モイトMoyto

このモイト編では,2019年1月29日ンジャメナのイリソールホテルで朝を迎え,昼過ぎ4WDに分乗しンジャメナを発ち,しばらく走った後林でランチを食べ,再び街道を行き,モイト手前に達してキャンプしたときの写真を載せました.

モイト付近のGoogleマップ(静止マップ)map around Moyto

モイト付近のマップ(Googleマップのスクリーンショット)

この日はンジャメナ4を出てモイト5に行き,ここでキャンプ.

別窓で大きなチャド付近Googleマップを開く

ンジャメナの朝morning in N'Djamena

イリソールホテルで朝食

イリソールホテルで朝食

1月29日イリソールホテルで朝が明けた.結局昨日は夜まで待ってもビザは取れなかったそうで,今朝もイミグレ業務が開始されてその後になるので,出発はそれを待つことになった.

そしてゆったり一階のカフェ,バフェレストランに降り,朝食を頂いた.イスラム準拠なので普通のハムなどないが,ヨーグルト,パンやフルーツなど普通に美味しかった.旧宗主国フランスの名残りもいくらかあろうか.

wifiの電波は,部屋に戻ると弱いので,強度十分なこのレストラン横のレセプション辺りで繋げて一応メールやニュースを見てみる.この後2周間ほどはネットもテレビも無い世界に入るので暫し見納めだ.


部屋に戻りテレビを眺める

部屋に戻りテレビを眺める

ビザはまだまだ時間が掛かりそうだ.部屋に戻りテレビを点けてみる.殆ど解らないのだが,幸いCNNが映った.USがファーウェイの不正や営業機密を盗んだ廉で告発するようだ.カナダで同社副社長が拘束された事件と一連の絡みであろう.また下を見ると中国は明らかな報復措置として2人のカナダ人を逮捕したようだ.

添乗Uさんの解説によれば,中国の資源外交はここチャドでも大々的に繰り広げられ,ンジャメナ南のドバ油井で産する原油は,チャド政府と合同で建設し,2011から稼働した精油所で,ガソリンやディーゼルオイルの生産,販売が行われているそうだ.ドバから精油所まで300kmのパイプライン,また原油輸出(中国に)のためのドバからカメルーンクリビ港までの1070kmのパイプラインも建設したということだ.こうした建設には膨大な資金が投入された筈で,他国のケースではこうした借金のカタに丸ごと取り上げられてしまう事態も起こっていると聞くので......

またパイプラインを通してもらっているカメルーンとは良好な関係を維持するべく気を使うでしょうね....


ンジャメナを発つleave N'Djamena

昼過ぎンジャメナを出る

昼過ぎンジャメナを出る

結局ビザは正午まで待っても取得できなかった.そこでビザ無しでこの日の予定全行程は無理ながらとにかく行けるところまで行こうということになり,ランクルに分乗し,ホテルを後にした.

ランクルは4台で,先頭茶色い1号車は現地チーフガイド兼ドライバトゥブ族Tさん,添乗Uさん,イタリアンガイドEさん,シェフUgさん,アシスタントAsさん,2~4号車には各ドライバAdさん,Mさん,Usさんと私達ツアーメンバー3人づつが乗り込んだ.シートは毎日クジ引きで決めるそうだ.この日私は4号車であったかな.4号車Usさんのドライビングスキルは随一で,砂漠でスタックされることが少なく,また先行車の跳ね上げる砂埃を避けるため,真後ろから逸れてくれることが多い.そうした脇道(原)のルートファインディングスキルがすごいのだ.さらに故障修理技術もすごく,途中軍の故障車両修理を請われて助太刀したこともあった.

写真茶色のランクルが4台中の1台で,後部トランクに入りきれないもの,テントやマット,食料が屋根に積まれた.


月光仮面のおじさん風

月光仮面のおじさん風

子供の頃カッコ良かった月光仮面のおじさんスタイル,つまり白いターバンにサングラス,白い装束(これに白いマントもあったか?)で,バイクで駆ける,そんな人をよく見かける.ちなみに主題歌『どこの誰かは知らないけれど 誰もがみんな知っている 月光仮面のおじさんは正義の味方よよい人よ 疾風のように現れて.....』で,よく記憶に残っている.

この月光仮面のおじさんはスマホ操作のためにちゃんと停車しているのがエラい.まあ,とにかくこうした月光仮面風男性はチャドでは実によく見かけた.アラビアン衣装の男性がサングラスを掛け,バイクに跨るだけで自然そうなってしまうのだ.


簡素なモスクはあちこちに

簡素なモスクはあちこちに

まだンジャメナの範囲であろうが,道路沿いにモスクがあった.小さいがまだ比較的新しいようできれいで,ミナレットは結構高く建てられている.

チャドではイスラムが54%,カトリック20%,プロテスタント14%,他(アニミズムなど)12%ということ.ただ沿道で見た限りモスクは時々見かけるが,キリスト教会はあまり見ない.....単に気付かないだけかな....


チャド建材店

チャド建材店

チャドの少なくともンジャメナから北では,住宅の壁にはこうした植物を編んで筵(むしろ)状にした建材がよく用いられている.軽いので遊牧民の移動用住宅に適するのはもちろんであろうが,定住民の住宅にもよく使われている.

こうした素材はどこでも採れる訳ではなく,多分チャド湖(訪れないが)辺りの湿地帯のアシとかヨシとかいった類の植物ではなかろうか.そしてそうしたエリアで採取した素材を乾燥し,編んで販売しているのではなかろうかと想像する.


白い大型バイク

白い大型バイク

白バイであろうか?でも警官が乗っていたら写真は撮れない(警察,軍関係は厳禁).幸い無人なので撮った.月光仮面が乗っていたらぴったりなのだが....ちょっと残念.


定住部族の住宅

定住部族の住宅

チャド国民は200くらいの部族から成るそうであるが,この辺りは定住で牧畜といくらかの農業を生業とする部族,それと遊牧を主とする部族が多いようだ.今回私達の訪れない南の雨の多いエリアは農業が可能で,当然定住部族が多いそうである.

で,写真の丸い家は確か定住部族の住まいだったと思う.右側に家畜が見えている.これらの住宅は壁も屋根も,上述の建材店で並んでいたような筵状シートで造られているようだ.窓らしきものはほぼ皆無で,中はかなり暗そうだ.以前タンザニアでマサイ族の住宅に入れてもらったことがあったが,そのとき家の中は真っ暗であった.壁は牛糞セメントで塗り固められ,窓もないので一切光が無く,真っ暗だった.それに比べてこの部族の住宅壁は筵であるのでその草茎の隙間からいくらか漏れ来る光があり,ある程度明かりがあるものと思われる.


ラクダが多い

ラクダが多い

この辺りではラクダが多い.遊牧民だけでなく定住民の家畜としても多いようだ.やはり水が豊富とは言えない土地柄に合っているようだ.ラクダは輸送用,ミルク,食肉,毛など多用途に供されるようだ.ところでアフリカのラクダなのでヒトコブラクダであるのはもちろんである.


魚の露店

魚の露店

ちょっと意表を突かれたが,この婦人は魚を売っている.もちろん冷蔵庫はないし,氷に浸けているわけでもない.早く売らないと商品が傷みますね.少なくとも通って来たルートには川や湖は無かったような....まあ,どこかに淡水魚の棲む流れがあるのでしょう.

ところでその後ろの女性たちは何をしているのかな....?単にお喋り会かな....


林でランチlunch at a Wood

遊牧民のキャンプ地

遊牧民のキャンプ地

ンジャメナを過ぎて暫く行くと,先程の丸い家と違って四角形で屋根もビニールシートで覆われた家が並ぶ場所があった.建設/解体が容易そうに見えるが,遊牧民の住居で,アラブ系民族ということだ.つまり遠い先祖はエジプトとかリビア方面から移住して来た人たちらしい.もちろん今はチャド国人である.

なおチャドの民族は,最多のサラ族,次にこの写真のアラブチャド(国民の14%),そしてマヨケビ,カネムボルヌなどということだ.


ヤギの開き露店

ヤギの開き露店

なおも進むと小さな村があり,道端でヤギの開きを売っていた.肉の味が良くなるのでしょう.売り子は一人だが,背後には男衆がお茶しているのか?

この村の住宅は結構しっかりしているので定住民であろう.最多のサラ族の皆さんかな?

サラ族(Sara)は元々ナイル川渓谷の出で,北部イスラム教徒の奴隷狩りから逃れるため,AD16世紀ころに現チャド方面に移動したという.ただしその後もアラブ人による暴力の標的となり続けたという.近隣国ではボコハラムの誘拐が今も続いているのは知られているし,ガイドEさんの話では,ここチャドでもある男が最近妻に自爆用爆薬を装着し,ボコハラムに実質的に売り払ったケースなどあるそうだ.幸いというか....片足を失ったが命は助かったという.政治的理由でなく,単にあまりの貧困から逃れるためお金をもらうためだったそうで,やはり貧困問題の改善が何より必要,とEさんは語る.


定住民の家畜

定住民の家畜

この辺りの家畜は牛とヤギ,ラクダが多い.羊はめったに見ない.馬やロバは時々見かけるかな.

羊が少ないのは水が十分に得られないから....と聞いたように思うが,ウイグルのゴビ灘のようにかなり乾いた地方でもよく見かけるが....まだ理由はよく分かってない.


大きな鳥の巣

大きな鳥の巣

さてランチ場に到着した.広場で疎らに樹木が生えている.そして樹上には何と大きな鳥の巣が載っている.しかも同じ樹に複数個ある.特定の,つまりこの樹だけが営巣に好まれるのであろう.

惜しいことに既に子供は巣立った後のようで,鳥の姿は見えない.このサイズならコウノトリであろうか.でもコウノトリは普通鉄塔や建物など,人造物の上に作るのが普通かな....


アカシアセイヤル(Acacia Seyal)の花の花の下でランチ

アカシアセイヤルの花の下でランチ

さてランチ場の疎らな樹木の中の一つはアカシアセイヤル(Acacia Seyal)と呼ばれるそうで,黄色い花を付けている.私のアカシアの花のイメージはこのように離散的粒状でなく,もっと小さな花が連続的にパラパラ....であるので,聞いてちょっと驚いた.

マメ科アカシア属で,滲出液を分泌しアラビアゴムなどと言われることもあるようだ.これを乾燥し,日本では香料など食品添加物などに使われるようだ.

そしてランクルの後ろドアを開け,そこに並べたフランスパンのサンドイッチを頂いた.この日は当初予定より相当ディレーを生じていたのでマットは敷かず,立食形式で頬張った.


スタッフの皆さんはメッカに向かいお祈り

スタッフの皆さんはメッカに向かいお祈り

シェフのUgさんはクリスチャンで,他のスタッフ5人は皆イスラムだそうだ.そして食事が終わるとメッカに向かいお祈りを始めた.一人が前に立ち,4人が後ろにつく.このやり方で,お昼と日没のお祈りは集団で,朝や多分就寝前などは個人個人行っていたようだ.

これまでイスラム圏の旅行には数多く出かけたが,運転やガイドの仕事中という理由であろう,スタッフのお祈りシーンを見かけることはあまりなかった.なので今回は大変驚き,感心してしまった.


街道を行くgo along a highway

村の市場

村の市場

ランチ後再び街道を東進した.途中市場を通過した.スイカが山と積まれている.ここではないがどこかで仕入れたスイカを私達も夕食で頂いたと思う.この辺りはスイカを含めてあまり野菜は育たないそうだが,南の方ではスイカは通年栽培されているそうだ.


薪を仕入れて帰る人

薪を仕入れて帰る人

この辺りは少し大きな町の中心部を除き電気(ガスも)は来てないようだ.そこで炊事には私達のキャンプと同じように薪に頼ることになろう.この親子は多分そのような薪を仕入れて帰るところなのであろう.


定住部族の村通過

定住部族の村通過

小さな村はいくつも通過した.ここはそんな中の一つ.円筒状の壁は蜜で,藁(わら)葺き屋根は軒を張り出している.これは定住用で,定住部族の住宅であろう.多分中は真っ暗ではなかろうか.


牛の放牧

牛の放牧

上の村の近くで牛が枯れ草を食んでいた.村の住人が日々朝適当な草地に連れてきて,夕方また連れ戻すのであろう.


遊牧民の大移動

遊牧民の大移動

大量のラクダを引き連れた遊牧民の大移動に出会った.相当数のラクダで複数家族の移動のようだ.ラクダは移動住宅(テント)部材など載せているが,中には幌付き鞍というか,屋根付きキャビンというか....そうしたものを載せ,そこに多分女性や子供,あるいは高齢者など座っているようだ.

一見ラクダのキャラバンという言葉が浮かぶが,ガイドEさんによれば,キャラバンはあくまで商品を運び商取引する(ラクダの)隊列に使う言葉で,この写真の場合,自分たちの家畜を引き連れて新たな草地に移動する引っ越しなのでキャラバンではないそうだ.な~るほど.日本には昔からキャラバンシューズなる会社が在るがEさんの本来の語義からはかなり逸脱しているかも(←単なるブランドで語呂がいいよ)


村の小さなモスク

村の小さなモスク

街道脇に村の小さなモスクがあった.スタッフの皆さんの熱心さを目の当たりにしただけに,きっと金曜礼拝のときなどは村人で溢れるのでしょうね.

外壁の配色はなかなかシックで周囲に調和している.


街道の水売り

街道の水売り

モスク横で黄色のタンクを並べた水売りの人たちがいた.中央ストライプポロシャツの青年が水ポンプのハンドルを押し下げ,ここ下に在るであろう井戸の水を汲み上げている.

チャドで水は貴重で,私達のスタッフもこの先水の調達に気を払いながら進んでいった.


人も荷物も満載の乗り合い4WD

人も荷物も満載の乗り合い4WD

4WDには人も荷物も満載だ.路線車両であろう.パキスタンやネパール辺りと同じ光景だ.でもそちらと違って崖っぷちを通ることはなさそうなのでまだマシであろうか.

ところでこの辺りは舗装されているが,所々大きな穴が空いている.財政的にきつく,補修が滞っているようだ.


給水タンク馬車と少年

給水タンク馬車と少年

水タンクを載せた馬車を少年が引いていく.井戸のある家はむしろ少なく,そうした家庭に炊事や洗濯用を配って(販売して)いくのではなかろうか.厳しい世界だ.お風呂は今日以降の私達同様無いであろう.シャワーだけならあるかな?


街道は空いている

街道は空いている

概して街道は空いている.この辺りでは大きな木が減り,大きめな灌木が枯れた草地の上に疎らに生えている.穴のない区間では相当ぶっ飛ばすことができる.


日常的ラクダの輸送か

日常的ラクダの輸送か

ラクダが荷物を運んでいる.これはクロネコヤマトのような日常的ラクダの輸送作業でしょうか.でもそれにしてはゾロゾロ大勢の男性が付いて回ってますな~


休憩

休憩

適当なところで休憩(お手洗い)となった.山と違って砂漠はブラインドとなる物体があまりないので,ドライバーさんも苦労する.

この後であったか私は大失態を起こした.町の路線バス乗り場で大勢の人が乗り込もうとしていた.人だかりで色々な服装の人がいたので,これを車内後部席からフロントガラス越しにシャッターを押した.すると,群衆の中に兵士が混じっていたようで,こちらに寄って来て『OXOXOX.....』とか言われ,カメラを取り上げられた.もちろん兵士が居るなんて少しも気付かなかったが,注意が足りなかったということだ.スタッフの皆さんがいろいろ掛け合ってくれたが,どうしても返してくれなかった.

そして私達の車が再び進行し,軍関係施設らしい場所に至ると,リーダー格ガイド(兼ドライバー)Tさんが再度交渉に当たり,取り戻して下さった.ありがとうございました.先程のショット一枚だけは消去されていたが,他はそのままであった.Tさんはじめスタッフの皆さんには多大な面倒を掛けた.また同行の皆さんにも時間的ロスを生じさせ,本当にすみませんでした.

ところでTさんの属するトゥブ族(Toubou)であるが,Touは岩山,Bouは民の意の(半)遊牧民で,北のティベスティ山地を中心に35万人ほどの人口で,チャド人口の3.9%という.トゥブ族には幾つかの氏族が含まれ,それぞれがオアシスと放牧地を有しているそうだ.チャド人口の3.9%を占めるに過ぎないが政治的,軍事的には大きな力を有しており,歴代大統領にグクーニ氏,ハブレ氏を輩出しているそうだ.

サハラの主要民族にはトゥアレグ族,モール族,トゥブ族があるが,トゥブ族は既に紀元前5世紀には暮らしていたと古代ギリシアの歴史家ヘロドトス(Herodotus)なる人が記しているそうだ.


モイト手前でキャンプcamp at around Moyto

街道から脇に逸れる

街道から脇に逸れる

さらに進み,右の道に入った.路面の荒れが脇道の方が少ないらしい(ハハハ~).脇道と言っても道幅は同じくらいで,見える砂漠に灌木の風景も似たようなものだ.


モイト手前の集落に入る

モイト手前の集落に入る

少しして集落が見えた.陽の位置が低くなりかけたようで,若干赤みが加わってきた.

ここの集落の家は円筒形で,円錐形の大きな多段藁葺き屋根が特徴だ.完全に定住部族の家でしょうね.円筒形外壁は,中央手前は植物,その左奥は日干しレンガ製のように見える.


村のガソリン販売店

村のガソリン販売店

村の一画,道路に面してガソリン販売店があった.とは言ってもポンプで給油するガソリンスタンドではなく,ペットボトルに詰めた小容量で,主にバイク向きであろう.バイクは見たところ125cc~250ccクラスが殆どのように思えた.50CCとかの小型や,逆に大型はまず見ない.


キャンプサイトに着きテント張り

キャンプサイトに着きテント張り

道路から脇の原っぱに入り,ぐるぐる回りテントを張れる場所を探した.そして2度目の周回で適地があり,ここで降りる.

ランクルからテントやバッグを下ろし,先ずはガイドEさんのテント張りレクチャーがあった.広いので好きなところに張っていいが,猛毒があるというグリーンの大きな草(1mくらいのものもあり)の近く,サソリや蛇のいることがある木の近くは避けるよう注意を受ける.テントはフライシート付きで十分広いタイプだ.

ちょっと暗いが地平線手前に張られたテントが立ち,これから荷物を運び入れる段階だ.

ところでキャンプサイトはこの原っぱとなったが,近くの村長(か同格者)に予めTさんが許可を請う挨拶に行ったという.これに対し,村長は後にギフトのヤギ一匹を連れて,歓迎の挨拶に来られたそうだ.これがチャド流客人もてなしの表現法なのだそうだ.ただこの日はヤギの処置も大変だし.....で,お礼を述べ丁重にお断りしたということだ.


33Exportビールで乾杯

33Exportビールで乾杯

さて真っ暗になり,ディナータイムが訪れた.この日は濡れ靴下の気化熱で冷やした33Exportビールで先ずは乾杯した.十分ではないにしても結構冷えて美味しかった.ガイドEさんがイタリアンチーズともう一つ出してくれた.グラッツェ!


そしてメインはクスクスか

そしてメインはクスクスか

そしてメインを出してもらった.左端の細かく白いつぶつぶを見るとクスクスか.そして上に載っているのはビーフや人参,玉ねぎなどを煮込んだものかな.

そしてデザートにはスイカを出してもらった.美味しかった.

ところで昼まで待って下りなかったビザであるが,ようやく取れたようでンジャメナのスタッフがバイクで届けに来てくれた.ご苦労さまでした.今日は無かったが,この先チェックポスト通過があるので,これからは必須であろう.バイクで来てくれたスタッフは,夜道は危ないので明日明けてからンジャメナに戻るということだ.