファダへと進んだ.多少起伏ある砂漠にアカシアの木が生え,ラクダが歩み,向こうにはエネデイー山地の一支脈が見えている.
ランクルはこうした砂漠の中の道,無いときは適当な場所を選んで進んだ.
ファダの町に到着し歩く
ファダの町に到着した.ファダは大きな町で,政府軍の大きな施設,また関連施設(軍人住宅,兵舎,チェックポスト....)もある.そして兵士や警察官がうじゃうじゃ歩いている.軍建物や関係者が写真に入らないよう十分気を配らないとならない.
なお現大統領イドリスデビ(Idriss Deby)氏は当ファダ出身で,スーダンに亡命中,リビアなどの支援で反政府勢力『愛国救済運動(MPS)』を結成.1990年9月ンジャメナを制圧し第7代大統領に就任.以来1996年,2001年大統領選で再選し再選規定を撤廃し,その後も2006年,2011年,そして2016年当選を重ね,現在6期目の長期政権ということだ.ということでファダは現在も要衝なのであろう.
大きな町で一般市民も多く住み,もちろん電気があり,モバイル通信も抜かり無いと思われる.当然大きな商店街もある.ここはその一つで,道の両側には長屋状商店が軒を並べている.各お店は穀類,野菜,ソフトドリンク,あるいは衣類,日用品....だが,商品の種類が限られているため,同じ商品を扱う場合が多く,競合は激しそうだ.
コークは500フラン(100円位)でしっかり冷えているのがありがたい.ただビールについては,スタッフの皆さんが訊いてくれたのだが,さすがほぼイスラムエリアなのでどこにも置いてなかった.
しっかりした造りのアーケード街も
ここはコンクリート造りの商店街だ.この八百屋さんはタロイモ,じゃがいも,人参,メロン,トマト,みかん,玉子....など扱っている.
ファダはオアシスの町(尤も水の出ないところに町はできないのだが)で,こうした野菜や玉子は全てここで生産されたものだそうだ.
当然露店も
ファダの町には当然露店も開かれている.この地方には雨がめったに無いので,あとは強い陽射しを避ける大きなアカシアの木の下が見つかればいいのだ.むしろ風通しがいいので快適かも.
スーダン風建築
私は訪れたことがないのだが,お隣スーダンではこのように屋上縁に三角突起の付いた日干しレンガ家屋が多いそうだ.近所なので建築技術が伝えられたのであろう.あるいは両国で同じ部族が住んでいるのかも知れない.
屋上床の木材梁が外壁から張り出しているが,これは家屋のメンテナンスのために設けてあるのであろうか.
ファダの町にはデーツも実る
ファダの町には大きなアカシアだけでなく,ナツメヤシ(Date palm)も多く栽培され,デーツが採れるそうだ.前のページで記したドゥーンヤシ(Doun palm)はあまり食用にはならないが,デーツであれば乾燥地帯においては最も重用される食物だ.
なおファダの町の住宅や畑,果樹園などには水源の泉から水路で水が供給されているそうだ.やはりファダ水道局の仕事でしょうか.でも下水道はまだ整備されてないかな?
ビシャガラの岩絵Bichagara rock art
ファダを出て岩陰でランチ
ファダを出て暫く走り,大きな岩陰にマットを敷き,ピクニックランチ.さて写真は豆類の入ったサラダであろうか?
ビシャガラの洞窟に来る
ランチの後,またランクルに乗り,ビシャガラ(Bichagara)の洞窟にやって来た.そしてその壁面や天井に描かれた絵を眺める.
丸い頭の人物の上に重ね書きされたラクダ
概ねこれまで見てきたのと同様なモチーフに見える.ただこの作品は初めて目にする変わった作品だ.つまり褐色で描かれた丸い頭の人物(女性)や牛の上に,白い顔料で重ね書きされたラクダの絵だ.現代でも画家がカンバス上絵の上に油絵の具で重ね書きする例は間々あることだが.....
しかしこの絵は丸い頭の人物の時代と,ラクダの時代は相当隔つし,当然画家は別人だ.単に描く壁が不足だったので重ね書きしたのでしょうか....
なおラクダそのものは顔の形,首の反り具合,脚の動きなど,躍動感に満ちいいと思う.ところで以前眺めたマンダゲリのラクダ絵では普通とは異なる斜対歩で描かれていたが,ここでは自然動作と同じ側対歩で描かれている.
も一つ謎めいた絵
前腕を両側に開いたポーズはこれまでも幾度となく眺めてきた.ただこの女性の場合上腕にアームバンドを付け,ワンピースのウエスト部や裾部に白い飾りを入れ,なかなかおしゃれだ.
それと女性の右側,あたかも現在の私達のドーム型テントのようなものは何なんでしょう?しかもその表面には異なるサイズの水玉模様が描かれているのも謎だ.はて何でしょう.
ウェイのキャンプサイトWay campsite
ビシャガラからウェイに向かう
ビシャガラの洞窟で絵を眺めた後はまたランクルで砂漠を駆けた.既に4時半くらいになり,影も長くなってきた.
一つの小村を過ぎる
既にこの辺りはウェイのエリアに入るのであろうか,小さな村を通過した.小さな村ではあるが,とにかく緑豊か,ナツメヤシの群生も見られる.住宅の壁に細長いミレット茎のようなものも立て掛けてある.相当立派な水源(泉か井戸)があるに違いなかろう.
ウェイのキャンプサイトに到着
緑豊かな村を過ぎ,少し進むとウェイのキャンプサイトがあった,というかそこに決めた.ニャラの前で,広い.暗くなる前に全ての荷を下ろしてもらって,ビール冷却,テント張りに取り掛かる.
陽の落ちる前にテント張り終える
陽の落ちる前にテント張り終えた.あと少しで陽は沈む.惜しいことに砂漠の夕日は空を真っ赤には染めない.モヤのためであろうか.
さて今のうちに,夜中手洗いに行き,そこから戻るときのルートを頭に入れておかねば.....何しろヘッドランプの照射範囲は狭いから,ニャラとか照らしだすことは叶わず,月明かりでその輪郭を目安に,そして自分のテント位置を確認して戻るのだ.以前と違ってたまに間違えたり,間違えそうになることが増えた(自分比).