ンジャメナに戻るback to N'Djamena
このンジャメナに戻る編では,2019年2月11日モソロ南のキャンプサイトで朝を迎え,農園を訪問し,舗装道路の始まるマサコリに出て,最後のピクニックランチを頂戴し,首都ンジャメナへ戻りホテルに落ち着く.そして夜になり外のレストランで最後の夕食を頂いたときの写真を載せました.
ンジャメナに戻る付近のマップmap around backNDjamena
モソロ~マサコリ~ンジャメナはこの辺りに位置している.
別窓で大きなチャド付近Googleマップを開くモソロ南の朝morning at south of Moussoro
モソロ南に朝が来た
モソロ南のキャンプサイトに朝が来た.いや~ひどい一晩だったが,砂嵐はかなり収まったようだ.
朝食を頂き,暇ができた.2,3の人が近くに散歩に出たが戻ってこない.ランクルが捜査に出て,見つかったようだ.幾らか高低があり,所々樹木の生えた単純な地形なのだが,どこを見渡しても同じように見えて居場所を見失ったようだ.
そして一件落着し,ランクルはスタートした.
スーダン風家屋の集落
モソロから進むと屋根の角や縁に角を生やしたスーダン風(と聞いた)住宅が建つ集落があった.圧倒的に多い筵壁屋根住宅や藁(わら)葺き住宅と比べて非常に堅固な建物に見える.間違いなく定住部族であろうが,はて何という人々かな~
農園訪問visit a farm
農園訪問
シェフUgさんが普段から懇意にしているという農場を訪ね,今日で最後のピクニックランチ食材を買うという.私達もゾロゾロ入って見せてもらった.
農園は家畜等が入って来ないよう柵が巡らされ,木切れを編んだドアが付いている.脇には看板もあるが仏語のようで私には読めない.プロモート....?
結構広く,畦で区画されている
農園は結構広く,野菜の種類毎に畦で区画されている.また畦内部には幾筋もの畝が設けられ,必ずしも同じではない野菜も植えられているようだ.
一番手前はトマト畑だが,土は乾ききってひび割れている.水はポンプで地下水を汲み上げているのだが,多分トマトは常に水をやらないのがいいのでしょう.
奥の青々した野菜は(玉)ネギだったか?もちろん他にも色々な野菜があった.
野菜の花
ちょうど咲いていた野菜の花.きれいですね.オクラの花と似ているが,日本のオクラならピンクでなく薄黄色で,葉っぱも細長い.さて何だろう.
摘み取り出荷準備
このエリアはトマトで,赤くなったものから摘み取り,出荷準備に取り掛かろうとしているようだ.Ugさんも適当なものを摘み取り,持ち帰るところだ.
メロン畑で見ていたら一つ分けてもらった
メロン畑で,お~ここに大きなメロンが,あっ,あそこにも,と見ていたら,家族の一人が『一つ持って行け』と分けて下さった.ありがとうございます.ランチで切り分けてもらい皆で食べたら,美味しいとの評価だった.
別の家族も農園に向かう
農園から道に戻ると,別の家族も馬車で農園に向かうところだった.
この辺りは地下水脈があるし,土壌も畑に適しているのでしょうね.
マサコリMassakori
バオバブの木
農園を離れマサコリ方面に向かった.途中公園,いや空き地か,にたった一本のバオバブの木があった.極端に太っちょではないがやはり特異な形態だ.それにしてもたった一本でよく生えたものですね.
それに,周囲にはナツメヤシやアカシアなど大きな木が多く見える.明らかにサヘル(sahel)地帯に入ったようだ.
牛の大群が行く
大きな角の牛の大群が行く.サヘルは草が豊かなのでこうした大群を飼育することができるのでしょう.
これまで過ごしてきたサハラでは牛がいないが,牛の岩絵が描かれた時代は水が豊かだったそうだから,このような牛の大群も見えたのでしょうね.
マサコリへの道標と舗装道路
そのうちマサコリ(Massakori)への道標が見えた.そしてマサコリ辺りからは舗装道路が始まる.これで砂嵐に遭ってもへっちゃらになろう.
過積載の小型トラック
ものすごく過積載のトラックだ.上の人よく怖くないですね.このレベルになるとパキスタンやネパールのレベルを超える.まあ,脇が崖でなく,平地なので大丈夫ということかな.
女性のロバ隊が行く
ロバに乗っているのは女性が多い.そして隊列を組んだロバ隊が行く.お使いでしょうか,水汲みでしょうか.
庇付き藁屋根の家
この辺りの家は円筒状日干しレンガにコーン型藁屋根の基本構造は他と似ている.ただコーン最下部は2段になっており庇の機能を持たせているようだ.雨季の対策でしょうか.
ラクダの大群も行く
サハラでももちろんラクダはあちこちで見かけたが,このような大群ではなかったと思う.やはりサヘルでは豊富な飼料が確保できるのでしょうね.
2本ミナレットの大きなモスク
さすがマサコリは大きな町で,人口も多いのであろう,2本ミナレットの大きなモスクが建てられている.落ち着いた色使いだと思う.
マサコリの町
マサコリの町に入った.ここは目貫通りの一画だ.写真はバイク屋さんの前で,タイヤなど各種部品など揃えているようだ.
ここでいろいろ装備することで月光仮面コスプレもサマになろうと云うものだ.
ヤギの丸ごとBBQ
街道筋でしばしばヤギの開きを見かけたが,あれを丸ごとBBQしている.豪快だ.しかしこの写真を撮ったら非常に怒られた.ただデリートしろとまでは言われなかったので,このショットが残っていた.
最後のピクニックランチpicnic lunch
結構小さいときからスカーフ
まだ小学生くらいだと思うが,スカーフを着けてますね.ただスカーフを含めて大変カラフルな装束であるのがこの辺りのイスラムの特徴ですね.
子供に関する看板
仏語で解らないが子供に関する看板があった.左スカーフの子はイスラムで,右はスカーフなしなので非イスラムのようだ.スカーフの子も前腕や足首は露出しているので,ドレスコードは中東辺りより緩いのであろうか.
ヤギもいる木立の空き地
私達の車はヤギもいて立派な木立の空き地に来て停車した.ここでシェフUgさんが作ってくれる最後の食事を頂くためだ.
最後のピクニックランチ
いつものようにシートを敷き,周りにマットを置いて.そこに座った.こうして眺めると最後のピクニックランチは先程仕入れたトマトに混ぜご飯,いやブルーチーズかな?他にもいろいろ順次出してもらったと思う.フリーでゲットしたメロンもあった.
Ugさん,皆さんごちそうさまでした.
Eさん所属伊旅行社のグループと一緒になる
ガイドEさん所属のイタリアの旅行社,そのチャド現地法人主催グループ一行が現れた.やはりここで食事するということだ.グループメンバーは私達より少し多く,伊,仏,オランダ....など欧州だけでなく,わざわざニュージーランドからの参加者などもいるそうだ.まあ,レアなツアーなのでそうなるらしい.
コースは私達と同じようなものだが,反対向きだそうだ.ただし軍の指示次第な面があるのは経験済で,気は抜けないでしょう.
実際私たちのツアーパンフレットではファヤ(Faya)も訪れる筈だったが,無しの結果に終わった.
お祈りは合同で
私達のリーダーTさん以下所属する現地法人は,上記欧州グループを案内する会社と同じだから,互いに顔見知りだ.そこで食後メッカに向かってのお祈りは2チーム合同で行っていた.皆さんとても敬虔です.
近所の子が集まってきた
男の子も女の子も,近所の子が集まってきた.普通あまり近くまでは寄らないのだが,この日は最後の食事が済んだので,残り物を分け与えたのだ.空腹なのかよく食べ上げてくれた.
クルーの皆さんがご挨拶
最後の食事が終わり,後はホテルまで運んでもらうだけになった.そこで皆さんが並んでお別れの挨拶を述べて下さった.皆いい人達で有意義な旅を味わうことができた,ありがとうございました.
ンジャメナへgo to N'Djamena
ンジャメナ街道途中のモスク
暫く走るとンジャメナへの街道に入った.往きでも通った街道だ.街道脇には小さなモスクが点在している.
このモスクは井戸も備えているようで,水汲む人の姿も見える.
こちらはバイカーの井戸端会議
バイカーが樹の下に集って井戸端会議,いや単に暇つぶし.....同じだが.
中国資本の精油所
南の油井から原油をパイプラインでこの精油所に送るようだ.消費の中心地で精油した方が効率がいいのでしょうか.やはり中国資本で建設されたそうだ.
ンジャメナに近づく
ンジャメナに近づいてきた.この辺りは舗装に穴がなく良好だ(も少し東では穴だらけ)
ンジャメナに入ってきた
首都ンジャメナに入ってきた.さすが街道脇の市場は賑わっている.
イリソールホテルに到着
ランクルはイリソールホテルに到着した.そして荷物を降ろし,スタッフの皆さんに御礼を述べ,お別れした.大変お世話になりました.ありがとうございました.
そして私達はレセプションで,宿泊シートを記入しチェックイン.キーをもらい,この部屋に落ち着いた.そして久しぶりに風呂に入る.砂嵐の痕跡は強く残り,バスタブに砂が溜まった.あ~さっぱりした.
最後の夕食last supper
イタリアンレストランへ
さて夜になり,タクシーで,ガイドEさん肝いりの紹介,イタリアンレストランへ行った.これがツアー最後の夕食となる.
レストランは比較的近くで,ホテル同様武装ガードが入り口を固めている.入って直ぐ近くに写真のバーがあり,また温かい地方なので庭にはテーブルが多数セット用意されている.ただ庭だとどうしても蚊がいるので,扇風機で強力に吹き付けてくれた.
食べたピザ
主に食べたのはピザだった.チーズが効いていて(当たり前か)美味しかった.量があったので,写真の通り残ったが,明日は移動日でちゃんとした食事はないかも....ということでドギーバッグに詰めてUさんが持ち帰って下さった.でも翌日は誰も覚えてなかったように思う.
なおビールやワインに制限がなく,あの砂漠の一日一本の厳しさを思い出しながら楽しめた.
ごちそうさまでした.