チャドへfly to Chad

このチャドへ編では,2019年1月27日成田へ行き,先ずソウル経由でアディスアベバ(エチオピア)へ飛び,ここで乗り換えてチャドの首都ンジャメナへと飛び,ンジャメナで一泊したときの写真を載せました.

チャドへのフライト略図(Googleマップのスクリーンショット)Flight map to Chad

チャドへのフライト略図(Googleマップのスクリーンショット)

成田1からソウル2を経由しアディスアベバ3に飛び,次いで乗り換えてチャドの首都ンジャメナ4に行く.

成田へgo to Narita airport

青い京成電車

青い京成電車

この日の成田出発は夜で遅いので十分ゆったり押上から京成アクセス特急で行ける.押上駅ホームで待っているとこれまで見たことのないブルーの車体に2.17ウィーン線就航と記されている.どうやらANAが新たに就航したウィーン線広告ラッピング車両のようだ.ウィーン線というと上から下まで真っ赤っ赤CAのオーストリア航空を思い浮かべるが,これに比べANAブルーはシックだ.

同便は週7日運行で,ウイーンから欧州他都市への接続利便性も高いらしい.


エチオピア航空ET673便にチェックイン

エチオピア航空ET673便にチェックイン

さて成田空港第1ターミナル南ウイングに到着し,JALABCで前々日(人手不足のためかそれまで可能だった前日は不可だった)運んでもらったダッフルバッグを受け取り,添乗Uさん指定の場所に行く.そして旅行保険や参加者名簿,燃油サーチャージの値下がり分....など受け取る.

今回の参加者は9人(f6,m3)ということだ.皆さん,Uさんよろしく願います.

そしてエチオピア航空カウンタに行く.今回は私を含め3人はエコノミークラスで,他の6人はビジネスクラスだそうだ.逆の比率なら普通だが,皆さん余裕がありますね.

ET673便機材はB787(シートマップは3ー3ー3)で,通路脇23Dが確保できた.またエチオピア航空はスターアライアンスの一員なのでANAマイレージに加算してくれた.


ET673便搭乗ゲートへ

ET673便搭乗ゲートへ

搭乗ゲートに行き窓を眺めているとET673便B787が横付けされ,ブリッジが繋げられた.白い機体にEthiopianの大きな文字が記されている.

ET673便の搭乗は概ね時間どおりで,先ずは順調にスタートした.


ソウル経由viaSeoul

初めて見るエチオピア文字

初めて見るエチオピア文字

搭乗したET673便で安全放送が始まった.手荷物は上の棚か,前部シート下に....の説明はエチオピア語でも行われるのだが,このとき音声と同時に流れる字幕はエチオピアの文字なのだそうだ.チェックインカウンターでもちらっと見かけたが,私には初めての文字でちょっと驚いた.機内誌の一部もその文字で記されている.

この文字の元はセム語派に属する古代エチオピア語に相当するゲエズ語(Ge'ez)を表記するためのゲエズ文字だそうである.エチオピア最古の文字資料は紀元前1000年以上遡るそうで,ゲエズ文字は古代南アラビア文字で記され,エチオピア文字(ゲエズ文字)はこの南アラビア文字から派生し,紀元後2世紀頃に生まれたとされるそうだ.2016年オマーンのホールルーリ遺跡を訪れたとき,南アラビア文字の碑文を見たことがあったが,この字幕のエチオピア文字とは全く異なるように見える.

紀元後2世紀頃のエチオピア文字はフェニキア文字やアラビア文字などと同様子音のみであったが,4世紀半ばに7つ母音表記が導入され,26子音✕7母音+α(=182+20文字)から成る音節文字体系ができたということだ.あいうえおかき.....の日本語かな文字体系と同じ体系であろうが,子音,母音ともに多いのでなかなか難しいであろう.

なお話し言葉はゲエズ語から現代エチオピア語に変わってきたが,文字は継続的に用いられてきたようだ.


ET673便の夕食

ET673便の夕食

安全放送が終わり,滑走で加速し,離陸し上昇を継続し,やがて水平飛行に移行した.そして直ぐさま夕食を配ってくれた.ビーフシチューのようなものだったかな~?いずれにしてもワインを添えて頂けるのがありがたい.


ソウル仁川国際空港に到着

ソウル仁川国際空港に到着

ET673便はソウル仁川国際空港に到着した.手荷物を持って,従って一々安全検査等を通るので面倒だ.私は初めてなので,まあこんなものか程度であるが,度々アフリカも訪れるという同行Kさんは,このフライトを用いないで似たようなツアーがあれば,絶対にそちらを選ぶ,と言っていた.

成田/ソウル間の料金を安く設定し,またソウル/アジスアベバ間の需要もあるのでエチオピア航空としてはこれが効率的なのであろう.


アディスアベバへfly to Addis Ababa

ソウル仁川国際空港再搭乗ゲート

ソウル仁川国際空港再搭乗ゲート

さて仁川国際空港で再搭乗ゲートの列に並んだ.既に真夜中過ぎであるし,確かに煩わしい.

仁川国際空港も韓,英の他に日,中(簡体)語でも記している.


ET673便の夜食

ET673便の夜食

さてET673便は再出発した.そして夜食を出してもらった.3つ上の成田出発後のメニューと殆ど同じで,ビーフが魚に変わった(選択した)程度だ.でもこうして出してもらえるのはありがたい.しかもワイン付きだ.多分これはソウルで積み込んだのではなく,成田で用意された食事ではないかな~でもKFCとかマックのように全世界レベルでほぼ同じものを提供することが可能な時代だから....ソウル製かな....


ET673便はアデン湾辺りに至る

ET673便はアデン湾辺りに至る

夜食後しばし寝て目覚めフライトマップを眺めると,機はアデン湾の辺りを飛行中のようだ.CAが飲み物を配ってくれているようなので水をもらう.

エチオピア航空は私にとって初めてだが,他社とかなり違うように感じられた.エコノミークラスに限定されることなのかも知れないが,CAは女性のみで男性は全く居ない.そしてCAは多分エチオピア国民に限られている(これは単に推定だが).少なくとも欧州系やアジア系の顔立ちの人は見かけない.まあ,ANAやJALも大半は日本人であるから全く不自然ではなかろう.


ET673便の朝食

ET673便の朝食

アデン湾を越え,アフリカ大陸に入ったころであろうか,今度は朝食を出してもらった.オムレツにクロワッサンのようだった.もちろん量的には十分過ぎるが,多い分には何ら問題なかろう.


肘掛けのリモコン

肘掛けのリモコン

ET673便のモニターはタッチパネルなのだがあまり感度が良くない.それを補うためかリモコンが付属しているのだが,これが肘掛けに上向きで収納されている.と云うことで肘を置いたとき不意にボタンに触れて意図せぬ設定操作が実行される.デザインレビューとかやらなかったのかな....このUIは次のET939便も同じで,共通にすること自体はいいのだが....

まあ,暇なのでつい愚痴ってしまった.


アディスアベバに到着

アディスアベバに到着

さてET939便はアディスアベバに近づき,そして着陸した.一般にそうであるように離着陸時以外窓を覆い,そして照明を落としキャビン内は暗くしてある.着陸態勢に入る少し前に,それまで暗かった窓は明るくなった.窓はブラインドを開けたのではなく,どうやら液晶のようなデバイスが窓に組み込まれているようでジワ~と明るくなった.私は初めて見た仕掛けで驚いたが,同行の方に訊くと相当前から使われているという.いや~感心しました(←時代から取り残されている).

今ググってみると,こうした電子ブラインドは2枚の透明電極間にエレクトロクロミックジェルを満たし,電圧を変えることで光の透過度を変えるということだ.ボーイング787就航から既に7~8年経ち,またエレクトロクロミック表示デバイスは結構前から実用化されてましたね.


アディスアベバ空港に降り立つ

アディスアベバ空港に降り立つ

乗り継ぎのためアディスアベバ空港,正しくはボレ国際空港(Bole International Airport)に降り立つ.ボレはアディスアベバ南東の近郊の町の名だそうだ.標高2,334mということでエチオピアのアスリートは常時高地トレーニング環境で強い,というストーリーを思い浮かべる.

駐機するボデイには尽くEthiopianの大きな文字が記されている.エチオピア首都空港なので同国フラッグキャリア,エチオピア航空の本拠地だそうだ.

現在アフリカ大陸と日本を結ぶ直行(ソウル寄港)便は私達の乗って来たET939便と,エジプト航空の便の2本だけだそうだ.まあ,アフリカと日本の付き合いが深くないということだろう.多分アフリカ大陸/中国間は相当多いのではなかろうか.


ンジャメナへfly to N'Djamena

アディスアベバでンジャメナ行きET939便を待つ

アディスアベバでンジャメナ行きET939便を待つ

さてボレ国際空港に着くと,次のンジャメナ行きET939便のゲートに行き,待つ.ここは国際線専用の第2ターミナルで,3,800m滑走路と合わせ2003年竣工ということだ.

ここで待っているとイタリアからここに到着し,この先ンジャメナ行きET939便から私達に同行してくれるガイドEさんと一緒になる.Eさんは砂漠を巡る現地4WDドライバ兼ガイドTさん(仏語)の英語通訳で,それを添乗Uさんが日訳してくれることになる.よろしく願います.Eさんはベネチア住まいというので,最近たまに水が押し寄せることかありますね,と言ったら,『たまにではなく,しょっちゅうなのよ』とのことだ.

なお4WDドライバ兼現地ガイド(4人)は,Eさんの属するイタリアの旅行社のチャド現地法人の従業員に相当するということだ.


ンジャメナ行きET939便に搭乗

ンジャメナ行きET939便に搭乗

時間になりンジャメナ行きET939便(B767)に搭乗した.エコノミークラスのシートマップは2-3-2で,私は通路席が取れたが,仮にそうでないときも一人跨げば通路に出ることができるのでB767(3-3-3)より好ましい.

写真のようにオンデマンドの映画が多数用意されているが,日本映画が無かったり,途中キャビン放送で途切れたり....で,止めた.観る根性が足りなかった.


アディスアベバ上空

アディスアベバ上空

さて機はアディスアベバを離陸し,その上空になった.Cのシートから窓を眺めると,全般に茶色っぽい,(砂漠ではないが)砂漠っぽい光景が見える.アラブ服の男性がスマホで撮影していたので私も遠くからシャッターを押してみたが,ご覧の通り機内の明るさに露光が引っ張られ,アディスアベバの光景が白く飛んでしまった.


ET939便の食事

ET939便の食事

ET939便でもまた食事を出してくれた.前のET673便とほぼ同じパターンのようだ.メインは選択なので,この写真からするとマトンのシチューであろうか.ワインはエコノミークラスでは,写真のボトルに完全に規格化されているようだ.美味しかった.


ET939便はンジャメナに近づく

ET939便はンジャメナに近づく

さてアディスアベバを飛び立ったET939便はエチオピアを過ぎると,ちょうどスーダンと南スーダン国境辺りを通過し,中央アフリカ共和国北端を越え,チャド領内に入るとンジャメナに近づいてきた.


ンジャメナ上空になる

ンジャメナ上空になる

下降態勢がしばし続き,ンジャメナ市の上空になった.サヘル(Sahel)地帯に分類されるということだが,随分と砂漠っぽく見える.

見えてる大きな川はシャリ川(Chari River)で,対岸の向こう側はカメルーン共和国,つまりシャリ川は国境になっているということだ.

エンジンはGEのマークが付いてるが,B767はGEの2種,PW製1種の中から選ばれることが多いと書いてあった.音感に優れた人は音でエンジンの種類が判るそうで,それはすごいですね.


ET939便はンジャメナ空港に着陸

ンジャメナ空港に着陸

ET939便はンジャメナ国際空港に着陸した.よく晴れているが細かな砂塵のためか霞みがちであるように見える.同空港は軍の所有(つまり軍用機も使う)の国際空港で,本エチオピア航空など数社の外国エアラインが乗り入れ,またチャドのトウマイエアチャド(Toumai Air Tchad)社の本拠地であるそうだ.ただトウマイ社の乗り入れ先を見るとあまり聞いたことのないような都市で,規模としては小さいようだ.


ンジャメナ空港ではポーターが運んでくれた

ンジャメナ空港ではポーターが運んでくれた

ンジャメナ空港でビザ取得を含む入国手続きを行う.しかしビザは容易には発行してくれない模様で,私達は空港を出てホテルに向かうことになった.つまりビザが取れてないのに入国できるのだ.....?不思議だが,空港で足止めされるより余程良いので,私達にはありがたい(?)

ということで私達はマイクロバスに乗り込み,写真黄色いユニフォームのポーターが荷物を運び入れてくれた.


ンジャメナ国際空港を離れる

ンジャメナ国際空港を離れる

マイクロバスはンジャメナ国際空港を離れる.空港の看板を見るとN'Djamena International Airportではなく,ハッサン何じゃらの名が加えられてる.こちらが正式名であるのか?

周りの庭木はよく手入れされていてきれいだ.


ンジャメナで一泊stay overnight at the N'Djamena hotel

動物のモニュメントのある広場通過

動物のモニュメントのある広場通過

多分この辺りは都心近くと思われる.緑を周囲に動物のモニュメントを据えたロータリーを通過した.動物は長年の内戦時の兵士や,対リビア戦でやって来たリビア兵に捕獲され,激減し,現在は捕獲禁止,保護されているという小型のドルカスガゼル(Dorkaz Gazel)であろうか.ガゼルはイスラムのチャド北部住民の多く,そしてリビア人にとってハラール(halal)な食材で,どんどん標的にされたそうだ.その点ダチョウも同様だったが,ジャッカルやハイエナは非ハラール(non halal/haram)なため,こうした難から逃れられたそうだ.

写真左はトヨタ4WDピックアップで今も多用されているが,1987年南下してきたリビア軍に対し,このタイプのトヨタ車荷台に機関銃を据えたチャド政府軍が攻撃し,勝利したそうだ.リビア軍は戦車や重装甲車で攻めてきたがトヨタ4WDの機動力が勝ったそうである.コーラの戦い(Battle of Kora)と呼ばれるが俗にトヨタ 戦争とも言われるそうだ.この戦争の是非については私には判らないが,トヨタ4WD(ランドクルーザー)の評価は世界的に名高いのは確かだ.


ンジャメナ道端の露店

ンジャメナ道端の露店

ロータリーからホテルに続く道に入った.道端にはちょっとした雑貨や衣類を並べた小さな露店が点々と並んでいる.商品の品数に比べて,売り子の数が多い.統計上の就業率に比べると生産性がかなり低くなるであろう,とチャド経済の一端を垣間見る気がした.


あっという間にホテルに到着

あっという間にホテルに到着

空港からはあっという間にイリソールホテルに到着した.ホテルゲートには忍者の武器撒き菱と同じ機能で,対車両用に大きくしたもの....名称知らず,や鉄扉を備え,武装したセキュリテイガードが固めている.

建物はいくつかの棟から成り,各棟入り口にはガードが居り金属探知機で一人ひとりチェックしている.ということでかなり物騒なお国柄であると感じられた.


イリソールホテルにチェックイン

イリソールホテルにチェックイン

添乗Uさん,ガイドEさんがイリソールホテルにチェックインしてくれた.パスポートは空港のイミグレーションオフィスに預けられているので,所定事項記したリストを提示したようだ.

私達の泊まるこの棟は比較的新しいようだ.ただ事前に知らされていたマラリア感染源の蚊はいる可能性があるそうで,これには要警戒だ.


イリソールホテルの部屋

イリソールホテルの部屋

キーをもらい部屋に入った.イリソールホテルは以前ibisの経営だったそうだが,確かにコンパクトな調度品でまとめられた部屋だ.十分クリーンだ.

空港が近いのでジェットエンジンの音が聞こえるときがあるが,たまに鋭い金属音のような大音響の場合もある.戦闘機ではなかろうか.前述のようにンジャメナ国際空港は軍の所有ということだから,使用優先権は軍にあるのだろう.


イリソールホテル庭のパパイヤ

イリソールホテル庭のパパイヤ

イリソールホテルは随分と広い庭や スイミングプールを有している.樹木は豊かで,温かい国らしくパパイヤも茂っている.花もブーゲンビリアやハイビスカスが鮮やかに咲いている.


ホテルの3階から眺めた表の通り

ホテルの3階から眺めた表の通り

一度例のホテルゲートから表に出てみたが,路上の人から監視されている空気があり,短時間で引き上げた.

そして安心なホテル3階の通路からゆっくり通りを眺めてみた.交通量は比較的空いており,バイクの割合が結構高い.自転車も稀に通る.ときに女性が頭に荷を載せて,手を添えることなくスタスタ歩く姿も見える.

この写真では外れたが,右手にちょっと汚れた漢字看板の中華レストランと思しき建物がある.中国のアフリカ進出具合いの一端を見る思いがした.


通りの反対側シャリ川(Chari River)で,対岸はカメルーン共和国

通りの反対側シャリ川で,対岸はカメルーン共和国

同行のMさんは表に出て,シャリ川(Chari River)辺りまで散歩してきたという.そして警官に川の写真を撮ったという廉で,罰金,いや賄賂を要求され,支払ったそうだ.そのMさんが,建物の向こうに行けばシャリ川が良く見えますよと,教えてくれたので行ってみる.さっきの表通りとは反対になる.

3階から眺めると所々枯れながらもブーゲンビリアで囲われた芝生庭の先に空色のホテル塀があり,その先にシャリ川(Chari River)が見える.シャリ川は中央アフリカ共和国北部に源を発する複数の川がチャドとの国境付近で合流した川で,以降カメルーンとの国境の一部を形成してチャド湖に注ぐ,ということだ.つまり対岸はカメルーン共和国ということになる.全長約949kmと長く,今でも十分大きく見えるが,8~12月の豊水期には場所(も少し下流か?)によっては幅9km余の大河になるそうだ.9kmとはすごいですね~

私達は残念ながら訪れないが,上述のチャド湖は流出がなく,流入一方であるが,その9割はこのシャリ川で賄われるという.チャドの多くの都市,人口はこの川沿いに集中し,またシャリ川での漁業はこの流域の産業を支えているということだ.


ホテルレストランで夕食

ホテルレストランで夕食

ホテルの庭の一画にオープンカフェタイプのレストランがあり,そこで夕食を頂く.蚊がいる可能性があるので,持参した電動蚊取りを腰に下げていった.私は初めて使ったのだが,単3乾電池2本で,固形薬剤加熱ヒーターと小型ファンが組み込まれ,結構使用可能時間が長く便利だ.

蚊が媒介するというマラリアに関しては旅行社から色々な資料を頂き,その予防薬や治療が大変なことを知らされていた.そして蚊取りが最も簡単でその割に効果大なのかと思ってたわけだ.その点黄熱病は大分前に受けた一回の注射の証明書,イエローカードがず~っと有効,今回もそれでパスとなって簡単だ.

写真は前菜のサラダであるが,次いで予め選択していたビーフは串焼きの形で出してくれた.ただミディアムレアでとお願いしていたがしっかり焼かれていた.どうやら焼き方はウエルダン以外受け付けないのであろう.

チャドはイスラムの人が多いので,アルコールはないレストランが多いそうだが,幸いここは出してくれたのが嬉しい.ビールは普通に美味しい.2本10ユーロで支払うことができた.

明日からはレストランはないし,お店でもビールを置いてないことが多いそうだ.そこでテント泊の間はここ首都で買っておいて,車に積んでいくことになった.で,添乗Uさんが皆のオーダーを取り,お店を訪ねたがオーダーした本数は調達できず,その内のほんの少しだけ買うことができたそうだ.明日以降経路途中で購入可能なお店を探してくれるという.すみませんよろしくお願いいたします.ちなみに私は13泊分の13本お願いしたが,多くの人もそんなだったと思う.

いずれにしても首都のお店でもビール入手がままならないなんて.....イスラム色が強いことが実感できた.