テルケイTerkey

このテルケイ編では,2019年2月1日カライ郊外のキャンプサイトで朝を迎え,朝食後カライのスークを訪ね,エネディー山地南を訪ね岩絵を観て,同所で昼食を頂く.その後エネディー山地岩山西の砂漠を走りリビア戦跡地に至り戦車の残骸を見,次いでニャラデシゲオの砂山に来て上り,その後テルケルの東になるというこの日のテント場まで辿ったときの写真を載せました.

テルケイ付近のマップmap around Terkey

テルケイ付近のマップ(Googleマップのスクリーンショット)

この日はカライ近くのキャンプサイト7からカライスークに行き,水や食料を調達,ガソリン補給し,北のエネディー山地の岩山に行き,古代の岩絵を見る.午後はリビア戦争の痕跡を見て.この日のキャンプサイト8に到着した.

別窓で大きなチャド付近Googleマップを開く

キャンプサイトの朝in the morning at the campsite

カライ郊外キャンプ撤収

カライ郊外キャンプ撤収

3月1日もいい天気で明けた.テントを畳み,朝食を頂き,荷物をランクルに詰め込む.そして出発した.


この辺りに道はない,いやどこも道だ

この辺りに道はない,いやどこも道だ

この辺りにちゃんとした道はない,いや逆にどこも道だと言ってもいいかも知れない.

そしてそのような道を暫く行くと,先方にカライの町が見えてきた.


カライのスークvisit the Kalait Souq

カライのスークに到着

カライのスークに到着

程なくカライのスークに到着した.大通りの両側にショップが並んでいる.路地や脇道,いや空き地にも露店が出ている.

通りには歩行者,バイクや車,ロバなどでの買い物客,輸送業者が見える.ありがたいことにこのスークではアベシェのスークと違って写真が撮れるという.チャド基準ではとてもいいところだと思う.


先ずは炊事用水の供給

先ずは炊事用水の供給

通りの外れにロバに水を載せた水売りがいたので,スタッフの皆さんが大きなポリタンク数個に水を買う.主に食材や食器洗い,洗面などに使うためだ.

ロバは荷が減ったので大分楽になったと思う.

なお私達の飲料用には普通のペットボトル入りミネラルウォーターをお店で買う.


穀類やオイル,雑貨のお店

穀類やオイル,雑貨のお店

このお店は小麦や雑穀粉類,オイル,デーツなどの乾物,ヤカンやボウルなど雑貨....と手広く販売しているようだ.

左手前のストライプ入り,右側パープルのヤカンはプラスチック製で軽く,スタッフの皆さんがお祈り前のお清めで手を洗う場面などでよく使っている.砂漠の旅向きなのだ.


カライスークの肉屋さん

肉屋さん

大きな肉の塊を吊り下げて販売している.客の注文に応じて切り分けてくれるのであろう.こうした販売スタイルは暑いのに平気か?と思うが,中東や中央アジアなどやはり比較的暑い国でも見られるから大丈夫なのでしょう.


カライスークの八百屋さん

八百屋さん

トマトやきゅうり,じゃがいも,玉子...など扱っている.トマトやきゅうりなどやはりオアシスのあるところで栽培されているのでしょうね.それにニワトリはあまり見かけないが,玉子があるということはやはり家の庭かどこかで飼育されているのでしょうね.

いずれにしても店主,買い物客,皆さん華やかな装いですね.


カライスークのホームセンター

ホームセンター

こちらのお店は金属ヤカン,プラ容器,ソーラーパネル,airtel,tiGOのケータイなど扱っているようだ.特にソーラーパネルは遊牧民の住宅に電気は来ていないので,重要なアイテムであろう.写真では分からないがバッテリーも扱っているのではなかろうか.

なおここは長屋形式のしっかりした構造(コンクリートで鉄扉付き)であるが,その軒先に筵(むしろ)屋根を張り,明るく涼しいためか,主にそこに商品を並べ商売している.またホームセンター奥隣は洋服屋さんだ.


デーツと歯ブラシ

デーツと歯ブラシ

あるお店の店頭だ.奥は普通のデーツ(dates)で,一般に乾燥度に応じてソフト,セミドライ,ドライに分類されるが,チャドでは専ら硬いドライで食されるという.トゥブ族の皆さんはこの実を砕いて他の材料とミックスしたお菓子などにも用いるそうだ.

手前の棒きれは,な,何と歯ブラシだそうだ.ラクダ用ではなく,人用という.どのように使うのか見当つかなかったが......端の方を噛んでいると,木が繊維状に解けて,ブラシのようになるのだそうだ.驚きました.


手動式ガソリンスタンド

手動式ガソリンスタンド

最後はガソリン補給だ.ドラム缶に小型流体ポンプ入出口それぞれにホースを繋げ,ホースの一方をドラム缶に差し込み,他方を車の給油口に挿したジョウロに注ぐ.ポンプは写真中央の白いバッテリーに繋ぎ回している.二人掛かりで大変だが,本格的なGSを作るには需要が多くないのであろう.

ただ最初ホース内は空なのでポンプを回してもガソリンは上がって来ない.そこで左の青年が初めに呼び水(ガソリン)のため口で吸い上げる.時どき口にガソリンが入るだろう,気をつけてね.


エネディー山地南の岩絵rock Art at the South Ennedi

再び砂漠へ

再び砂漠へ

エネディー山地を目指し,再び砂漠を走った.先行車両の巻き上げる砂塵をいかに避けるかがドライバーの腕の見せどころだが,今乗っている4号車Usさんはかなり巧みに操縦してくれる.


エネディー山地への途中でブレイク

途中でブレイク

後ろドアを開けて,お茶やコーヒーを並べてくれた.右側ストライプのあるベージュ袋には球形の胡麻菓子(セサミボール)が入っていて,頂いた.表面だけ胡麻とかでなく,全部胡麻で,香ばしくて美味しい.スーパーとかでは売ってないそうで,お土産用に後でシェフUgさんがオーダーを取って,特別ルートで仕入れてもらうことになった.

なお帰る日にスーパーに立ち寄ったが,予め言われていたとおり,菓子類を含め,殆どの商品は輸入品のようで,こういった胡麻菓子は扱ってなかった.


エネディー山地から流れ出るワディ周囲

エネディー山地から流れ出るワディ周囲

今は乾季なので完全に干上がっているが,雨季にはエネディー山地から流れ出る多数の川(今はワディ)があるそうだ.この緑の原はそうしたワディの周辺で,地下水脈として残っており,それがこうした灌木やそれなりに大きい木を今も育てているということらしい.


エネディー山地に近づいた

エネディー山地に近づいた

これまでも疎らに山を見てきたが,この辺りから山が密になってきたのでエネディー山地本体に近づいたのであろう.エネディー山地の山は全て堆積岩の一種砂岩でできているそうだ.岩石については夕食時ガイドEさんのレクチャーが幾度かあった.

中央の山はテーブル状であるが,添乗Uさんの解説では侵食されてできた堆積岩の台地はタッシリ(Tassili)と呼ばれるのだそうだ.であれば,はてこのテーブル状山はそれに該当しようか?サイズは小さいが多分その一種であろう.


岩絵のある岩山に着く

岩絵のある岩山に着く

私達の車は,うまい具合に逆U字型大きなトンネルのある岩山に着いた.岩山は堆積岩なので,堆積された層の中で風雨で侵食されやすい層から欠落が進行し,いわゆる奇岩状の山ができ,そこに穴やトンネルを穿つことで今の姿になったそうだ.(←E先生のレクチャーでベーシックな部分.詳細は難解で理解できず)


岩の凹んだ部分に多く残る岩絵

岩の凹んだ部分に多く残る岩絵

岩の凹んだ部分はやはり強い風雨が避けられるので多くの岩絵が残されている.この場所は多数の跳躍する馬や牛の絵が描かれている.こうして一箇所に多数描かれていることに驚いた.

しかも皆同じ時代に描かれたのではなく,1000年単位で異なる時を経て描かれているという.これまたビックリした.どうしてか....解説があったように思うが,思い出せない.

なおエネディ山地は1916年世界遺産ロゴ世界遺産(複合遺産)に登録されている.


チャドの岩絵の歴史

チャドの岩絵の歴史

主に添乗Uさんに頂いた資料およびEさんの解説を年表形式にしてみた.記憶が曖昧な部分が多いので,あまり正確ではないと思うが,まあ,いいことにしよう.

岩絵は紀元前9,000年前というかなり古い時代のものから始まり,モチーフが時代に連れ左図のように変化していったようだ.上述の如く,面白いことに数千年も異なる時代の絵(モチーフ)が同じ岩場のカンバスに描かれていることだ.また描いた絵の具も色付き石を砕いたものが多く,私はあまり見かけられなかったが岩を彫って線刻画としたものもあるようだ.線刻画はエネディー山地東側に多いのだそうだが,私達は残念ながら訪れない.


エネディー山地南の丸い頭の人々の岩絵

丸い頭の人々

丸い頭の人々は6,000BC~4,000BCという大変古い時代,日本では縄文時代のころ描かれたようだ.

スリムな身体にまん丸の頭,しかもその周囲に光背というか後光のようなリング状白い点々が印象的だ.それと両端人物の上半身には紡錘型の白い模様が描かれているが,これはタトゥーであろうか....

また左から2人目の人は,左手(絵で右側)に弓,右手にナイフを持っているように見える.何だろう?


エネディー山地南の牛と3人の女性岩絵

牛と3人の女性

牛が家畜化されたのは4,000BC~2,000BC頃で,日本では縄文後期の時代であろうか.牛の特徴的姿が上手く表現されている.それに現代チャドの長い角の牛は既にこの時代に存在したようで,面白い.

3人の女性は上の丸い頭の人々とは全く異なり,小さな顔に大きなヘアスタイル若しくは帽子,スリムな身体にフリルの付いたロングスカートなど,なかなか印象的だ.


エネディー山地南の雌牛の岩絵

雌牛の絵

牛を家畜化したとき,ミルク採取も始めていたのでしょう.大きなお腹に乳搾り可能な乳首が描かれている.一方角は上と比べて控え目だ.


エネディー山地南の馬上の戦士岩絵

馬上の戦士

さて時代は下り1,600BC頃になると,先ずシリア,パレスチナ地方に起源するヒクソス人(Hyksos)が馬と共に古代エジプトに入り,それが当時まだ湿潤だったサハラを南下し,やがて1,200BC頃になるとこのチャド辺りまでやって来たという.日本では弥生時代の頃であろうか.

馬は戦争や狩りには強力な役割を果たすので大いに活用されたようだ.この岩絵は槍を持つ馬上の戦士ではないかと思われる.当時の馬はどさん子のように太めの脚だったようだ.


エネディー山地南の岩絵,馬がラクダに換わる

馬がラクダに換わる

馬は大活躍したが,サハラの乾燥化が進行し,やがて200BC頃になると馬はラクダに置き換えられていったそうだ.そこで岩絵にもラクダが登場するようになった.

右端がラクダで,白い胴体に茶色い縁取りがある.ラクダは大体白く描かれているそうだ.御者は冠であろうか,横に大きく張り出し,また大きなムチを持っているように見える.

大勢の男性がいて,中にはムチを携えている姿もある.左上にはスカート姿の女性も見える.はてこれは何の場面なのでしょうね.


エネディー山地南のここでランチ

ここでランチ

朝カライのスークで仕入れた野菜で作られたサラダなどだったようだ.

添乗Uさんの解説資料によれば,こうした岩絵は時代が下るに従って絵が稚拙になる地方も多いが,エネディー山地の岩絵は新しい時代の絵が表現豊かだということだ.またガイドEさんはチャドに幾度も来ているし,近々ナショナルジオグラフィック伊語版に記事が掲載されるという専門家で,同じように言っていたか....な.ナショナルジオグラフィック日本語版の日本版特有記事が,米版(全世界版)に掲載されないように,伊語版だけだそうで残念だ.

その出版打ち合わせで,私達の旅行完了と同時にローマに戻るが,滞在2日間でまた直ぐ,次の仕事でチャドに戻るそうだ.


エネディー山地南の彩色石のすり鉢

彩色石のすり鉢

浅いがきれいに凹面に彫られたすり鉢(または乳鉢)があった.これも砂岩でできているため後に侵食されたであろうアバタ状穴が幾つも開いている.


エネディー山地南のこちらは絵の具の元の石

こちらは絵の具の元の石

こちらは絵の具の元になった赤い石だ.酸化鉄が含まれているのでしょう.先ずこれを他の石で叩き,石の欠片や粉を作り,そして上のすり鉢に入れて細かくしたのでしょう.

そしてそこに何らかの粘結剤を混ぜて,よくすり込んで絵の具にしたのであろうが....さて粘結剤は何だったか?コメがあれば役立ったと思うが.....


リビア戦跡地visit the old Battlefield

トゥブ族の住宅

トゥブ族の住宅

エネディー山地南の岩絵見物を終えて,また砂漠を走った.砂漠の真ん中に筵壁と屋根の住宅が見えた.きっとトゥブ族の住宅でしょう

ところでこうした砂漠地帯の土地は国有で,私有は認められず,一般に定住民は借地契約で住んでいるそうだ.ただそれではトゥブ族やアラブチャド族など広い範囲移動する人たちは広すぎてそうした契約は不可能だ.そこで遊牧民全てには特別土地使用権が無料で付与されているということだ.まあそれが無難な解でしょうね.


ラクダはゆっくり散歩中

ラクダはゆっくり散歩中

先程の住宅に住む人のラクダであろうか,ゆっくり散歩中だ.草があれば食べるのであろうが,あまり生えてないので食べられない.ラクダはウシ目,つまり牛と同じように反芻するので,午前食べたものを噛み直しているのかも知れない.

それにラクダは水を一度に80リットル摂取でき,背中のコブに脂肪を蓄え,水や食料を摂らず長期間生活可能という.偉い!サハラが砂漠化した後ラクダが家畜の主役になったのが理解できます.


リビア戦車の残骸

リビア戦車の残骸

そのうち戦車の残骸が見えた.1978~1987年対リビア戦争で,攻め込んできたリビア戦車だという.

リビア軍がウラン鉱脈をはじめとする地下資源の支配を巡ってチャドのアオゾウ地帯に侵攻したのが始まりだそうで,リビア軍はこうした戦車や装甲車で攻め込んできたそうだ.

ただチャド軍はトヨタ4WDピックアップの銃器搭載改造車で対抗し,この抜群の機動力でリビア軍を敗退させたということだ.前にも述べたがこれはトヨタ戦争とも称せられるそうだ.


ニャラデシゲオNyara de Sigeo(?)

ニャラデシゲオに上る

ニャラデシゲオに上る

ニャラ(Nyara?)は侵食された堆積岩の奇岩のことだそうで,シゲオ(Sigeo?)は茂男,重雄とか同じように固有名詞,ただローカルな地名のようだ.つまりシゲオ岩に上ることになった.

でも実際は周囲にニャラがいっぱいある砂山に上ることになった.あ~岩山でなくて良かった.

それにしてもニャラだらけでなかなか見応えがある.


ニャラデシゲオで針のある質悪い草

針のある質悪い草

ニャラデシゲオには幾つかの草があり,一つは低い丈だが針のあるとっても質が悪い草(名前は失念)で,触れると小さな針が刺さり大変という.

も一つは写真の引き抜いてくれた草で,砂に生え生活するため根がとっても深く潜り込んでいるそうだ.こちらはトゲの心配なし.


ニャラデシゲオ砂山頂上の風紋もきれいだ

砂山頂上の風紋もきれいだ

砂山頂上に出た.いろいろニャラが並んでいる.また風紋もきれいだ.陽の位置が低くなり,紋の陰影がはっきりしてきたのだ.


ニャラデシゲオ下ると子どもたちが来ていた

下ると子どもたちが来ていた

砂山を下ると,駐車した脇に子どもたちが来ていた.近くに家は見えないし,私達の走る車を見つけて,風の如く駆けて来たのだろうか.

何かよく分からないがEさんが買ってあげていたようだ


ニャラデシゲオの観音さまかマリアさまか

観音さまかマリアさまか

駐車した場所もまたニャラだらけだ.右端の小型ニャラシルエットは観音さま(観音菩薩),いやマリアさま(聖母マリア)か,のように見える.日本人だからかな~


この日のテント場arrive at a campsite

この日のテント場東に向かう

東に向かう

ニャラデシゲオの砂山上りが終わり,今夜のテント場目指し東のキャンプサイトに向かった.途中なかなか豪快な奇岩が見えた.

手前のラクダが草を積んでいるように見えたが,たまたま背後に灌木が生えていただけのようだ.この辺のラクダはあまり働かなくて良さそうで,きっと楽だ.


またトゥブ族の住宅でしょうか

またトゥブ族の住宅でしょうか

またトゥブ族の住宅でしょうか,さっきと同じスタイルの住宅があった.ただし屋根には複数のベルトが掛けられている.地形の関係で風の強いエリアなのでしょうか.

実は私達のテント場は,この日まで,そしてこの先しばらく問題無かったのだが,最後の3日間は強風で砂だらけになり,大変だった.


この日のキャンプサイトに着き,テント張り完了

この日のキャンプサイトに着き,テント張り完了

テルケイの東になると云うこの日のキャンプサイトに着いた.先ずはビール冷やしを行い,そしてテント張りを行い完了.結構日が落ちて暗くなった.さて今日の夕食は何かな~